第5話 計画
「聞きましたか母上! 確定したようです」
笑顔で抱き合う親と子。ノアがディエゴの元へ行く事に決まり、その準備の為に多くの使用人に指示が飛ぶ。当然ながらアルとリンダもその情報を得ており、二人は飛び上がる勢いで喜んでいた。
「ノアだけ残した時は何を話すのかヤキモキしましたが、やはり父上は私をお選びになった」
「ええ、当然の結果です。あなたは良くやりました」
もちろんこれは次期当主の確定ではない。事実上そうなるしかないだろうと思わせる決定という事になる。それでもこの結果はアルとリンダにとって大きすぎる一歩であり、ノアの巻き返しは不可能と思わせる内容だ。
ノアが家から出てしまえば、予定されていた魔力測定はほぼ全て中止される。そうなれば暫定的にリードしているアルが有利、というか勝利と言っても良い。
クリサリス伯爵家は魔力の大きさに重きを置いている。負けたままでこれ以上勝負もできないとなれば、どうやっても勝利には繋がらない。
アルとリンダはノアが旅立つまでの数日間、上機嫌で過ごす事になるだろう。
◇
旅立ちの日の朝。ノアは静かに自室の窓から見える景色を眺めている。
なんとなくだが、ノアはこの風景を見るのがこれで最後のような気がしている。
玄関前を見るとノアが乗るはずの馬車に荷物が積まれており、その護衛をする騎士団や同行するメイドたちが慌ただしく動いているのが見える。トラスト騎士団長もいるようだ。
「ノア様、そろそろ参りましょう」
バスティアンに促され部屋を出て玄関へ向かう。既に準備は整っているのであとは乗るだけだ。
ふと振り返り館へ目を向ける。遠くの窓にはアルとリンダらしき人影が見えた。どうせ嘲笑っているのだろう。ノアはすぐに他へ目を向ける。玄関前にはいつの間にかエルードの姿があった。何を言うわけでもなくただこちらを見ている。今更話す事もなく、ノアは馬車に乗り込んだ。
ここでちょっとしたトラブルが起こる。
バスティアンがメイドに指示を出しているようだが、そのメイドは元々ノアの馬車に世話係として同乗するようだった。その自分の予定をバスティアンに説明をして食い下がっているようだ。本来の予定はこれと違うのだろう。
「ノア様には道中様々な説明をしなければなりません。特にディエゴ様のお屋敷の警備体制など、あなたが聞いてはならない話も含まれます」
ぼんやりとそのやり取りを眺めるノア。
ふとそのメイドを見ると、自分とはあまり馴染みのない人物だと気づく。最近入ったのだろうか。いや、見たことはある。
――どこでだっけ?
記憶を辿っていくうちに割とあっさり思い出す。
――クリフと剣の稽古をしてた時にいたメイドだ。
あの後バスティアンにかなり厳しい事を言われたので良く覚えている。なんとなくそこに違和感を感じたノア。それがなんなのか考えていると、馬車の窓がコンコンと叩かれ、思考は中断される。
「準備はいいかい坊」
「ベンさん!」
「本日の御者は俺様だ」
御者にベン、同乗者にバスティアン、護衛にトラスト騎士団長率いる数名の騎士、先程のメイドは結局違う馬車に乗るようだ。その他ニ名の使用人。この顔ぶれで出発する事になる。
「では出発する!」
トラスト騎士団長の号令で馬車が動き出す。
◇
車内ではバスティアンと二人だけとなる。ついこの間厳しい事を言われたので空気は少し重く感じる。だがバスティアンは車内を何度も見回しており、何かに警戒しているかのようだ。
しばらくするとバスティアンは自分の懐から魔法陣の描かれた紙を取り出す。
「それは……」
「音声遮断魔法です」
バスティアンが低い声で何やら唱えると、魔法陣がゆっくりと浮き上がり回転しながら散っていった。その魔法を使うという事は、他人に聞かれたくない話をするのだろうか。
そしてすぐに神妙な面持ちとなり、ノアに頭を下げる。
「まずは謝罪を。この間の私の無礼な態度、本当に申し訳なく思っております」
「え?」
いきなりの事でわけがわからないノアだが、バスティアンはその説明を始めた。
「先程のメイドはリンダ様の手の者。あれ以外にも多くの人間が常にこちらを見張っていたのです」
あれはそちらへ向けた演技だったらしい。何故そうなるのか。ノアはその話に耳を傾ける。
「どこから話しましょう。やはりノア様のお母様であられるステファニー様の事から始めます」
クリサリス伯爵家は先代の頃、まだ子爵家だった。その頃は先代が開発を推し進めていた魔石鉱山があったのだが、その開発により多くの借金を抱えている状態でもあった。いわゆる貧乏貴族だ。鉱山を守る為に子爵から伯爵になったのもこの頃だ。相当な無理をしたのだろう。最大の借金はその為の資金だ。
だが、代がかわりそれが軌道に乗りはじめると、滞りなく借金も返済され始め徐々に利益が出始めた。ノアの母親であるステファニーが嫁いできたのはその利益が出始める前の貧乏時代だ。
「旦那様はステファニー様がきてから急に運が向いてきたと大喜びでした。ステファニー様の何気ない助言が的を得ている事が多かったそうです。それはもう、こちらが恥ずかしくなる程、お二人は仲睦まじく互いに協力しあっておりました」
しかしその幸せも長くは続かない。クリサリスはリンダの実家であるアードレイ侯爵家に目をつけられてしまった。
子爵家が頑張って伯爵家となったが、それより格上からの圧迫はそうそう受け流せない。
アードレイ家は様々な圧力をかけながらリンダとの婚姻を迫り、ついにはそれを実現してしまった。鉱山の利益はリンダを通してアードレイ家に流れる下地を作ってしまったのだ。
「旦那様とステファニー様は焦り、急ぎ次代を作るハメになりました。その時にできた子がノア様です」
しかしそれをリンダが黙って見過ごすはずもない。自分も相当な勢いでエルードに迫り、僅かに早くアルが生まれる事となった。この直後、ステファニーは病に倒れ、そのまま亡くなってしまっている。
「これは私の勘ですが、ステファニー様は病ではなくリンダ様に……その頃リンダ様は食材についてかなり厳しいチェックをされていました」
「そ、それは本当なのか!」
「確たる証拠はありません。ステファニー様の食事に細工をしていた可能性はあると思い、私も散々調べたのですが……」
元々エルードはアードレイ家の反発を抑えステファニーを第一婦人としていたのだが、この件でリンダが繰り上がって第一婦人となったのだ。バスティアンも都合が良すぎて疑わずにはいられなかったのだろう。
「彼らの計画はリンダ様が第一婦人となり、そのご子息であられるアル様を次期伯爵とする事。そうなればクリサリス伯爵家はアードレイ家の傀儡です。旦那様のご先祖様が築き上げてきたクリサリス家は事実上消える事になるのです」
エルードはバスティアンに相談しこの件について幾日も話し合った。このままでは伯爵家が終わってしまう。これでは先代の苦労も報われない。
「そこで我々は目標設定をアル様に絞りました。彼を次期当主にさせない。その為には何がなんでもノア様が次期当主にならなければならなかった」
魔力測定により次期当主を決める。エルードもそれをして今の地位にいると聞く。
だがこれは嘘だ。組織の長を魔力量だけで決めて良いはずがない。様々な業務があるのに一つの適正だけで判断できるはずがないのだ。
しかしエルードはこれを昔からのしきたりとし、その偏った重要性を説いてきた。更に魔力測定でアルを勝たせる事により、その辺の思考を麻痺させたのだ。
そのしきたりならば自分が有利。なのでこのルールに不満はない。その様に思わせてきた。
「え、アルをわざと勝たせたって事?」
「はい、ノア様もアル様も旦那様から身分を証明する指輪を渡されています。ですがその指輪はノア様の物のみ、魔力を抑える働きがあるのです」
「じゃあ、僕はずっと……」
「申し訳ございません。絶対に知られてはならない事でしたので、ノア様にも言わないよう私が旦那様に強く申し上げました」
だから魔力測定では毎回ノアが負けていた。負けるように仕組まれていたのだ。そしてそれを何年間も続けなければならない。子どものノアではいつボロがでるかわからない。だからそれは徹底的に秘密にされていた。
もし、そんな事をせず普通に勝負してノアが勝ってしまったら、考えるまでもなくあらゆる妨害が入ったはずだ。
そしてエルードも感情を表に出さないよう心がけてきた。表向きはノアもアルも平等に扱う必要があった。
「ノア様がディエゴ様の元へ向かうのも計画の一部です。少し前倒しになりましたが」
その前倒しの理由はノアがエルードに逆らった件だろう。エルードとしてはノアの気持ちを考えていたたまれなくなっていたのだが、それよりも計画を優先させたのだ。だがそこにノアの気持ちを考慮し、計画を前倒しさせた。そうなればノアは全ての真実をバスティアンから聞くことになる。エルードはその為に心が砕かれる思いで非情な選択を告げたのだ。
アルが勝利するように見せかけてノアを叔父の元へ追いやるように見せかける。エルードはアルとリンダに、ノアを臣下になる為の勉強をさせると思い込ませているのだ。だが実際はそうではない。
「ノア様はディエゴ様の元で有能な魔法講師をつけます。今まで雇っていたのは全て三流です」
二人とも魔力量が伸びないよう、教えるのが下手な講師をつけてきた。更にノアは魔力を抑える指輪を装着している。今現在でも計算上はノアの方が上らしい。そこで更に有能な講師をつけて一気アルを引き離す。
ノアは家督承継直前に帰ってもらい、そこで魔力測定を行う。そこにはアルでは覆せない厳然たる差が生まれている事になる。
アルとリンダは魔力測定により次期当主の座を確信しているのだ。ならばその方法も覆りようがない。
「それが我々の計画です。ノア様にこれを黙っていたのは本当に心苦しくありました。旦那様の苦悩は私の比ではないでしょう」
「では父上は……」
『何故父上は怒らない! 何故だ、何故あのような暴言を許す。ふざけるな!』
ノアはエルードにそう言った。だが今の話を聞けばその心情も理解できる。
怒っていないはずなどないのだ。アルを殴り飛ばしたい心境にかられていてもおかしくない。いや、そう言った我慢の積み重ねだったのだろう。それはおそらくノアよりもだ。
ステファニーは殺された可能性がある。その犯人はいつも目の前にいたのかもしれない。ハラワタが煮えくり返る思いもあっただろう。
だがそれよりも優先すべき事がある。何よりもこちらが優先される。だからそれ以外の全てを我慢してきた。感情を捨てて領地を、そしてノアを守っていたのだ。
「じゃあ僕はずっと誤解を……」
「それは我々が仕向けた事です。ノア様が気に病む事ではありません。むしろそうなるだろう事も予想していました。その為のケアにベンがいるのです」
「ベンさんも知ってたの!」
ベンは元々高位の冒険者。それを高額でバスティアンが引っ張ってきたのだ。ざっくばらんな性格と優れた武力。話しているだけで楽しくなる男であり、その武力により護衛の役割も担っている。足を悪くしているとも言われているが、それはフェイクだ。
「最初の話に戻りますが、私はノア様を嫌っている風を装いディエゴ様の件を半ば脅しに使っているよう見せかけたかったのです」
バスティアンがノアに厳しくあたっている時、その現場にはリンダの手の者がいた。その情報をリンダに伝える為、状況を利用したのだ。
バスティアンは自分にその決定権がないにもかかわらず、それを言葉にした。そこには自分の権限が大きく絡んでいると見せかける。その権限を持つバスティアンがノアを嫌う、愛想を尽かす。リンダは既に得ている情報と組み合わせ、決定的と見るだろう。
しかしそれはアルからノアを離して一流の講師をつける為の隠れ蓑になる。
「これは勝利を確信させ向こうの油断を誘う為でもあります。そうなってくれれば良いのですが……」
ここでバスティアンは俯きながら言葉を濁すが、すぐにノアへと向きなおる。
「ノア様。この計画の最も危険なのはこれから先。今から話す事を良くお聞き下さい」
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