第3話 厳しい言葉


 現在のノアは十三歳。そのニ年後、十五歳になれば誰が家督を継ぐかが決められる。

 今までの魔力測定から考えれば、アルの方が一歩リードしている状態と言えるだろう。

 父親のエルードも、このしきたりに則り先代から家督を受け継いだとノアは聞いている。

 そのエルードにはディエゴ・レテンシーという名の弟がおり、その二人はかつてノアとアルのように競い合って現在の地位が決められた。とは言え、そちらの兄弟仲は決して悪くはない。争うべきは争うが、兄弟の信頼関係は今も変わらず保たれている。

 現在、弟の方は男爵となって伯爵家の土地の一部を割譲されており、小さいながらも領地を治めている。

 エルードのクリサリス家は先代の頃に子爵から伯爵となった。双方が大きな出世を遂げていると言える。

 その要因となったのは、先代の頃に領地で見つかった魔石鉱山の存在だ。エルードとディエゴの父親が生涯をかけて行った鉱山開発が、今現在の領地に莫大な利益をもたらしている。

 その様な事があるので近隣の領地からは金で爵位を買った、などと陰口も叩かれる事もある。

 貴重な魔石の産出する領地。その利権に与りたい者は多くおり、中には強硬な手段を考える者もいるだろう。それらを守る為には、金で爵位を買おうが何をしようが力をつける必要があった。

 クリサリス伯爵家は弟のディエゴとともに、これからもそれを守っていく義務がある。

 だが、現在の跡目争いを熾烈なものにしているのも、これが要因と言えるのだろう。

 クリサリス伯爵領の領主。その義務から生み出される利益は大きい。

 他家から嫁いできたエルードの妻であるリンダからすれば、自分の腹を痛めて生んだ子をその地位に置きたいと思うのは、ごく自然な事だ。

 一方のノアは、生まれたばかりの時に母親を亡くしてしまい、ろくに顔さえも知らない状態だ。なので一番の後ろ盾となるはずの存在がノアにはない。

 そこがノアとアルの大きな違いとなる。


 アルとその母親であるリンダ。二人は先日の魔力測定でノアを上回った事に対し、ささやかながらも祝の為の茶会を開いている。とは言え、当然ながらそれは勝利の確定ではないので、ちょっとしたお祝い、と言ったところだろう。


「良くやったわ、アル。このまま順当にいけば、あなたが次の伯爵となるわね」

「ええ、お任せ下さい母上。あのようなクズに負ける要素などどこにもありません」


 何も問題ないと大きく頷くアル。それを見てリンダは笑みを深める。傍らに控える使用人がそれを聞いていようがいまいが、平気でノアをこき下ろし嘲り笑う。周りでそれを聞く者は表情にこそ出さないが、内心では色々と思う事もあるだろう。


「この僕に言い返すことさえしないのだから、自分の無能を認めているのでしょうね。さっさと出ていってもらいたいものです」


 それを聞いたリンダは少しだけ神妙な表情になると、すぐに周りに控える使用人たちを部屋から追い出した。


「どうかしましたか、母上?」


 怪訝な表情で様子を窺うアル。


「これから話す事は絶対に誰にも話してはダメよ」


 そう念押ししてからリンダは話を始めた。


「あの子はそろそろここを追い出されるわね」

「え、そうなのですか? それは父上が……」

「そうよ。ディエゴ叔父様の元へ修行に出すのよ」

「修行……とは」

「臣下としてのお勉強よ」


 臣下として、それは次期当主の下につく事を意味する。つまり、ノアは伯爵家当主になれないという事だ。


「私の情報網では、そこにバスティアンか関わっているので確度は高いわ」


 バスティアンは当主のエルードが最も信頼する重要な人物。それが秘密裏に動いているのなら、そこにあるのはエルードからの命令だ。領主がその形を整えようとしている。


「では……」

「あとニ年待たずして、かしら」

「やりましたね。母上」


 アルはここで使用人を追い出した意味を理解する。そんな話を彼らには聞かせられないだろう。笑いを堪えきれない二人の姿。そちらも当然見られたくはない。


「だけど情報はあくまでも情報。念の為に別の手も打っておくわ」

「別の手とは?」

「それは……」


 そこでリンダは言葉を濁し、少し考えてから口を開く。


「あなたは知らなくても良いの」



 ノアにとって腹違いの兄としてアルがいる。しかし、それ以外にも妾腹の子として生まれたクリフと言う名の兄弟がいる。

 クリフは正妻の子ではないので跡目争いには加わらず、伯爵家を支える為の重臣となるよう教育されている。現在は騎士団に所属してその運営を学んでいるようだ。形だけとは言え騎士への叙任も考えているようで、剣技を始めとしたあらゆる事を叩き込まれている最中でもある。

 性格は穏やかでノアとも仲が良い。アルとは、それ程でもないようだ。こちらも歳は数カ月しか離れておらず、クリフも一応ノアの兄になるが、友人に近い関係と言えるだろう。しかし妾腹の子であるので家中での発言力は高くない。

 次期伯爵が病気などで執務が滞る場合などを考え、その代行ができるようになるのが目標となっている。覚える事は多いだろう。


「やあ、久しぶりだなノア」


 騎士団長とともに伯爵へ報告書を提出しにきたクリフ。これも勉強の一環だ。今は自由時間をもらいノアに会いにきたようだ。

 他愛のない話をしながら庭にでる二人。そこでやる事はいつも決まっている。クリフがノアに剣を教えるのだ。

 ノアは通常、クリフではなく騎士団長から剣を教わる場合が多い。そちらはかなり厳しいようだが、クリフとの稽古は息抜きの色合いが強い。とは言え、それは騎士団長と比較すればの話だ。木剣を使うとは言え油断すれば怪我をする。

 二人は真剣な表情で向き合い剣を交わす。


「どうした、ノア。もう半歩踏み込まないと相手に届かないぞ」

「くっ、わかってるけど……」


 剣の腕前はクリフの方が上だ。騎士の叙任を目指すクリフと魔法を鍛えなければならないノアとでは、それに割ける時間が違う。


 庭の片隅で行われるその様子を二人の従者が見守るように立っている。彼らはタオルや飲み物など用意をするのに必要な者たちだ。

 ノアとクリフからすると当たり前の光景でもあるので、特に気になるものでもない。

 しかし、ノアはなんとなくそちらが動いたような気配を察知したので従者へと視線を向ける。すると、その向こうからバスティアンがこちらへ歩いてくるのが見えた。

 ノアとクリフは剣を止め、そちらを見つめていると、バスティアンはノアの目前までやってきた。


「ノア様、あなたは今、ご自身がしなければならない事を理解しておいでですか?」

「え、それは……」

「先日の魔力測定、その結果ノア様は芳しくない結果を残された。ならば今しなければならない事は剣ではなく魔法。魔力を鍛えあげる事です。それをわかっていながら何故このような事を」


 剣の稽古をしている暇があれば魔力を鍛えろ。それが伯爵家当主を目指す者の義務である。バスティアンは厳しい言葉でそう主張する。


「それとも、既に家督は諦めているとでも? ならば臣下はそれに応じて動かなければなりません。曖昧な態度を取られるのは悪影響しかありません。ノア様はそれについて如何お考えか」

「その……僕は……」


 あまりに厳しい物言いのバスティアン。当主候補とは言っても十三歳の少年でしかないノアでは、これに答えようもない。


「ちょっと待ってくれバスティアン」


 そこに割って入ったのはその様子を窺っていたクリフだ。


「いくら古株とは言ってもその態度はあまりに酷すぎるだろう。次期当主を決めるのはクリサリス伯爵であり臣下ではない。その言い方ではまるで自分たちの都合の良いように動けと言っているようではないか」

「そう聞こえたのなら申し訳ありません。ですが、私は事実を申し上げているだけです」


 バスティアンは動じる事なく反論する。

ノアはその態度に多くの臣下がアルに流れているのではないかと考えてしまう。バスティアンの言っている事は最初で最後の警告なのではないかと。

 何故なら、バスティアンは通常このような事を口にはしないからだ。その強い態度にノアは危機感を覚える。


「旦那様はノア様をディエゴ様の元へ送るか検討しております」

「父上が……」

「よく考えられた方がよろしいかと」


 そう言ってバスティアンは去っていった。


「ノア、気にするな。しかしなんだあの態度は。帰りに旦那様に報告しておく」


 クリフとしてはノアが次期伯爵になるのを期待している。一応兄弟だが、アルには全く期待していない。普段の素行の悪さを考えれば当然でもあるのだが、バスティアンの言う内容ではその真逆になりつつあるようだ。

 ノアとしては家を出られるならともかく、一生をあの男に仕えなければならないとなると気が重くなる。そうならないよう努力はしているつもりだが、それが実る様子もない。

 落ち込むノア。クリフはそれを見てかける言葉もない。傍らに控える従者は無言でそれを見守っている。


「おやおや、どうされましたノア様。顔色が優れませんな。クリフに叩きのめされましたか?」


 そこへ明るい口調で声をかけてきたのは、クリフとともにきたバルク・トラスト騎士団長だ。用件を済ませた彼は、クリフを呼びにきたのだろう。

 落ち込むノアの代わりにクリフがその事情を説明する。すると、トラスト騎士団長は目を釣り上げた。


「如何に上位の臣下とは言えそれはゆるされん。ディエゴ様の件についても奴が決める事ではないのだ。決めるのはあくまでもクリサリス伯爵であって、それを口にしてよいのも伯爵のみ。先代から勤めているからといって図に乗っているのではないか」

「私もそう申し上げたのです。あれではノアがかわいそうです」

「うむ、気に病む必要はありませんぞ。奴の言葉にはなんの決定権もない」


 ノアの為に怒ってくれる二人。殺伐とした伯爵家にあって数少ない味方とも言えるだろう。

 クリフもそうだが、トラスト騎士団長も普段からノアに剣を教えているのでその人となりはよく知っている。豪快で厳しい人物だがノアには良くしてくれており、伯爵からも強く信頼されている。


 慰められているノアではあるが、その不安はやはり拭えない。二人はバスティアンに決定権はないと言っているが、伯爵に決定権がある事は変わらない。その最側近であるバスティアンがそれを聞いていないとは考えにくい。


 ノアは作り笑いを見せるも、そこを考えずにはいられなかった。


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