第2話 伯爵の苦悩
先ほど魔力測定を終えた伯爵領領主であり、ノアとアルの父親でもある男。
その名をエルード・クリサリスという。
当然ながらノアとアルもクリサリスを名乗っているが、今後の魔力測定の結果により、将来的にはそれも変わるのだろう。
エルードは相変わらず感情を見せない表情のまま、自身の書斎へとたどり着く。そして扉を閉め、部屋の窓際に置いてある机から椅子を引き出し、そこへゆっくりと腰掛けた。
すると、待っていたかのように扉がノックされる。
「バスティアンです」
「爺か。入れ」
扉から現れたのはバスティアンという名の老紳士。真っ白な頭髪と口髭は綺麗に整えられており、その顔に刻まれた皺は古木の年輪を思わせる。しかし、その背筋はピンと伸びており、背も高くがっしりとした体つきをしているので、老いを感じさせない人物でもある。
彼は先代の頃から領地の政務に携わっていたが、今はそちらを退いて侍従として働いている。
エルードからすると子どもの頃から世話になっている人物でもある。
「魔力測定の結果は問題なさそうですな。様子は如何でしたか」
「計画通りではあるが……いつまでこれをせねばならんのか」
そこでエルードは控えめながらも感情を露わにする。
「お気持ちはわかりますが、もうすぐです。もうしばらくご辛抱を」
強く拳を握りしめるエルードを見て、労るように声をかけるバスティアン。その心労、そして原因をも理解しているのだろう。
エルードも一度目を閉じ、大きく息を吐く。
「済まん。私がこれでは爺も困るな。苦労をかける」
今のエルードにとって自分の心情を吐露できるのはバスティアンだけだ。だが、自分よりも高齢のこの男にその心労を肩代わりさせるわけにもいかない。その表情はすぐにいつもの、感情を感じさせないものに戻る。
「ノア様を当家から出してしまえば、後は……」
「うむ、そうだな」
◇
ノアは先日行われた魔力測定の惨憺たる結果を考慮し、心を入れ替えて魔法の訓練に勤しんでいる。
ノアとアル、双方には個別に魔法教師がつけられており、同じ時間帯に違う場所で訓練を行っている。
もちろんそれだけではなく、剣術や格闘、歴史や社会の勉強もしなければならない。その中で最も重要なのが、魔法となる。
ノアは魔法教師の指導のもと、庭の一角で精神を集中させている。
「良いですか、ノア様。属性魔法の基礎は精霊を感じる事。自身の魔力によって精霊を見る。そして魔力を精霊と接触させるのです」
とは言っても、ノアには全く精霊など感じる事はできない。魔力で見ると言われてもさっぱりわからないのだ。
「そう、その調子です」
――ほ、ほんとかな~
その調子の意味が全くわからない。どうにもかみ合っていない気がする。しかし父親の用意した教師に文句も言えず黙って従うしかない。ただ自分が理解していないだけ。その可能性だってゼロではないのだから。
ノアはなるべく意識を集中し、雑念を追い払う。ふと、周りが自分の意識から消えた時、いきなり声がかかる。
「おい貴様! まだ訓練など無駄な努力をしているのか。そんな事より母上にも言われただろう。さっさと出ていけと」
振り返るとそこにはアルがいた。そしてこちらに悪態をつきながらニヤニヤと笑ってみせる。
ため息を吐くノア。いつもの事なのでそのまま無視する。
「おい、聞いているなら返事くらいしろ。それとも言葉がわからない程バカなのか」
「アル様、今は魔法訓練の時間ですぞ。早く戻りなされ」
「黙れ! 貴様の指図など受けん。首にされたいか」
口を挟んできた魔法教師。それも一蹴され、彼も諦めたように口を閉じる。このようなやりとりは何度も行われており、怒った教師が辞めていった事もある。
結局のところアルはまともに訓練などしていない。魔力測定の時は更なる研磨がどうとか言っていたが、ノアはあれが口から出任せだと知っている。訓練よりも嫌がらせにくる方が多いくらいだ。
「先生、場所を変えましょう。集中できません」
「そうですな」
そう言いながらさっさと歩き出す二人。
「なんだ逃げるのか、弱虫め。そのまま家から出ていってもいいんだぞ」
場所を変えて時間まで訓練を行う。それが実になっているのか定かではないが。
「ノア様も大変ですな」
そういい残して教師は帰っていった。
◇
「また嫌がらせにきたのか。坊も大変だな」
「先生にも同じこと言われたよ」
訓練を終えたノアはベンのところへきている。毎回ベンの元を訪れるのは仕事の邪魔をしているみたいで心苦しいのだが、それでもその笑顔を見ると安心するし、ベンはベンで仕事をさぼる口実ができたと言ってくれる。
「まあ、そんな事は気にすんな。俺も一日中馬のケツを拝むより坊と話す方が気も紛れる」
いつもと変わらぬ調子のベンだが、ふと真面目な顔になって話を切り出してきた。
「ところで坊は本気で当主になりたいと思っているか?」
それについては今まで考えなかったわけではない。自分は本気で伯爵家を継ぎたいと考えているのか。答えは否だ。
「正直あんまりなりたいとは思っていないかな」
「そうか……」
もし、自分がその立場になればアルはどうなるか。普通に考えれば、伯爵家を支える為に重職につけられるはずだ。あの母親がいる以上、家を出て行くとは考えにくい。そうなればどちらかが死ぬまで、あの男と顔を合わせて生きていかなければならない。それはあまり考えたくはないだろう。もちろんそれは逆もあり得る。
「本当はベンさんみたいな冒険者がいいんだよなあ」
「うーん、坊の場合はポーターか。悪くはねえな」
「でも容量が……」
「そこは鍛えるしかねえよ」
ノアはそう話しながらも現実味の薄い内容だとは思っている。今のノアは次期当主候補としての義務を果たさなければならないからだ。そこから続く先に冒険者という道筋は見えるか。それくらいは理解している。そんな想像をして楽しむ程度だ。
「そう言えば、この前話してた美人の冒険者ってどんな人なのかな。エルフだっけ? 一度くらい見てみたいなあ」
「ははーん、坊も年頃か。だがよう、綺麗な花には毒があるって言うだろ。そのエルフは魔族だって噂もあるんだぜ」
「魔族?」
魔族とは、四百年程前に存在した魔王の配下の事を言う。種族を指すのではなく、その当時、人間の国と敵対した勢力となる。主にエルフやドワーフなどの亜人で構成されていたが、そこには人間もいたようだ。人間に敵対する為、魔王に与する人間。それも含めて魔族と呼ばれていた。
「魔王って本当にいたの?」
「いたさ。魔王ヘレンゴード。恐ろしく強かったらしいぜ。魔王軍てのもいたようだが、魔王が一人ですげー強かったらしくてな。魔法一発で街がなくなるほどだとよ」
「うわー、そんなの会いたくないな」
「まあ、今そんなの現れたら俺ら全員死ぬから安心しろ」
笑いながらそう応えるベン。そんなのが本当にいたとはすぐに信じることはできない。しかし、ベンは魔王がいたと断言している。その根拠はあるのだろうか。
「根拠? あるぜ、実際に魔王に仕えていた奴が今も生きてるんだよ」
「え、本当に? 見たことあるの」
「あるわけねえだろ。だが、どっかの国で魔王の意志を継いでなんたらかんたらってのは聞いた」
「なんたらかんたらってなにさ」
「詳しくは知らねえって意味だ」
だが、その話でノアはピンときた。先ほどのエルフが魔族ではないかという話。
魔王がいたのは四百年程前。その時代から生きているのなら長命種だ。そしてエルフは長い者で千年以上生きるとも言われる。その美人エルフの年齢はわからないが、それが関係しているのだろう。
「てこと?」
「それだけじゃないぜ。そのエルフは魔王ほどじゃねえだろうけど、めちゃくちゃ強くてな。徒党を組むより一人で活動する事が多いんだ。だが、一人でもワイバーンなんかハエみたいに叩き落とすらしいぞ。殺ったところは見てねえが、それが運ばれてるのは見たぜ。あんなかわいい嬢ちゃんがってぶったまげたもんだ」
「そ、それは凄い。でもそれって本人はなんて言ってるの?」
「それが、美人だから男から声はかけられるんだが、滅多に人と話さねえからな。気分を害して半殺しになった奴もいるし。魔族っぽいだろ?」
「確かに。荒々しいね」
そんな話を聞くと、もしかしてそのエルフは魔王の手下だったのかも、と思えてしまう。そして同時に思うのは、他にそんな人物が今も生きている可能性があるという事。恐ろしくも重厚な歴史の生き証人とも言える。だからこそ、そう簡単に話は聞けないのだろう。
「名前が確か……シフォンだったか?」
「可愛らしい名前だね……シフォン」
つまりめちゃくちゃ強いシフォンという名前のエルフがいたら、それが目当ての人物となる。
「つっても色んな場所に移動してるから、会える可能性はあまり高くねえな」
「旅してるのかあ、いいなあ」
その人物が魔族かどうかは噂の域を出ないが、そこまでの美人なら見てみたいとは思っている。そんな機会が巡ってくるかはわからないが。
そのエルフが仕えていたかもしれないのが魔王となる。ノアも多少の事は知識として知っている。
世界を滅ぼしかけた怪物。ダンジョンと呼ばれる異界を魔界に作りかえたとも聞く。そこに強大な魔王軍を作り上げ、あらゆる国と戦争をした。だが、最後には神の使いである勇者と相討ちとなり滅ぼされた。そんな存在は魔王としか言えないだろう。
「その魔王の得意技が、人の名を縛って支配する事らしいぜ」
「人の名を縛る?」
「そう。だから貴族なんかは今でも本当の名前は隠すだろ? 今じゃ形骸化しているが、それはその時の名残だそうだ」
ノアも正式な名前ではなく、ノアドレイス・クリサリスが正しい名前となり、全てではないが公式な文書であってもノア・クリサリスで通る。アルも本来の名前はアルバートだ。そして、その名は滅多な事では名乗らない。
略称と言ってしまえばそれまでだが、それは形骸化されているからとも言える。たんなる迷信と考えている者も少なくないので、全ての貴族がそうしているわけではない。
魔王、魔族、魔界、そして勇者。ノアにとっては興味深い話でもある。現実離れした圧倒的な強者たち。それが実在した可能性は高い。いつかそんな痕跡を探してみたい。強者の爪痕に触れてみたい。
「魔王ヘレンゴードか……」
中途半端なアイテムボックスしか使えず、魔力測定の数値がたったの七しかないノアに、そんな日はくるのだろうか。
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