ナイフとフォーク
たかた ちひろ
第1話 ナイフとフォーク
その時は、妙な言い回しでしか聞こえなかったのに、今に振り返れば、なぜかしっくりとくる例えであった。
「私とあなたって、これみたいよね」
彼女、旭さんが指差したのは、抱き合わせで売られたナイフとフォーク。
よほど売れ残ったのか、半額シールが貼られ、特価で売り出されている。
それを、私がナイフで、あなたがフォークだと旭さんは言う。
「僕らは売れ残り、ってことかい? まぁたしかに、お見合いで出会うなんて、そういう見方もできるかもしれないけど」
「やっぱり卑屈ね、あなたって。そうじゃなくて、もっと甘い意味よ。二つ揃わないと意味をなさないじゃない?」
「そんなことないと思うけど。少なくともフォークは1本あればそれで済むじゃないか」
「分からない人ね、あなたって」
彼女は、僕のでこを軽く跳ねた。
大学の頃にはピアノを習っていたというだけあって、それなりに痛い。
なにも、利き手である左の指でやる必要はなかっただろう。それにぶつくさ言っていると、やり取りは自然に流れていった。
ナイフとフォークは、彼女の押しに負けて、二人分を購入した。
それから、僕らは数年間付き合い、同棲に至った。
大きな問題も、事件も起きなかった。ちょうど五月のように、晴れと曇りだけを繰り返すような穏やかな日々だった。
浮気も、クビも、転勤もない。そうなれば、道はずっと平坦だ。
出会った最初から結婚を前提にしていたのだから、別れるなんて話はそう出てくるものじゃない。
そう思っていたある日、たしか付き合って三年目の夏を迎えた頃だ。嵐は突然に訪れた。
彼女が家を出て行ったのだ。
なんの前触れもなかった。少なくとも気づくことができなかった。
いつのまに、積乱雲が渦巻いていたのだろう。僕は動揺しつつも、とりあえず落ち着くため食事を取ることにした。
そこで、ナイフだけがなくなっていることに気付いた。
なんて粋な行為なんだろう、と憎々しく思う。
僕らはフォークとナイフ。僕がフォークで、旭さんはナイフ。
別れてしまえば意味をなさない、そう言っていたのは彼女だったくせに。
そこまで考えて、ふと気づいた。
じゃあ僕らを握っているのは、誰なのだろう。フォークもナイフも、扱う誰かがいなければ意味をなさないのではないか。
つい、くすりと笑ってしまう。
簡単なことだった。やっぱり彼女の発言は間違っている。
僕らはフォークでもナイフでもない。
僕は雨にかまわず、家を飛び出していた。僕がただのフォークなら、できないことだろう。
向かった先は、思い出の地などではない。なんのことはない、ホームセンターの一角だ。
そこに、彼女の姿を見つけた。もうナイフとフォークは売られていなかった。
「よくここが分かったね、夕陽くん。それで、なんのよう?」
「あの時の君は間違っていたよ。僕らはフォークとナイフなんかじゃない」
「……風流が分からない人ね」
「そうじゃなくて、僕らは右腕と左腕なんだよ」
「どういうことかしら」
僕は利き腕たる右手を彼女に差し伸べる。
「僕らは誰かに動かされて、対でいるわけじゃない。僕には、君が必要なんだ」
振り返ってみれば、最悪極まりないプロポーズだった。場所も、言葉も、なにも、全て最悪だ。こんなことで花嫁に来てもらおうだなんて、おこがましい。
だが、あれはあれでよかったのかもしれない。
そういうわけで、僕の家にはナイフが返ってきた。
今も対になって、食器棚で眠っている。
ナイフとフォーク たかた ちひろ @TigDora
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