「会えてうれしかった」
職場に忘れものをしたとかで、直史が小一時間ほどいなくなった。
美奈子は困った。
涼くんのことは話にはきいていたが、自分は社交的なタイプではない。気を利かせて話をふるのも苦手だ。困ったように彼女が微笑むと、涼くんもにこやかに微笑んだ。そして話題は直史のことになった。共通点がそれしかないのだから当然かもしれない。
涼くんは、直史と出会った日のことをゆっくり話し始めた。大げさに話すでもなく笑い話にするわけでもなく、朗読のような語り口を思わせた。たまにグラスを傾けて反射する光を眺める様は、自分よりもはるかに年上のように見えた。
誰のスキャンダルや愚痴を言うわけでもなく、目の前に置かれたワインのうんちくを述べるわけでもなく、彼は静かだった。年齢は自分と変わらないはずなのに、ずいぶん遠くで生きているような印象を受けた。涼くんの本体は目の前にあるが、ずっと遠くに離れている彼の意識に見つめられている、そんな印象だ。
美奈子も少しだけ、直史について話をした。後で思い出したが、涼くんは、あまり自分のことを話さなかったように思う。家に電話はなく、いつも直史には公衆電話から連絡をとっているということを話しただけだ。ただ、美奈子の話に耳を傾け、ゆっくり頷き、ちびちび酒を飲んでいた。酔っ払って別人になるなんてこともなかった。
直史が戻って来るまで、この静かな時間が続いた。直史が戻ってきて席が賑やかになっても、涼くんのまわりだけ雰囲気が違った。なににも縛られない振る舞いを羨ましく思った。彼は何を気にするでもなく、自分の世界を誇張するわけでもなく、ただ彼のまま生きていた。別れ際、彼は美奈子に「会えて嬉しかったよ」と言って去っていった。
そんなことをうすぼんやり思い出し、美奈子がつぶやくようにいった。
「こんどはさ、やっぱり涼くんも誘って行こうよ。サバゲ」
「賛成賛成」
「ちょっとさ、涼くんの銃さばき、見たいよね」
「いつ帰って来るかなぁ。次に電話がきたら誘ってみるよ」
「…涼くんさ、私に”会えてうれしかった”っていったの。初対面の時」
「そうだっけ?」
「そういうの。やっぱさ、うれしいよね」
「でしょ!? 俺も嬉しい!」
子供のように笑う直史を見て、美奈子はクスリと笑った。
会えてうれしかった おわり
世界は僕の箱庭 久納 一湖 @Kuno1ko
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