エピローグ トマト伯領より愛をこめて
エリザ嬢の実家オーギュスト伯領は、自他共に認めるトマトの一大産地である。
エルグランドの贈答品の栄えある一位を更新し続けているプリンセス・エリザを始めとして、トマトの栽培なら他のどの領地より誇りを持っている。
「第二王子の妃か。まあまあだな」
ついでにそこに住むオーギュスト伯一家のプライドもまた、辺境では類を見ない高さだった。
新聞の一面で娘の婚約発表をみつけたオーギュスト伯は、あごひげを撫でて鼻で笑う。
「わたくしは不満ですわ。王位継承権からして二番手ではありませんか。しかも国王陛下は今お独り身で、これから新しいお妃をお迎えになるかもしれませんのに」
「わかりませんよ、母上。姉上は更に上を目指すおつもりなのかもしれません」
エリザ嬢の母に当たるオーギュスト伯夫人と弟のレオポルトも暗い笑みを交わし合って、フォークを華麗に操りながらサラダを食べる。
オーギュスト伯一家は黒い針を重ねたような半地下の古城に住み、朝食の席でさえどこか仄暗い。灯りは最小限で、いつも保冷庫のような空気が漂う。
そうしなければ暑いから、そしてトマトが不味いからだった。オーギュスト伯領はエリザ嬢が頬を染めるほどトマトの栽培に適した温かい土地である。
「この機に世継ぎを産んで、エルグランドの母となる……か?」
オーギュスト伯はくっくっと喉の奥で笑って、血のように赤いグラスを掲げた。もちろんトマトジュースである。
「我が娘だ。何か考えがあってのことだろう」
「そうでなければ困りますわ。我が娘が、オーギュストの家名にかけて至高の地位に昇らんことを」
「ええ。一族に繁栄を、そしてこの地が永遠に赤く染まるよう」
三人は赤いグラスを掲げて合わせると、邪悪な祝福の言葉と共に一気に飲み干した。
その光景をただ一人、レオポルトの妻マーサがほのぼのと牛乳を飲みながら見守っていた。
エリザがもはや開けなくてもわかっている三つの箱を受け取ったとき、偶然だがミカエルもそこに居合わせた。
「エリザ、準備は……あ、すまない、取り込み中だったか。少ししてから来よう」
「いえ、いいのです。いつもの実家からの仕送りです」
「それならすぐに開けたいだろう。待っているから今開けて構わない」
何度か一緒に出かける内、エリザの部屋にミカエルがいるのも日常になりつつあった。けれどエリザがそわそわとして開けるのをためらっているので、ミカエルは首を傾げて問いかける。
「どうした?」
「黙っていてもいずれわかることですが……あの、笑わないでくださいね」
エリザが苦い顔をしながら箱の蓋を外すと、そこには実に雑多なものが詰め合わされていた。
野菜に果物、本に服、文房具に至るまで、遠くに住む子どもに何を送っていいかわからないから全部詰めたというような内容だった。
「これが父から、そちらが母、もう一つが弟からで」
「一緒に送らないのか? 同じところに住んでいるんだろう?」
「私を見ておわかりでしょうが、オーギュスト一家は皆意地っ張りですので」
それぞれの箱にはびっしりと細かい字でつづられた手紙も同封されていた。ところどころ染みているのはトマトの果汁か、涙か判別はつかない。
「マーサ? 珍しいですね、弟の妻からです」
弟からの箱の中に折りたたまれた手紙が混じっていて、エリザは不思議そうに文面を目で辿る。
「……マーサらしい」
素早くそれに目を通すと、エリザはくすっと笑う。
ミカエルが興味をひかれて横からのぞきこむと、そこにはさばさばとした女性の人柄が伝わるような、簡単で的確な手紙がつづられていた。
『拝啓 エリザ様
お元気ですか? こちらもトマトのおかげで皆元気です。
相変わらずお義父様たちは蚊に刺されただけでも心配してくださいますが、元洗濯娘の私がそのくらいでくたばったりしません。
お義姉様もトマトばかり食べてちゃだめですよ。トマトはフルーツです。
あと、婚約おめでとうございます。近いうちにミカエル様とご挨拶にいらっしゃるとのこと、楽しみにしています。
トマト伯領より愛をこめて。 マーサ』
令嬢エリザは婚約破棄してトマトを栽培したい 真木 @narumi_mochiyama
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