最終話 夜の色
磁石が入っているビルの入り口まで来た。夜十時、車はほとんど通らない。
道路を渡ったところにコンビニがある。ライブ帰りだと思われる子たちが出てきた。愉しそうに笑っている。
コンビニの光が強い。眩しい。帰ろう。私に光は似合わない。
私は駐車場に向かって歩き出す。
「美和さん!」
誰? 振り向くと野田川さんがいる。
「帰るの? なんであいさつもしないでいなくなるんですか? 僕なんか失礼なことしちゃいました?」
「いや、あの……野田川さんは失礼なことなんてしていません」
どうしよう、なんて言ったらいいんだろう。
私は瞬時に頭を回転させた。
野田川さんに差し入れを渡す、派手な女の人と浴衣女子が割って入る、私が勝手にすねて帰った。冷静に考えるとこの構図になる。
もしかしてすっごく恥ずかしい……?
「差し入れありがとうございました! ピンクの稲荷ずしって本当だったんですね。来る前にネットで調べてて気になってたんですよ。甘い稲荷ずしって初めて食べたけれど、はまっちゃいそうです」
「それは……良かったです」
野田川さんは本当に嬉しそうだった。ますます私は自分が恥ずかしくなる。
「あとすいません、メンバー以外も食べちゃって……。神奈川から一緒に来たスタッフとか青森のお客さんも美味しいって食べて、実はもうなくなっちゃったんですよ。美和さんの分がなくなってしまいました……」
「本当ですか? 若い子には稲荷ずしって地味だって思われるかと思ってました」
あの派手な女の人はまだしも、青森のお客さんとは浴衣女子のことだろう。
あの子が……食べてくれたんだ。
「そんなことないですよ、みんなライブが終わったあとはごはんが食べたいって言いますから。美和さん、ライブハウス初めて来たのによく分かりましたね」
なんとなく、時間的に「ひとつまみ」がちょうどいいかなって思っていた。
「美和さん、よかったら打ち上げに出て行きませんか? 僕たち明日には神奈川に帰ってしまうので」
打ち上げ……。知らない人だらけの飲み会はハードルが高い。
「野田川さんともっと話したいですが……知らない人ばかりなので、迷っています」
私は正直に言う。野田川さんはなんて言うだろう。
考えてみたら私と野田川さんは今日会ったばかりで、よく分からないままカフェに行って野田川さんのライブに来ている。
そんなよく分からない状況で知り合った女が一人、打ち上げに行くか迷っているからといって「ぜひ参加してほしい」とでも言うだろうか? 私一人がいてもいなくても……。
ううん、野田川さんはそんな人ではない。今日会ったばかりだけれどそれは分かる。今だって私を探して外に出てきたんだ。
「野田川さん、いました?」
浴衣女子が現れた。また? また会話に割って入るの? さきほどの気持ちが甦る。
浴衣女子が私を見ている。なに? なにか言われるの?
逃げ出したいと思った。
「あの、美和さんですよね? 稲荷ずしごちそうさまでした! 美味しかったです」
浴衣女子が私に声をかける。想定外すぎてなんて答えたらいいか分からなかった。
いや、美味しいって言ってくれたんだ。
「食べてくれて嬉しいです、ありがとうございます」
私はゆっくりと発言する。
「今、美和さんを打ち上げに誘ってたんだ」
野田川さんが浴衣女子に、そう告げる。
「私、美和さんがオシャレですっごく気になってました。打ち上げでゆっくりお話したいです。打ち上げ、参加しますよね?」
浴衣女子がキラキラした顔で私を見る。私が「うん」と言うのが前提の笑顔だった。どうしよう、帰るなんて言える雰囲気じゃない。野田川さんを見ると笑顔でうなずいていた。
「美和さん、明日はお休みですか?」
「あ、はい」
「じゃあ決まり! しゅっせーき。さっ、行きましょう」
浴衣女子はガッツポーズをしたあと、私の手を引いてビルに入る。
私たちの後ろから、野田川さんも笑顔で磁石に戻ろうとする。
もう逆らえない。私はこのまま打ち上げに出席するのだろう。
さっきまでの自分と違うところへ行くと本能的に思ったのか、それとも最後の悪あがきだったのか。ビルに入る前に、チラッと空を見た。
夜が明るい。なんでだろう、外灯とコンビニの光だけじゃない。
外から見ると、このビルもずいぶん強い光だと気づく。私はこの中にいたんだ。
そうだ、桜まつりの夜もこんな空気だった。夜桜を見た人で街が活気づいていた。
野田川さんや浴衣女子の存在感だろうか。
不思議だ、明るい夜というものがあったんだ。気づくと私は明るい側の近くにいるじゃないか。
緑の夜 青山えむ @seenaemu
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