第24話 水井我儘

「……やっぱり、おかしいよね。こんな趣味」

 話を終えると、水井さんが恐る恐るそんなことを口にする。

 自虐的な面をはらんだその言葉には、彼女のコンプレックスという重みが確かに含まれていた。


「え、な、なんで?」

 単純に疑問に思った。

 別におかしいことはないだろう。

 確かに一般の小学一年生から見たら子供っぽいかもしれないが、少なくとも俺から見れば可愛らしい趣味だと思う。

 俺に小学一年生の感性が備わっていないからそのような判断になってしまうのかもしれないけど、コンプレックスになるような趣味では決してないはずだ。

 

「その、自惚れかもしれないけど。私って周りから大人っぽく見られていると思うの。別に私は意識してそうしているわけじゃないんだけど、親が教育とかしっかりやってくれたから自然とこうなったんだ。その私がみんなの中で定着しているみたいで……」

 その通りだ。

 俺も実際彼女のことを大人びた性格の持ち主であると認識していた。


「そんな私にこんな子供っぽい趣味があるなんておかしいでしょ」

「……それって、周りのイメージと嚙み合わないってこと?」

「うん、多分そうかも」

 水井さんは悩ましげな表情で視線を落とす。


 彼女の性格は小学一年生と比べて人一倍大人びているのだから、その悩みもまた人一倍であろう。

 周りをよく見てしっかり考えられることがあだとなり、考えすぎたり気にし過ぎたりしてしまうのだろう。


 正直、俺には一切わからない悩みである。

 なんせ俺には守るべき周囲へのイメージというものが第一存在しない。今のところ友達一人だけだし……。


 だが彼女の悩みを想像することはできる。

 普段から大人顔負けの態度や立ち振る舞いをしている彼女だ。

 それが周囲のイメージとして児童だけでなく教師にまで定着したモノとなっている。

 児童も教師も悪気があってそう彼女の人格を決めつけているわけではない。俺だってそうだった。

 しかしながらその判断は彼女の表面上を見ただけのものであって、いつしか周囲のイメージは水井さんにとって重圧に変わってしまっていたのだ。

 きっと彼女が絵本趣味を小学生になってから隠してしまうようになった理由は、他人によって作り出されたイメージを裏切れなかったからだと思う。

 

 子供にとっても大人か子供かの線引きがあると俺は言った。

 実際その境界線は小学一年生独自のものとして存在するはずだ。

 その境界線の中で絵本好きという部類は決して大人な部類には入らないであろうが、あまりに子供じみている。と言われるほど境界線より離れた子供側にあるとは思えない。

 2、3年前までは普通に絵本が好きな人だって大勢いただろう。

 まだそれを好いていたって「少し子供っぽい一面」程度の認識で済むはず。


 しかし水井さんに対してだけはそうとはいかない。

 普段から大人な人格者としてのイメージを持たれてしまっている彼女は、一般児童なら小さなギャップかもしれないことでも、水井さんではイメージががらりと変わってしまう程の大きなギャップになる。

 彼女の独りよがりな思い込みではなく、事実としてそうなる未来はある。


 そのイメージを裏切った時、失望されてしまうのではないか、落胆させてしまうのではないかと不安が募り、些細な秘密は大きな秘密へと肥大化した。

 故に裏切れない。

 そして彼女が俺にそのことを知られて酷く動揺していた理由にもなる。

 なんたってそれはその瞬間に秘密ではなくなってしまったから。


 ——少しだけ彼女を可哀そうだと思ってしまった。

 小学一年生でありながら周囲からのイメージに悩まされ、好きなものを口にもできない辛さは、俺には想像できないものだったからだ。


 ……だから少しだけ、お節介を焼いてしまった。


「あのね、このことは秘密に——」

 言い終えるよりも先に俺は腰を上げ、水井さんの頭に手を置いた。

 そうして優しく頭をポンポンと叩く。

 彼女はそれに対して驚いた表情を見せるも、嫌がっている様子はなかった。


「あまり周囲のことを気にし過ぎない方がいい」

 周囲の重圧というのは小学一年生という小さな子供が背負うにはあまりに重たすぎる。


「確かに水井さんは大人っぽいけど、それは決して本当に大人なわけでも大人でなければいけないわけでもない」

 彼女は俺みたいに中身が本当に大人なわけではない。



「周りのイメージとかを気にするのはもう少し大人になってからでもいいんじゃない? 

同級生の俺にこんなこと言われるのは癪かもしれないけど、君はまだ子供なんだ。

もうちょっと子供らしく自分に正直で自由気ままな生き方をしてみたら」



俺が彼女の頭を優しく叩いた行動は励ましの意味を持っているのか。それとも、背伸びしている子供に対して踵を地につけさせてあげる意味を持っていたのか。

 きっと俺は両方の意味合いで頭を優しく叩いたのだ。


 それと子ども扱いしているという意味もあるけど。

 やはり俺から見れば小学一年生はまだまだ子供で、子供には子供らしく気ままに生きて欲しいというのが、おっさんなりの願いだったりする。


「……正直で、……自由に」

 噛み締めるように水井さんは俺の言葉を断片的に復唱する。

 それがきっかけとなってか、俺は自分のしていることがどれほど恥ずかしいことかを気づき、すぐさま手を退ける。


「あ、ご、ごめん! い、いくら何でも馴れ馴れしすぎるよね」

 少女漫画の主人公ではあるまいし、女の子に頭ポンポンとか格好つけすぎだ。

 子ども扱いと言えど彼女からすれば俺は同級生。

 例え小学一年生であっても同い年の男の子に頭を触られることに抵抗はあるはずだ。

 も、もう少し自重しよう。

 水井さんに子供らしくいて欲しいと言う前に、まず俺が小学一年生らしくしなくては。


「あっ、……ううん、私は全然気にしてないよ」

 だが存外彼女に嫌がっている様子はなく、むしろ離した時に名残惜しさを覚えているようだった。

 小学一年生で更に異性となると、益々心境が読み取りにくい。

 どの行為がセーフでどの行為がセクハラになるのか、もう少し小学一年生でのコミュニケーションの境界線を把握しなくてはならないな。


「その……、ありがとうね。励ましてくれて」

 先までは秘密がバレても尚堂々とした態度で話していたのだが、今は少しだけしおらしい態度だ。

 しかしそれは決して距離を置かれているという感じではなく、なんだか恥ずかし気というかもじもじしているように見える。

 

よかった。どうやら頭に触れるのはセクハラではなかったようだ。

 でも人によっては「子ども扱いするな」と怒ってくる可能性も十二分にあるし、気軽に頭に触るような行動は控えよう。


「えっと、どういたしまして……?」

 あまり力になれた実感はないため、少しばかり首を傾けながらお礼を受け取る。


「…………あの。……励ましてもらっちゃった上でこんなことお願いするのは図々しいかもしれないんだけど…………、一つだけお願いを聞いて欲しいの」


 彼女は言い淀みながらも唐突にそう言い出す。

「……? うん、いいけど」

 お願いされる内容も聞かず、俺は二つ返事で了承した。

 正直で自由気ままに生きた方がいいと言った手前で、それに従って口から出たお願い事を無下にするわけにはいかない。

 思慮深い水井さんのことだし、無茶な要求をされることはないだろう。

 彼女は尻込みするように一旦口を開いて何かを言おうとするも再び口を閉じる。

 しかしまたすぐに口を開く。



「わ、私の、…………お、王子様になって欲しいの」



 彼女はより一層恥ずかしそうにしながらも、勇気を振り絞ってお願いする。

「……へ?」

 あまりにも突拍子がなく言われた要求にそう返すほかなかった。

 一体何故このタイミングでそのお願いを?

 というかどういう意図でのお願いなんだ?

 何もかもがわからない。


「な、なんで?」

 理由を聞かずにはいられず即座に尋ねる。


「それは、……で、できれば言いたくない。恥ずかしいから……」

 膝元に置かれた彼女の両の手がスカートの裾を強く掴んでいるのが見えた。

 できればと水井さんが言っているし、少し強くお願いすれば話してくれるのだろうが、子供相手にそんなことをするのは流石に気が引ける。

 だがやはり理由が気になるな。

 王子様。……王子様かぁ。

 確か王子様とお姫様の話が好きだって言っていたよな。


 ——もしかして、ごっこ遊びの一環なのだろうか?


 そういえば水井さんは幼稚園の年長あたりで絵本について話す機会がなく、小学校に上がるとめっきり友人と絵本関連の話をすることはなくなったという。

 その今まで話せなかった反動でごっこ遊びをするというのか?

 あまり理に適っていないようにも思えるな。


 でも彼女だって小学一年生だ。そういう遊びが単純に好きなのかもしれない。

 絵本を読む習慣がない俺では話し相手は務まらないだろうから、代わりにごっこ遊びの相手として務めて欲しいということ。なのかな?


 子供っぽい一面を知った俺が、彼女にとって唯一ごっこ遊びという子供ならではの遊びに付き合わせられる人間だからそうお願いしている、ということも考えられなくはない。

 彼女なりに俺のアドバイスである「自分に正直で自由気ままな生き方」を実践してのことなのかもしれない。

 まずは第一歩目のわがままとして、アドバイスをした俺へのお願い事。

 

 釈然としない部分もあるにはあるが、大体の理由は分かった気がする。

 要は唯一秘密を共有するものとして遊びに付き合って欲しいということなのだろう。

 

 意図せず知ってしまったことだが、秘密を暴いてしまったことに変わりはない。

 ならばせめてもの罪滅ぼしとして、彼女の要求を呑むとしよう。


「や、やっぱ無理だよね。ごめん忘れて、いくらなんでも理由すら知らずにそんなことしてもらうなんて——」

「いいよ、王子をやっても」

 誤魔化すように作り笑いを浮かべる彼女の言葉を遮り、俺は首を縦にする。

 すると想定外の返答に驚いたのか、水井さんは目を丸くする。


「えっ、いいの」

「まあ、一度了承したしね」

 男に二言はない。

 まあ男じゃなくたって一度言ったことを易々と覆すのは良くない。

 それにごっこ遊びに付き合ってあげるくらいいいだろう。

 その程度のわがままなら聞き入れたって構わない。


「それで、……俺は何をすればいい?」

「え、あ、え、えっと、——」

 嬉しさと驚きが彼女の内で混ざり合わさり、咄嗟に言葉が出てこない様子だ。

 小学生に上がってからこんなことをできる機会はそうなかっただろうから、まずやりたいこと一つを要求として挙げるのは水井さんにとって悩ましいことなのかもしれない。

 別に催促をかけなければいけないほど急いでもいないし、ゆっくり言葉が出てくるのを待つとしよう。

 なんか好きなおもちゃを買っていいと言われた子供みたいで可愛いし。


「——じゃあ、早速お願いします」

 水井さんは焦っていた表情が一変、優しく微笑む。

 敬語に変わったということは、彼女は既に姫になりきっているのだろう。

 俺は一分でも十分でも待つつもりでいたが、存外彼女はすぐに一つ目の俺に対する、いや今は俺が王子役だから王子に対する要求として言葉を発する。


 すると彼女は右手の甲を俺に差し出した。


 これはもしかして……。

「王子様なら、この意味が分かるはずです」


 手の甲への口づけ。

 それは西洋での挨拶だったり、忠誠を誓う意味だったりするはずだ。

 物語ではよく王子から姫へする行為だが、意味合いは物語によって異なる。

 

 ま、マジか。

 正直、もう少し簡単な要求が来ると思っていた。

 28年間彼女どころかファーストキスさえまだの俺に、手の甲にキスはいささかハードルが高すぎる。

 

 だが、もはや後に引ける状況ではない。

 ここまで来たならやるところまでやってやるさ。


 俺は座る彼女の手を優しく握る。

 俺は西洋貴族でも上流階級の人間でもないのでこういったことの礼儀作法は一切わからなく、映画などのシーンを見よう見まねで再現する。

 片膝をつき、水井さんを見上げる。

 その顔は胸のドキドキが表情にまで表れているようで、彼女は緊張と期待の狭間で唇をキュッと結ぶ。


 いくら子供相手とは言え、こんなことをするのは俺も少しばかり緊張する。

 同級生じゃなかったら事案になるレベルの行為だ。

 もし中身が28歳とバレてしまえばどうなってしまうのかと考えると、俺までドキドキしてしまう。違う意味で。

 

 ……もうやるしか選択肢はないんだ。

 覚悟を決めろ俺!

 ヤケクソ気味に自身の唇を近づけ、


 彼女の手の甲に口づけをする。


「——……あー、こ、これでいい?」

 声が上ずり、若干違和感のあるイントネーションで尋ねる。

 恥ずかしさのあまり顔から火が噴き出しそうだ……。


 あまり王子としてなり切れているように思えない俺の行動だったが、水井さんは幸せに満ちた表情で笑いかける。


「貴方の気持ち、確かに受け取りましたわ。王子様」


 何かの台詞だろうか。

 彼女は水井さんとしてではなく姫としてそう言う。

 完璧に姫としての役をなり切る彼女を見て、俺も少しだけ乗り気になり、


「光栄の至りです。姫」


 そんなことを口走ってしまう。

 きっと家に帰ってから自分の言ったことの恥ずかしさに悶えることになるだろうが、今は彼女の遊びに付き合うのが最優先事項だ。

 後のことは後で考えればいい。

 

「じゃあ次は何を——」

「ううん、もう大丈夫」


 姫ではなく水井さんに戻った彼女が、俺の言葉を遮って首を横に振る。

 要求された側だが、別にもっと要求してくれても構わなかった。

 お願いを1つ聞き入れるのも2つ聞き入れるのもあまり変わらないからな。

 

「今は、これだけで十分」

「……? ——そっか」


 まあ彼女が良いと言っているならそれでいいのだろう。

 水井さんは何かを噛み締めるように、口づけをされた右手の甲を大事そうに左手で優しく握る。

 

「ありがとね。私の我儘を聞いてくれて」

「いや、そんな大したことはしてないよ」

「ううん、そんなことない。……本当に、……嬉しかったから」


 ごっこ遊びに付き合ってくれて嬉しかったということだろう。

 それくらいならお安い御用である。


「……えっと、じゃあ俺はそろそろ」

「うん、また明日」

 彼女の見送りを背に俺は教室に置いたランドセルを背負ってから、帰路に就く。



 そうして、一人図書室に残った水井さん。

 彼女は右手の甲を愛おしそうに眺める。


「糸崎くん……。……翔君が、私の——」



 彼女の頬が赤く染まっているのは夕焼けのせいか、それとも——。


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小学一年生に戻ったので堅実に生きる オカモト タカヒロ @takahiro2003

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