第23話 水井趣味
小学一年生の同級生の女の子に「絵本が好きだ」と告白されたとき、あなたならどう思う?
俺はその状況で思ったことを、一言どころ3文字で表せる。
「それで?」
絵本が好きだから一体何だというんだ?
そのことに疑問が介入する余地はない。
犬はボール遊びが好き、猫は猫じゃらしで遊ぶのが好きなように子供は絵本を読むのが好きなどもはや常識と言っても差し支えない。
少なくとも俺から見ればそれは極極自然なことだ。
疑問どころか違和感すらない。至極真っ当な趣味であると言える。
だから彼女に愛の告白ばりにそんなことを言われ、呆気に取られてしまっているのが現状だ。
しかしそんな俺とは対極的に、自身が明かした事実に水井さんは羞恥に頬を染めていた。
「そ、その、何も言われないと困るって言うか……」
ノーリアクションの俺に気恥ずかしそうに反応を求めてくる。
俺は一体何を言えばいいっていうんだ?
しかし何も言わずに気まずい空気を味わい続けるわけにもいかず、咄嗟に出てきた俺の言葉は、
「そ、……そうなんだ」
当たり障りのないリアクション。
そうとしか言いようがない。
「……」
「……」
そうするとまた気まずい沈黙が流れる。
正直帰りたい。この重苦しい空気から解放されたい。
しかしそうはいかない。
きっと彼女にとっては一世一代の大告白だったのだ。
言うか言わないか頭を悩ませた末、渋々ながらも口を開いて伝えたことなのである。
それを聞いて特にコメントもせず立ち去るのは、失礼というものだ。
上っ面だけでもいいから興味を示してあげねば。
「……なんで、絵本が好きなの?」
とりあえず状況から考えて妥当な質問をしてみる。
「……なら少し、座って話さない?」
えっ、それ立ち話じゃ終わらないくらいの話なの?
口に出すような真似はしなかったものの真っ先にそう思ってしまう。
だが聞いた分際で「やっぱりいい」なんて言えるはずもなく、俺は机を隔てずに対面して置かれた2脚の椅子のうちの一つに座る。
水元さんもまた膝程まであるスカートを片手で抑え、絵本をもう片方の手で大事そうに抱えながら座る。
「私は今だけじゃなくて、昔から絵本が好きだったの」
彼女は神妙な面持ちでそう切り出す。
「入園する前からよくお母さんに読み聞かせてもらっていてね。毎日寝る前にベットの上でいろんな話をしてくれたの。
毎日毎日絵本を読んでもらって、中には数十回と読み聞かせてもらったお話もあったの。
今もそうだけど、本当に絵本に夢中だった。
口を開けば「新しい絵本買って」とか「寝る前以外にも読み聞かせて」とか常に絵本のことばかり考えていてね」
まさに生粋の絵本オタクだったのだな。
それほど絵本に熱中していたのか。
「幼稚園の頃は授業の一環で先生が読み聞かせてくれることもあって、よく友達間でも絵本の話とかをよくしていたわ。
私はその頃ずっと友達と話しては絵本の話ばかり持ち出していたから、もしかしたら友達にはうんざりされていたかもしれないわね。
でもその頃は本当に楽しくて、好きなことを友達と共有できるのが何よりも嬉しかったの」
彼女ははにかむようにクスッと笑う。
「——けでね。やっぱりみんな大人になっちゃうんだよね」
そして今度は寂しそうな顔をする。
「段々絵本よりもおままごととかお話とかに趣味が移っちゃって、年長さんになれば絵本ばかりに執着していたのは私だけになっちゃったの。
そうするとやっぱり絵本の話をする機会は減ってっちゃってね。ほとんどの時間は友達のおままごとやお話に渋々付き合うみたいな感じになったの」
俺は小学生の頃の記憶すら危ういがため、幼稚園の話なんて欠片も覚えていない。
しかしやはりというか、幼稚園の頃から流行というのは移ろいやすいものだったのだな。
そんな幼少時代でも絵本を好きでい続けたのだから、水井さんの絵本に対する想いは本物であろう。
「それが小学生になれば尚更絵本の話は話題に出なくなってね。
小学生で絵本を読んでいるのは子供っぽいっていう雰囲気がいつの間にか形成されていて、絵本関連の話はメッキりしなくなるし、私もいつの間にか絵本を読んでいることを無意識に隠すようになったの」
子供は絵本が好きでもおかしくない。なんて偏見丸出しの発言をしたけど、それは完璧に正しいということはないようだ。
子供には子供なりの大人と子供の線引きがされており、「絵本」という部類は小学一年生になれば子供側に位置してしまう。
そうしてそれを水井さんもまたそう思っていた。
だから無意識下で絵本が好きなことがコンプレックスになっていたのだろう。
「確かに寂しくはあったんだ。
友達とその話ができる時間が無くなっちゃって、楽しみが一つ奪われちゃったから。
でも絵本を読むことができなくなったわけじゃないし、その時点ではそこまで困ってはいなかったんだ」
その時点。という言葉があるということは、本当に困る出来事があったのだろう。
「友達と絵本の話ができなくなった反動で、私は家に帰ればずっと絵本を読んでばかり。お風呂やご飯の時以外はずっと絵本を一人で読んでいて、酷いときは一睡もせず丸1日絵本に夢中になっていたことがあったりするくらい」
「それは、すごいな」
「ふふっ、そうでしょ。——でも、あんまりそういう生活は長続きしなくてね」
「ある日お母さんが絵本ばかりに夢中になる私を見て怒っちゃってね。
そのまま大喧嘩になって、最終的に絵本を全部鍵のついた押入れの奥に隠されちゃったの」
酷なことかもしれないが、多少強引でも仕方がないほど水井さんは絵本に熱中していたのだと思う。
しかし全部手の届かないところに隠してしまうなんて、なかなかに厳しい母親なのだろうか。
「でも私だってそう簡単に絵本を忘れるわけなくて、お母さんに友達と遊んでいるって言い訳しては放課後図書館に入り浸って絵本を読んでいるの。
それが今の状況。
絵本の種類があまりないから同じものを何度も読み返しているんだ。
それと、——この一冊だけは自分の家から持ち出してここで読んでるの」
水井さんは大事そうにその一冊を眺める。
「全部隠される前にこの一冊だけはベットの隙間に隠し入れていてね。
そこに置き続けてたらきっといつかお母さんにバレちゃうから、図書館のコーナーにコッソリ置かしてもらっているの」
「へぇ、それってどんな話なの?」
「王子様とお姫様のお話。昔からこういうお話が特に好きで、家にある絵本はほとんど王子様やお姫様のお話だったわ」
女の子はこういう恋物語が好きなのか。男の子がヒーロー物を好きなのと一緒だろう。
しかし気になったことが一つある。
「王子や姫の話が好きなら小説とかでもよかったんじゃない?」
絵本じゃなくてもそういう類のものはごまんとある。
小説なら別に子供っぽくなくむしろ大人っぽいだろうし、文学なら教養の一環として母親も絵本と比較すれば多少なり見逃してくれたのではないだろうか。
「最初は私もそう思っていろいろ読んでみたんだけど。私の好みには合わなくて……。
私は多分、王子様とお姫様が幸せでい続けるお話が好きなんだと思う。
ほらっ、小説でのそういうお話って悲しいものが多いでしょ?」
確かに小説でのそう言った話は、悲恋の物が多いかもしれない。ロミオとジュリエットとか。
例えハッピーエンドになってもその過程には山あり谷ありの描写はたくさん存在するだろうから、「幸せでい続ける」という水井さんの願いには即せていない。
絵本ならそう言った描写はあれど、小説と比べ比較的マイルドに表現されているはずだ。
そう思うと、やはり絵本が彼女にとっての最適な趣味と言える。
良い趣味なのではないかと、第三者としてそう思った。
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