第3話 約束
「おまえ……彼女が居ないからってそこまでこじらせちまうかよ」
イヤホンから聞こえるため息まじりの不機嫌な声。
波乱万丈のコンビニから帰宅すると、俺は腐れ縁であり大学の同期である遠山に件の相談をしたのだ。
なんせ俺は対人経験が不足しているからね。
何故か勢いづいて話しかけて、あまつさえ女の子にコーヒーを奢らせる約束をとりつけるとは、我ながら呆れてしまう。
いや、でもどこか彼女の考えが手に取るようにわかったんだよ。
俺の残念な性格から来る残念な経験────かな。
どこか先輩風をふかしてしまったような言動は、今考えると鼻につく。
「あのなあ、女の子はなあ、遠慮するときもはい、とかうん、とか言うんだよ。わかるか慎太郎」
いやおまえ彼女居たことないだろ。
遠山は回線越しでもびりびりと空間をゆらすほどの大声で笑った。
「おう!俺は彼女なんぞ一度たりともできたことないぞ!けどなあ……エロゲーはやったことあんだよ」
誇るな。
「誇るな?だと?そもそもエロゲーってのは日本のオタクカルチャーの中では重要な────」
うるせえ、と俺は遠山の話をさえぎる。
「彼女いた事ないお前に相談するのは全く参考にならないと思ってたけどこうも残念だとは思わなかったよ。人脈は妙に広いからすこしは当てにしたけどさ」
「おいおいおい待て待て待て。わかったよ真面目に聞くから」
遠山はとりあえず続けろと促す。
俺は一つため息を付いてから話を続けた。
「────話をもとに戻すけどさ、その────コーヒー奢ってもらう約束のことなんだけど────」
「馬鹿か!お!ま!え!は!」
遠山の大声に怯んだ俺を尻目に奴はまくしたてる。
「夜中の人気のないコンビニでわけのわからん男に声でもかけられてみろ。女の子なら驚いて抵抗なぞできんわ。ましてや中学生だろ?」
俺がうなずくと遠山は鼻でひとつ笑うときっぱりと俺に言い張つ。
「彼女は怖がって、警戒して、思わずうなずいてしまった。これが真相だ。彼女の居ない俺でもわかるかんたんな話だ」
そうでなかったような気もするがーーいやそうだったきがしてきた。
自分よりも二回りも小さい女の子に夜中のコンビニで話しかけるなんでどうかしていた。
「なあ。折角の夏休みにそんなにアホな事に呆けてないで建設的なことをしようじゃないか」
ふとにやりと笑うやつの顔が脳裏に浮かぶ。
「競技プログラミングやろうぜ競プロ!おまえアルゴリズム演習の成績、秀だったよな?慎太郎には素質あると思うぜ。楽しいぞ」
うまく話をすげ替えられたなあ……。
「とりあえずslack教えるから来いよ!」
チャットボックスに過去問と題されたURLがいくつかの参考ページが貼り付けられる。
いつものことだ。
遠山は俺に凄いプログラミングのスキルが有ると勘違いしているフシがある。
とんだ間違えであるが。
段々と早口になる遠山に適当に挨拶をして一方的に通話を切断した。
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渚より────
どきどき、していた。
こんなに心臓が飛び跳ねたときなんてこれまであっただろうか。
最近どきどきしたことは────学校で嫌な思いをした時?
でも嫌なときのそれとは違うどきどき。
ついさっき起きたことを思い出すと、どきどきして、行方を失った感情が手のひらに力をいれる。
飲み干したパックジュースがぐしゃりと潰れる。
ストローからは空気がもれる。
みとめられた、はじめて。
わたしが、先生からも友達からも、変な目でみられたわたしが。
いや、でもマスターにも褒められたから二回目?
わたしは小さく笑うと席を立った。
今日、約束した。
あの人ーー縞さんにコーヒーをおごる約束。
へんな約束。
階段を降りて自動ドアから外へ出た。
気だるそうな店員のあいさつが後ろから聞こえた。
明日は、うまくはなせるといいな。
--------
暑い。
クーラーの電源が入っていない。
タオルケットとイヤホンのケーブルが体に絡みついている。
俺はふと昨夜の出来事を思い浮かべる。
俺は遠山と話した後、ひどく落ち込んでベッドに倒れ込んだのだが、そのまま寝てしまったようだ。
カーテンの隙間から差す光がちょうど俺の顔を照らしている。
二度寝をするには具合が悪かった。
体を起こす。
精神状態とは裏腹にかなり体が軽いし、頭はすっきりとしていた。
その調子の良さにまかせて俺はシャワーを浴びてから、冷蔵庫に入っていた炭酸ジュースを片手にニュースサイトを巡回する。
ふと『競技プログラミングで採用試験』などというタイトルが目を引いた。
案外呆けているより、遠山の誘いに乗ってスキルを身につけるのもありかもしれない。
ふと背後の本棚に目をやると、遠山から押し付けられたアルゴリズムの解説本が目に入る。
そういえば一回も読んだことがなかった。
遠山いわく小さな大会の優勝景品だったらしいそれはホコリを被っていた。
手に取りパラパラとページをめくる。
いつかの講義で聞いたことのある単語が並んでいた。
取っ掛かりはありそうだ。
良いコードを書くためにはたくさんのコードを書く必要がある。
たとえ良い腕を持っていたとしても、書かなければ腕はなまっていく。
夏休みに入ってからと言うもの、俺はあまりコードを書かなくなっていた。
抑うつ感から何をするにもエネルギーが余分に必要になっていたからだ。
よし、物は試しだ。
俺は遠山とのチャットログを引っ張り出す。
音声チャットを切断してからもリンクを張り続けていたのか、未読件数が二桁を超えていた。
どんだけ推すんだあいつは。
とりあえずログの一番上にあるリンクに飛ぶ。
どうやら福島県にある大学が運営する競技サイトのようだ。
レベル別にたくさんの問題が並んでいた。
一通りルールに目を通して、確認用のテスト問題を解く。
文字列を出力するだけの問題だ。
数秒でコードを書き正解する。
基本的なルールや作法を理解したので問題集に手を出そう。
適当な問題を見繕って問題に目を通す。
問題は英語だったが平易な文なのでなんとか読み解けた。
エディタを開いてコードを書こうとしたが、何か忘れている気がして手が止まった。
────約束。
あの女の子────渚ちゃんにコーヒーをおごってもらう約束。
深夜のオンラインでの彼女いない歴イコール年齢同士の議論ではあったが、約束は強制的に結ばせたもので無効であるという結論が出たはずだった。
しかしたとえそれが無効だとしても、少女はあの店に来るだろう。
深夜のあの無敵であるかのように堂々とした、振り切ったかのような高揚感とは一転して弱気になった。
左右の頬を手でたたき気合を入れる。
なんとか気を奮い立たせ着替えをした。
バックパックに小さなラップトップとアルゴリズム解説の本を突っ込むと部屋から出た。
今小指をたんすの角か何かにぶつけたら気が萎えること間違えなしだ。
正直怖いが、おとなしくコーヒーを奢ってもらってーーいやきちんとお金を払って、俺が害のない人物であることを主張して、二度と近寄らないようにしよう。
喫茶店につくと先に彼女がいた。
机につっぷして溶けたチーズのようにはりついている。
また徹夜でもしたのだろうか。
マスターがふと、と俺に気がつく。
同時に彼女もびくりと体を起こした。
顔をほころばせたマスターが近寄ってくる。
俺は軽く会釈すると渚ちゃんの席へと向かった。
目の前に立つと彼女が上目遣いで俺を見る。
顔がすこし赤らんでいるのは緊張しているからだろうか、髪を後ろに一つ結んだ彼女は両手をあわせてもじもじとした後に蚊の鳴くような声で、こんにちはと挨拶をした。
「こ、こんにちは。ここ、いいかな?」
どうぞ、と相変わらずのささやくかのような声で許諾する彼女をみて、マスターがにやにやとした顔で口を開く。
「あれ、一体どうしたんだい?」
彼女はずいとマスターの方に体を出して慌てたように言う。
「あの、あの、私、おごるの────コーヒー、縞さんに」
彼女が言い終わるか否か、マスターはええ、とオーバーなリアクションを取る。
「────カツアゲ……?」
「い、いやいやいやいや!!んなわけありますか!!」
渚ちゃんをかばうように立つマスターが、本当と彼女に尋ねる。
首を縦にブンブンと振る彼女をみて、マスターはにやりと笑うと何にするかと俺に訊いた。
絶対遊んでるよこの人。
おすすめコーヒーを注文すると、マスターは俺にウィンクをしてから踵を返す。
マスターがカウンターに戻ると、渚ちゃんはふらりと席に倒れ込んだ。
俺も向かいの椅子に座ると、彼女は上目遣いで俺をみてはにかむ。
「きてくれて、ありがとう」
「いやこっちこそいきなり変な約束とりつけたのにさ。あの────待ってた?」
「いや、全然待ってない────です」
ぎこちない……。会話の取っ掛かりといえば端末くらいしかないな。
「あれ、netwalkerは?」
「今日ビルドしたカーネルを入れて動かしたらカーネルパニックが発生して、時間もなかったので今日は別の端末を────」
早口で話す彼女に一つ疑問をぶつけた。
「あのさ、女の子に歳を指摘するのもなんだけど、中学生?なのにすごいね。どこかで習ってたの?」
え、と彼女が驚いた顔をしたとおもったら、苦虫を噛み潰したような顔に瞬時に变化する。
どうやら地雷を踏み抜いたらしい。
「私は高校2年生です!!」
どうみても中学生にしか見えない彼女が心底怒った様子で学年を開示する。
「ご、ごめん。あ、そうだ!自己紹介がまだだったね!僕は縞 慎太郎!!」
「昨夜コンビニでかっこうつけながら言ってましたよね!名前!」
「あ、そうか。ああ、所属は日本情報大学の情報工学部でコンピュータサイエンスを学んでいて、趣味もそっちの方面なんだ」
うまく回避できたか────?
彼女は大学名を聞くと少し戸惑ったようにみえた。
怒りは収束したらしい。
戸惑った顔をしたのはFラン大学だからだろう、きっと。
「君は?どうやらすごい技術力だけどどこかに所属しているの?」
彼女は淡々と説明した。
要約するとこうだ。
中学生でセキュリティ・キャンプ全国大会に参加、高校1年では未踏Jrに採択され、現在はプログラマとして創作サークルとアルバイト先で腕をふるっているらしい。
何この超人。
「す、すごいね。俺なんか中学生の時なんてゲームしかしてなかったよ」
「ありがとうございます。でも私はまだまだです」
こういう謙遜って本当に“まだまだ”な俺のような存在には痛く響くなあ……。
その後も色々と話しははずんだ。
何より俺がこれから挑戦しようと思っていた何もかもを彼女は既に成し遂げていたから、アドバイスをたくさんもらった。
まさか近所にこんな超人が居ようとは────。
「あ、もうこんな時間か。そろそろ帰るよ。きみは?」
「私はまだここで作業しています。今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとう。いろいろと貴重な意見が聞けてよかったよ」
最後に連絡先を交換した。アイコンはカーネルのログか?渋いな。
「それじゃあ。今日は本当にありがとう。逆に奢らせてほしいくらいだよ。いい勉強になった」
「あ、いや、おごるので。約束なので」
「それじゃあお言葉に甘えて。マスター、渚ちゃんにおごってもらうことにしました!」
マスターは笑いながら彼女に聞く。
「渚ちゃん、本当にいいの?」
「い、いいの。それに縞さんよりは稼いでいるから!」
うっ……。
最後に爆弾を投下された俺は体を引きずるように扉へ向かい、ドアノブに手をかけた。
すると後ろから、また話しましょうと彼女が声をかけた。
俺は手をひらひらと振ると、夕暮れの8月、すこし熱気が弱まった外へ出た。
感化されやすいのか、俺もやる気が湧いてきた。
また気が向いたら作業しにまたここへやって来よう。
次はコーヒーいっぱいで粘らず、アイスでもつけて。
喫茶店の魔女 @kamome630
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