第2話 再開

喫茶店から帰宅した俺は自己嫌悪の渦に巻き込まれ、目が回りそうになっていた。

俺の様なコミュニケーションが得意でない人種は、会話が終わると毎回反省会のようなものを自分の中で行う。

一日平均にしておよそ二、三回という、ごくわずかにしか会話をこなさない俺こそなせる習慣なのだが。

普通の人ならば寄せては返す会話の波に乗り、知らずのうちに忘却しているであろう小さなことを、いつまでも気に病んでしまう。

今回は特に最悪だ。

なんせ相手は年下の女の子。

年下も女の子もどちらも苦手な俺にとっては、今回の反省会はいつもに増して強烈だ。

「俺、自己紹介すらしてねえよ。ていうか彼女の名前も訊いてないし、一方的に話を進めるし──俺はいつもこうだ……」

脳内で抑えられず、たまらず独り言を漏らす。

ため息はすでに累計百回を超えた。

ウルトラモバイルPCならばと意気揚々に鼻息あらく話をすすめ、次第には彼女に不快な思いをさせてしまった。

いや、そもそも不快にさせたのかどうか、真偽が揺れるところではあるのだが、さりとてそれは重要ではなく、結果として彼女は会話の途中、不自然に席を立った。

マスターも俺に随分期待をしていたように思えるし──それもただの妄想、幻聴であるかもしれないのだが──その気持ちを踏みにじる結果になってしまった。

乱暴に髪をかきまぜ、6畳の自室を行ったり来たりする。

このような反省会をいくら開いたところで、何も改善されないことを俺が一番良く知っている。

しかし、反省会は自分の意志に反して脳内で盛り上がる。

こういうときは寝るしかない。

俺はベッドに横になり、目を閉じる。

瞼の裏には喫茶店での失敗や、全く関係のない高校時代の失敗などが鮮明に映し出されている。

顔や体が火照る。

「うおおおおおおおおお!!!!やめてくれーー!!!!俺を開放しろおおおおおお!!!!」

オレオレシアターの凄惨さに耐えられなくなり、枕に顔を埋めて、わけのわからないことを叫んだ。

そんなことを1分くらい続けていると、なんだか馬鹿らしくなって、途端に睡魔が忍び寄ってきた。

とりあえず一眠りしよう。

なにが喫茶店だ──アホらしい。

俺はもう知らんぞ。

徹底的に夏休みを無為につかってやる────。


目がさめると窓の外はすっかり暗くなっていた。

時間を確認すると、既に日付をまたいでいる。

ベッドから体を起こし、洗面台に行く。

顔を洗い、鏡を覗き込むと同時に腹が鳴った。

台所に音を立てないように忍び込み、冷蔵庫の中を見ると、餃子がラップされてあった。

餃子っていう気分じゃないんだよなぁ。

母には悪いが、コンビニで適当に見繕おう。

携帯電話と財布をポケットに突っ込み、静かに玄関の扉を開けた。

夏だというのにあたりは思いのほか涼しい。

長いこと変な時間に眠っていたせいか、頭は粘土を詰めたように重かった。

もしかすると水分不足かもしれない。

フラフラとした足取りでコンビニへと向かう。

そろそろつくかな。

煌々とした明かりが次第に目に入り、遅い晩御飯へと思考を巡らす。

コンビニチキンは外せないだろう。

後はアイスかな。水分補給もしたいし。

店内に入ると寒いくらいに冷房が効いていて、思わず首をすくめた。

店内には気だるそうな店員が一人突っ立っていて、客は立ち読みすら居らず、俺ひとりだった。

無駄に明るいポップスがますます寂しさを際立たせる。

でも何故か安心するんだよな、深夜のコンビニって。

俺は冷凍庫からアイスキャンディを取り出すと、レジへと向かう。

ホットスナックをちらりと見て、予定通りにチキンを注文する。

そういえばここは二階にイートインコーナーがあったはずだ。

もう二十歳になったというのに、俺は心が踊るのを我慢できなかった。

でもいくつになってもワクワクするんだろうな、深夜の買い食いってのは。

会計を済ませて二階への急な階段をのぼる。

二階に着くと女の子が一人、俺に背を向けて窓際に座っていた。

窓際に沿うように置かれた長机に椅子が7つほど。

そんな窓際席のど真ん中に座る彼女の周りには、何か人を寄せ付けないような空気が漂っていた。

中学生くらいの女の子がこんな遅い時間にコンビニとは親は何をしているのだ。

しかし、どこか見覚えがある姿だ。

栗色の髪、不健康そうな白い肌ーー。

足が止まる。

チキンを持つ手が震えるが、冷房のせいだけだろうか。

────反転して逃げるか?

幸い彼女はうつむいて端末か何かを操作している。

今なら立つ鳥跡を濁さず────ではないが穏便にことを済ませられる。

俺は今まで通りの鬱々とはいえ平穏な夏休みを過ごすことができるし、彼女もなにかしら凄いハックライフをあの喫茶店かどこかで満喫するだろう。

踵を返し急いで階段を降り────ていたはずだ、今までなら。

あろうことか俺は彼女へと歩みを進めていた。

深夜のコンビニというシチュエーションでアドレナリンだかドーパミンだかが通常の1.5倍くらい放出されていたとか、睡眠で寝ぼけていたとか、チキンを熱いうちに食べたかったとか、一体全体理由ははっきりとしないが、足は動くのをやめなかったし、逃げるという選択肢も頭からすっぽりと抜け落ちていた。


「こんばんは」

俺は話しかけた。

喉はからからにかわいていた。

彼女はビクリと体を一度震わせ、顔を上げた。

「となり────いいかな?」

続けて訊くと、彼女は頭を一度さげて、机に広げていた菓子パンの袋を横にどけた。椅子を静かに引き椅子に座ってから深呼吸をした。

冷房が効きすぎていたはずなのに、俺の体は妙に熱を帯びていた。

「あのさ────」

俺は喉を鳴らした。飲み込むつばなど一滴もないというのに。

もう一度息を吸い込むと、今日はごめんなさい、と言った。

言ったはずだった。

しかし、耳に聞こえたのは可愛らしい女の子の声で、もう一度女の子の声が聞こえるまで、俺は混乱して言葉を失っていた。

「どうして──謝るんですか?」

彼女は大きなまばたきを二、三回した。

「悪いのは、私なのに──」

「いや、それはこっちの台詞だよ。今日は気分を悪くさせちゃったみたいで──」

「そんなことないです!!」

言葉の途中で彼女は頭を横にふってから、大きな声をだした。

「私こそ、感じ悪くて、途中で席をたったりして──ごめんなさい」

椅子に小さくなってなおる彼女の姿を見て、俺は静かに続けた。

「いや、俺、自己紹介なんてそっちのけで、パソコンの話なんかして。俺の悪いところなんだけど、ヲタク性っていうかなんていうか。凄く馴れ馴れしい感じで──」

「あの、私、──」

「あーなんていったらいいか。とにかくさ、自分でもわかってるけど、そうとうキモいんだ俺。だからそんな──」

「うれしかったんです!!あと──」彼女はますます小さくなった。

「ーーすごく、恥ずかしくて……」息を一度吸い、俺の顔をちらりとみた。

「人からああやって褒められたこと、なかったから……」

え、とたまらず俺は小さく声を漏らす。

────うれしい?俺が一方的にヲタク話しをふっかけたのに?

そんなわけが────。

「とにかく、悪いのは私です……。ごめんなさい」

彼女は顔を赤くして、パックのジュースをストローで勢いよく飲みはじめた。

ストローでジュースを吸い上げる音がひとしきりなり終わると、俺たちはふたりとも口を閉じていた。

場違いなごきげんなポップスだけがあたりに響いている。

そんな沈黙を破ったのは、俺がチキンを紙袋から取り出した音だった。

チキンを頬張ると、すこし冷めていた。

なんか笑えてきた。

どちらも勘違いをして、俺は自己嫌悪に陥って、おそらく彼女も。

自己完結してひたすら謝って、ばかみたいだ。

思わず小さく笑ってしまう。

彼女が不安げに俺の顔を覗いた。

俺はかまわずチキンをもう一口齧ってから、手を拭い、彼女に向かう。

どっちが悪いとか、そんなのは端からどうでも良かったんだ。

なにが悪いって、それはお互いのことを知らなかったからだ。

「俺は────縞 慎太郎。君の名前は?」

彼女は不思議そうに、眉をひそめ、口を開いた。

「────新海 渚、です────」

渚、名字かと思ってた。

なにかのアニメでそんなキャラクターがいたきがするし。

「あのさ、俺も君もただ勘違いをしていただけだよ。だからそんなに気をわなくてもいい」

自分に言い聞かせるように言う。

「これでその話は終わり。誰も、悪くない」

俺は残りのチキンを口に放ると、椅子から立ち上がった。

チキンの包み紙をビニール袋に入れてから彼女に向かい直した。

「今日はもう帰るよ。君も早く帰りなよ、夜も遅いし」

彼女はすがるような目で俺を見つめる。

それじゃあ、と手を振り、踵を返した。

すると彼女がいきなり立ち上がって、慌てたように引き止めた。

「ま、待ってください!!」

俺は歩みを止め、振り向く。

「だって、だって、そんなの申し訳なくて、悪くないって言ってもそんな────」

声が消え入るように小さくなる。

納得────しないよな。

「ならさ、おごってよ。コーヒー」

彼女が驚いたように顔を上げた。

「あの喫茶店の、コーヒー。それでチャラ」

目を丸くした彼女は、一瞬固まってから、顔をほころばせた。

「はいっ!」

俺は今度こそ背中を向けて、歩きだす。

手をひらひらと振り、アイスキャンディの袋を取り出した。

「ま、まってます!!おごります!!」

他人から見ればまるでカツアゲだな。

「まってますから!!」

俺は口角を歪ませ、封を切った。

アイスの棒を持ち、袋から取り出した。

棒だけがすっぽりと抜けた。

アイスはすっかり溶けていた。

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