喫茶店の魔女
@kamome630
第1話 プロローグ
俺はリア充だ。
かんたんに自己紹介をしよう。
某有名国立大学経済学部に所属し、サークルはテニスサークル、名は縞 慎太郎と言う。
大学一年の夏休み。
高校時代とは一線を画する自由、自治を手に入れ、学問に恋に勤しむ俺の毎日は猛烈に忙しい。
一週間前まではサークルの合宿(当然男女比は5:5)、三日前はゼミの同級と図書館で勉強。
夏休みだと言うのに休みというものを知らない。
目まぐるしく変化する日常は忙しくも充実している。
一年前とは正反対の生活を送っていただけに、毎日が新鮮ですべてが輝いている。
むさ苦しい男子校。
すえた汗の匂いのなか男たちをかき分け、勉強に部活。
予備校で遅くまで勉強し、センター試験をくぐり抜け、日本屈指の最難関試験を突破し今に至るわけだ。
ネットでは努力は報われないなどと負け犬が吠える様を見かけるが、所詮は負け犬。
一方、俺の努力は実りこうして充実した日々を過ごしている。
まぁネットの連中が歪むのもわからなくはない。
この俺とてあの地獄の男子校生活をあと一年でも続けていたら、気でもふれて奴らのように毒電波をネットの海に流し続けていたかもしれない。
勝者がいるなら当然、敗者も存在する。
申し訳ないが彼らには次の機会ーーあるいは来世で努力をしていただきたい。
俺はこのまま現実を突き進むさ。
さて、今日もまた忙しくなる。
何と言ってもかわいい彼女とのデートがあるからな。
彼女は同じ大学の物理学科に所属している、理系女子ってやつだ。
彼女は待ち合わせのときにいつも難しい顔をして難しい本を読んでいる。
俺が声をかけると、分厚い本をパタンと閉じて笑顔を向ける。
そして決まって、学んだ知識を電車の中や歩いているときに楽しそうに話してくれるのだ。
俺は小難しい素粒子理論など微塵も興味はない。
しかし彼女の深淵たる物理の理論を語るときの真剣な眼差しと、楽しそうな横顔がたまらなく好きだ。
だから俺も笑顔で相槌をうつ。
ああ、愛おしいな彼女は。
会えるのが待ち遠しい。
おおっと、そろそろ待ち合わせの時間か。
待ち合わせ場所近くの喫茶店。
俺は時間に遅れたくないがために、いつも一時間前にはどこかの店に入り万全を期す。
今日入った喫茶店はどうも静かでつい考え事に没頭してしまう。
俺は飲みかけのコーヒーを一気に呷ろうと、カップに手を伸ばした。
しかし虚しくも手は虚空を掴んだ。
コーヒーカップがこつ然と消えた。
顎に手をやりあたりを見渡した。
そこは喫茶店ではなくて遊園地だった。
あたりにはたくさん人がいた。
遊園地なのに子供やカップルは一人も居なくて、皆老人達だった。
老人たちは笑顔でポップコーンを頬張ったり、風船を腕にくくりつけたりして楽しそうにしている。
俺は平然と立ち上がった。
別に何も不思議な事はない。
俺はなんたってすべてお見通しだから。
それは俺が有名大学に通っていて、頭がいいとかそういう話ではなくて。
要するにこれはただの夢だから。
我ながら恥ずかしくなってくる。
夢日記に筆を走らせつつため息をついた。
夢日記をつけ始めたのは夏休みが始まってから。
動機は極めて単純だ。
毎日が退屈で仕方がないから。
ネットのオカルトサイト曰く夢日記を書いているとだんだん夢と現実がごちゃ混ぜになって狂ってしまうそうだ。
そんな与太話に載せられてわざわざ日記をつけるのだから、日記を始める前から相当キテる。
夢日記を始めた頃はもっとファンタジー色が強かったり、わけのわからない意味不明な夢が多くそこそこ楽しかったが、最近はコンプレックスが強く投影されたような夢ばかりみるようになり、続けることに苦痛を覚える。
今日なんて一段とひどいではないか。
この俺様が有名国立大学文系学部のテニスサークル所属の彼女持ちリア充だと?
とんでもない。
現実は無名私立理系大学、サークル未所属、彼女どころか女友達さえ居らず、努力なんて言葉など知らず、ひたすら流されてきただけのつまらない人間だ。
本当なのは「縞 慎太郎」という名前と高校が男子校だったことと、今が夏休みであることだけだ。
数少ない真実の一つである夏休みという現実、これが現在、俺のおおきな問題となっている。
通常、夏休みという言葉はポジティブな印象を持つとされている。
世間一般の学生にとっては夏休みは天国だろうし、かつての高校生の頃の俺にとってもそうだった。
しかし今の俺にとっては大変な苦痛なのだ。
なぜなら大学という刺激がなければ極限までにだらけきってしまい、趣味にもさほど身が入らず、ひたすら昼寝をしたりして一日を過ごしてしまうからだ。
毎日、通学のために電車に揺られ、講義を受け、適当に本屋に立ち寄ったりすることは適度な緊張感を産み、怠惰な俺を突き動かすだけの動力としての役も担っていた。
必要最低限の努力で入学した大学は、低偏差値の工科大学で、周りは若者とは思えないほどに無気力な奴らとヲタクばかりであったが、俺も同類のため居心地はさほど悪くはなかった。
加えて情報系の学科に進学したこともあり、コンピューターヲタクの俺としては大学の講義にはそれなりに好奇心をそそられた。
しかし夏休み真っ只中の最近は好奇心など無に等しい。
どうにかせねばと昨日の晩に思い立ち、早速読みかけの技術書を読み終わろうと直近の目標を決めた。とは言え家では集中など到底不可能なので、近所の喫茶店を幾つかネットで調べて、中でもレビューが一件もついていない寂れたところへ行くことにした。
寝癖を整え、歯を磨いた。
髭をそって鏡をみると随分とやつれた姿が映る。
このもやしを陽の光にあててやらねば。
もう一度スマホで場所を確認する。
家から歩いて10分、川の近くの喫茶店。
俺はバックパックに財布と技術書を入れて家を出た。
なかなかにおしゃれな喫茶店だ。
最寄り駅からは随分とはなれた住宅街の一角にその喫茶店はあった。
レンガ造りでこじんまりとした外見。
木製の扉には開店中とかかれたプレートがかかっている。
窓から見える店内はがらんとしていた。
扉の横には黒板の看板があり、「今日のおすすめ」としてコーヒーの銘柄が描いてある。
生憎コーヒーの銘柄などわからないから値段くらいしか参考にはできないが。
扉を開くとベルがなった。
同時にコーヒーの香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。
カウンターには185cmはあろう長身のすらっとした男がカップを拭いていた。
「いらっしゃい」
マスターだろう男が顔を向けて微笑む。
俺は少し頭を下げてカウンターに一番近い席に座る。
マスターはカップを置くと、メニューを持ってきた。
「いかがなさいますか」
メニューに書いてある銘柄はさっぱりだった。
幸いにもおすすめコーヒーなるものがあるようだ。
「おすすめコーヒーください。アイスで」
注文を聞くと店主はエプロンからとりだした紙に記入していく。
「おすすめですね。今日は暑いですしアイスクリームもいかがですか」
「ああ、じゃあバニラアイスも追加で」
「かしこまりました」
マスターは丁寧に会釈するとカウンターに戻っていった。
なかなか商売上手ではないか。
客は居ないけれど。
店内を見渡すと俺以外に客は居なかった。
こじんまりとした店内は暖色系電球で優しい光に包まれていた。
溶けるほどの暑いアスファルトとはうって変わって、店は空調が程よくきいている。
集中できそうだ。
俺はバックパックから本を取りだして読み始めた。
店には店主のコーヒーを淹れる音が静かに響く。
沸騰したお湯の音、水の音にはリラックス効果があるのだったか。
本を読み進めていると、マスターがコーヒーとアイスクリームをもってきた。
俺は本を閉じ、顔を上げた。
グラスが丁寧にテーブルに置かれた。
コルクのコースターに水滴がしみこむ。
テーブルにおいてある鉄製の缶から角砂糖を取り出し、一つカップに落とした。
撹拌棒でかき回し、グラスを口に近づける。
しかしマスターの、あれ、というつぶやきで動きを止める。
俺は何事かと顔を向ける。
マスターは俺の本に指を指して尋ねた。
「それ──プログラミングの本ですか?」
思ってもいない反応に少し驚いた。
「ああ、そうです。デザインパターンの解説書ですよ」
プログラミングの本に反応するなんて。
かつてはプログラマだったのだろうか。
「デザインパターンね……。よくわからないけど要するにプログラミング好きなんですか?」
「はい。好きですよ。大学も情報系ですし」
デザインパターンを知らないならば少なくともプログラマではなさそうだ。
しかしプログラマではないのになぜプログラミングに反応するのだろうか。
もしかして喫茶店のウェブページを作るためにウェブエンジニアを募集しているとかそんなことがあったりするのだろうか。
俺はなぜそんなにプログラミングに関心があるのか、口を開こうとした。
しかしその瞬間、ドアベルに遮られてしまった。
店の扉が勢い良く開いた。
暑い暑いと少女の声が聞こえた。
店に入ってきたのは少女だった。
中学生くらいの背丈に、栗色のボサボサの髪。
彼女はゾンビのようにゆらゆらと歩みをすすめる。
青白い肌が実に不健康そうだ。
暑い暑いとしきりにつぶやきながら店の一番角の席に倒れ込むように座る。
「おすすめアイスミルクたっぷり」
唸るようにそうつぶやくと机に突っ伏した。
中学生が喫茶店なんて、随分しゃれているな。
俺が中学生の頃なんてデパートのベンチにコーラが定番だった。
マスターはちょっと失礼と、ウィンクをしてカウンターに向かう。
男からウィンクをされてもちっとも嬉しくないのだが。
ため息を一つしてから、すこし溶けかかったアイスクリームを口に運ぶ。
なかなか美味しい。
濃厚なミルクの風味が口に広がる。
アイスコーヒーも酸味が程よく美味だ。
味のレベルは結構高いと思うのだが、どうしてこんなに客が居ないんだろうか。
まあ俺の知ったことではないな。
さて、本を読み進めるか。
俺は本を手に取り、続きのページを開く。
翻訳本特有の単調な日本語も頭にスラスラとはいってくる。
やはり環境は大事だ。
革靴の音が目の前を横切る。
グラスと机がぶつかる音。
はい、とマスターの声。
「んー」と女の子が唸る。
音が耳につく。
俺は神経症だ。
決して座っている女の子が気になるから耳をすませているというわけではない。
断じて違うぞ。
「渚ちゃん。また夜更かし?」
「んー。ちょっと忙しくて。さっき起きたばかり」
渚というのか彼女は。
おっと、本に集中しなければ。
「ちゃんと寝ないとだめよ。育ち盛りなんだから」
「寝てるよ。ちょっと寝るのが遅くておきるのも遅いだけなんだから」
それは"ちゃんと"寝てるとは言わないぞ、中学生。
そういえば、とマスターが手をたたく。
突然声が明瞭に聞こえなくなった。
内緒話か。
一体何を話しているのだろうか。
「あの人?」
渚がマスターに訊いた。
渚は普通のトーンで会話を続けている。
この店には三人しか居ないが、”あの”という指示代名詞から察するに俺のことを言っているのか。
本どころではないぞこれは。
視線を感じる。
「え、やだよ」
何を拒否している。
「いいよ。面倒だから」
渚は心底面倒くさそうにこたえている。
「え、本当?アイス二つ?でもなあ……」
何に折れそうになってるのだ。
「分かったよ」
渚の何かへの同意の声とともに、椅子がひかれる音がした。
すると二つの足音がこちらに向かってくる。
耐えられず俺は顔を上げた。
渚とマスターが目の前にたっていた。
彼女は仏頂面だ。
するとマスターが満面のえみで言う。
「お兄さん。プログラミング好きなんですよね?彼女もプログラミングが好きなんですよ〜」
「へえ。そうなんですか」
無関心を装うのでいっぱいだった。
こういうシチュエーションは俺が最も苦手とするものの一つだ。
限界が近い。
「まあなにかの縁だから。ご一緒したら?」
マスターが渚の背中をたたき促すと、彼女は目の前の椅子に座った。
渚は目を合わせようとしない。
「アイスもってくるね、渚ちゃん」
マスターはスキップをしながらカウンターへと向かった。
気まずい。
彼女はハンドヘルドPCをぽちぽちと操作している。
キーボードの音のみが響く。
とにかく何か話しかけないともちそうにない。
幸いなことに俺はPCヲタクだから、彼女の操作するデバイスを知っていた。
彼女の両手で握りしめている機械、俺はそれをそっと指差し口を開く。
「それーーnetwalkerだよね」
渚は驚いたように目を見開いて、うなずいた。
netwalkerといえば八年も九年も前のウルトラモバイルPCだ。
未だにOSのカーネルをチューニングして使っているハッカーもいるが。
そもそも少し前までウルトラモバイルPCはあまり市場にはあまり出回らないので古いデバイスも大事にされていることが多いけれど。
彼女のような若い子がそんなものを使っているなんて、よほどのこだわりがあるのだろう。
バッテリとかへたらないのかな、と続けると、彼女はつぶやくように言った。
「バッテリセルを交換したから」
「ふうん。でももう10年くらい前のデバイスだよね。ろくにネットもできないんじゃ?」
「カーネルをチューニングしてるし、そもそもsshでメインマシンに繋いでるからマシンパワーはあんまり必要じゃないから」
驚いた。
カーネルハックする中学生の女の子なんてファンタジーだ。
ハックする箇所にもよるだろうが、計算機科学に通ずる知識でもって操作しなければ到底ハックし得ない。
「凄いね。カーネルハッキング?俺はカーネルなんてUNIX V6のコードをちょこっと読んで挫折しちゃったよ」
俺が賞賛の声をあげると、彼女は首の骨まっぷたつになるかのごとくにうつむいた。
「す、凄くないよ……」
彼女は謙遜をするが、凄まじい技術力を持っていることは明らかだ。
大学内でもそうそうこのような人材にはお目にかかれない。
まあうちの大学は全体的にレベルが低いのだが……。
そうこうしている間に、マスターがカウンターからアイスを持ってきた。
「渚ちゃん。アイス持ってきたよ」
マスターがまたウィンクを俺に向けてくる。
何を期待されているのだろうか。
渚は目の前に置かれたスプーンを勢い良く掴み、アイスを食べ始めた。
みるみるうちにアイスが減っていく。
のどが渇いていたのかな。
俺は彼女に、UMPCで何の作業をしているのか尋ねようと口を開いた。
しかし言葉の途中でいきなり渚が勢い良く立ち上がり、今日はもう帰ると弱々しくつぶやいた。テーブルのマシンをつかむと、すこし頭をこちらに下げ、踵を返した。
ふらふらと出口に向かう渚にマスターが慌てて駆け寄り見送りに行く。
俺、何かしたかな。
女の子と久しぶりに話したから、顔が歪んで般若のような表情をしていたとか?
まさかね。もしかしたら嫌われたかな。そうするとこの喫茶店は行きづらくなるな。
彼女、マスターには懐いているみたいだし、常連客なのだろう。
見送りを終えたマスターが俺のもとに歩み寄ってくる。
怒られるのか。
俺はとりあえず謝罪しようと腰を浮かすと、マスターがごめんなさいねと苦笑した。
「渚ちゃん。すこし恥ずかしがり屋なんだ。プログラミングが好きなあなたなら打ち解けると思ったんだけど……」
ちょっとむずかしかったかな、とマスターが付け加える。
俺は、すこし、いやかなり恥ずかしかったし言葉を探すのに戸惑ったがーー。
「楽しかったですよ。彼女と話すの」
え、とマスターが驚いたようにこちらをみる。
「彼女は──その──技術力が高そうだし。なんたってカーネルハッキングしてるくらいですし。それで古いUMPCを大事に使ってて、その──趣味というか、フェチが共通してるっていうか、なんというか」
しどろもどろに答えるが、マスターは笑みをうかべて促してくれる。
「とにかく、俺はその──ええっと──良かったです」
緊張して口元が歪んでしまった。
恥ずかしさで息が上がってしまって、顔も熱くなってくる。
なんだか変態的な物言いになってしまったし、これではまるでロリコンのようじゃないか。
俺は飲みかけのコーヒーを一気に呷り、バックパックと本を手に取ると、会計お願いしますと一言口にし、レジへと向かった。
俺苦手なんだよ、自分の気持ちを人に伝えるの。
なんとか会計を済まし、ドアノブに手をかける。
するとマスターが背後から、またのご来店お待ちしておりますよと声をかけてくる。
顔は彼に向けずに軽く頭を下げ、扉を開ける。
湿気と熱気をはらんだ空気が全身にまとわりつく。
セミの鳴き声。
どこからか自転車のベル。
一歩を踏み出す。
冷房で冷えた体に血が流れていく。
半袖からでる腕は太陽に焼かれる。
扉をしめる。
渚ちゃんをよろしく、そう後ろから聞こえた。
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