第17話 EPILOGUE
七菜はこの日、最愛な目覚め方をした。
『朝だぞ起きろ。朝だぞ起きろ。朝だぞ起きろ。』
部屋に響くは、不安と決意が同居した兄の声。
気まぐれな天気みたいな声色が、七菜を夢の世界からそっと抱き上げてくれる。
『朝だぞ起きろ。朝だぞ起き・・』
七菜が目覚まし時計にそっと触れると、李空の声はピタリと止んだ。
ぱっちりと開いた七菜の瞳。
その内側に、新しい世界が映り込む。
上体を起こし、なにかを確認するように固まる七菜。
しばらくの間そうしていたが、やがて静かに起き上がった。
彼女の容姿は幾らか変化していた。
最も目につく変化は、髪だろう。腰の辺りまであった艶やかな長い黒髪は、バッサリと短くなっている。
ショートの髪型と開眼した瞳からはフレッシュな印象を、健康的に成長した体からは時の流れを感じさせられる。
数刻後。七菜は机に向かった。
机上に広げるは、真っ白な便箋。
少し考える素振りを見せた後、七菜は品を感じる所作で筆を取った。
拝啓
人類の存続をかけたあの闘いより、5年の月日が流れました。
敬愛なるくうにいさま。貴方は今、どこにいるのでしょうか。
アムダに勝利を収めた直後。
七菜とくうにいさまの視界は、断ち切られてしまいました。
その理由は、後になって判りました。
世界から「才」という理の一切が消えたのです。
あの後、くうにいさまが闘った地にも伺いました。
しかし、そこには一本の「樹」があるだけでした。
大穴の代わりに出現した樹は、今もその地に陰を生んでいます。
訪れた者の心を休める、優しい陰を。
さて、くうにいさまが消えた世界でも、時間は平等に流れています。
それは非常に平和で、非情に残酷なことです。
この5年で起きた目まぐるしい変化に。
いつの日か帰ってきたくうにいさまが混乱しないように。
才が消えた後の世界を、ここに書き記しておきたいと思います。
広がる大自然に上手く溶け込んだ立派な家の前に、一人の少年の姿があった。
「ゴーラおじさーん!貰いにきたよー!」
少年が弾んだ声で叫ぶ。
しばらくして、家の戸が豪快に開いた。
「おじさんじゃねえ。なんべん言ったら分かるんだ」
顔を見せたのはゴーラだ。
声色には迫力があるが、その顔には優しさが滲み出ている。
少年とゴーラは、家の付き合いで古くから面識があった。
ゴーラにとって少年は歳の離れた弟、もしくは子どもような認識だ。
「それで。何を貰いにきたんだ?」
「えー!忘れたの?」
とぼけた顔をするゴーラに、少年が不満を露わにする。
少年は、ゴーラの家に竜を授かりに訪ねたのだ。
才という理が消えた後も、愛竜の制度は健在であった。
「冗談だよ。ついてこい」
ゴーラはしてやったり顔で笑い、歩き出した。
頬をぷくーと膨らませながら、少年も後に続く。
「あれ?どこまで行くの?」
庭にある竜小屋を通り過ぎ、ゴーラは水飲み場がある場所へと進む。
「コイツがお前の愛竜だ」
そこあったのは、あまり綺麗とは呼べない竜小屋。
その中には、他の子竜と比べて一回り小柄な竜の姿があった。
「えー。なんか弱そー」
「ふっ。お前もまだ若いな」
残念がる少年に、ゴーラが笑みを溢す。
と、二人を覆い隠すように影が発生した。
「お!帰ってきたか」
「クオン!」
その発生源は二匹の竜。
内一匹の竜である、ゴーラの愛竜クオンが、二人の間に優雅に降り立った。
そしてもう一匹。
立派な両翼を携えた竜が、少し離れた場所に着地する。
「どうでござったか?空の旅は?」
その背にいたのは伊藤卓男、竜は彼の愛竜ムルムルである。
「うーん。流石にもう飽きたかな」
そして背上にはもう一人。
サイストラグル実況者として名を馳せていた、ミトの姿もあった。
才がなくなったことで当然サイストラグルもなくなり、ミトは実況を引退。
紆余曲折を経て、今は卓男と共にゴーラの家にお世話になっているのだった。
「それより早く今期のアニメをチェックするよ!」
「ござ!ミト殿もすっかり同志でござるな!」
卓男が敬礼し、二人は駆け足で家に戻っていった。
その背中を見送り、ゴーラが口を開く。
「人と人とが影響し合うように、竜もまた人と共に成長する。主人と愛竜のあるべき関係とはそういうモノだ」
ゴーラの言葉を受け、少年が視線を子竜に移す。
「くぅ!」
自分の愛竜となる小柄な子竜は、嬉しそうに鳴き声をあげた。
一面「白」の大地を一望できる崖の上で、男は盃に口をつけていた。
「あっちの世界はどうだ。ジジイ」
その男とはシンであった。
目前には控えめなサイズの墓があり、バッカーサの名が刻まれている。
シンの隣では、アーチヤが健気に手を合わせていた。
「アーチヤは、シンと皆と元気にやってるよ」
彼女の胸元では、金色のペンダントが輝いている。
「そろそろ帰るか。セイの道場に顔を出す約束をしてるしな」
最後に盃を掲げると、シンは墓の頭から中身を溢した。
墓石の輪郭をなぞり、酒が大地に染み込んでいく。
果たして酒が見せた幻か。
シンの目には、盃を掲げるバッカーサの姿が見えた。
「達者でな」
踵を返し、シンとアーチヤの二人が並んで歩く。
「シンもセイも、ご飯までには戻ってきてよ。キャスタが怒るから」
「ああ。セイに一太刀浴びせられたらな」
「はあ。それじゃあ帰ってこれないね」
「なんだと」
足並み揃った二人の足跡が、「白」の大地に真っ直ぐな道を築いていた。
神殿内の一所に、マテナは佇んでいた。
「やっぱりここだったか」
背後から聞こえた声にマテナが振り返る。
そこにはポセイドゥンの姿が。少し遅れてハテスも姿を見せた。
「もうじきセウズとユノが帰る。出迎えの準備をするぞ」
「ええ。今行きます」
マテナが返事すると、二人は神殿の正面へと回った。
「パラスの想い、しっかり届いてますよ」
マテナは最後に首だけ振り返り、そんな言葉を残した。
神殿内の農園。そこには立派な実をつけたオリーブの木が。
その姿は、立ち去るマテナを優しく見送っているように見えた。
地上三階から地下三階。
巨大な建物のような地形の最上に、二人の男の姿があった。
「いい天気だな」
「たいYO!が眩しいYO!」
アイ・ソ・ヴァーンとキンペー・ラ・セッシャーは、空を眺めていた。
才が消え、この土地にも変化があった。
具体的には、各地区に設置されたワープゲートが消滅したのだ。
これにより、各地区の移動は実質不可能に。
そんな状態を改善すべく動いたのは、テー・シ・デルタであった。
闘いの後、デルタは父親に認められ「シ族」の新たな長となった。
して、任命された直後。デルタは「シ族」の屋敷である「三重塔」を放棄し、一般に開放した。
意図は、各地区を繋ぐ存在とするため。
この日から「三重塔」は、この土地の「梯子」の役を果たす存在となったのだ。
「どうしたの?空なんか見上げて」
ヴァーンとセッシャーの背後から、声が投げかけられる。
そこには、少したくましくなったように見えるデルタの姿があった。
「世界のリズムもすっかり変わったと思ってな」
試すような視線をデルタに向けて、ヴァーンが口にする。
「そうだね。平和なリズムだ」
際限なく広がる大空を見上げ、デルタは答えた。
寺院では、異様なゲーム風景があった。
「はい。チェックメイト」
盤上のコマを移動させ、スートが告げる。
それも二つ同時。更には別競技の駒。
彼は左右に陣取る対戦相手に、同時にチャックメイトをかけたのだ。
「参りました」
「やっぱ強えな」
ハクとソーが言葉を吐く。
スートは勝利の余韻に浸る暇なく、視線を盤に戻した。
スートの周りには、彼を囲むようにして卓が四つあった。
なんと、彼は別々のゲームで四人を同時に相手していたのだ。
最初にチュンに勝利を収め、次いでハクとソーを同時に撃破。
早々に敗退したチュンは、「やっぱりこっちの方が面白いや」と、携帯型のゲーム機に視線を落としている。
して、スートの残す相手だが、弟のハツだけである。
「これでどうです」
「ふむ。紳士とは程遠い手だね」
ハツの一手に、スートが嬉しそうに笑みを溢す。
珍しく考える素振りを見せた後、スートは滑らかな手つきで次の一手を打った。
「・・詰み、ですね」
ハツは自嘲気味に笑い、両手をあげた。
ハツの一手は、スートに勝つために彼が編み出した、奇策と呼ぶにふさわしい代物であった。
相手目線では一見悪手に思えるが、対応を間違えると致命的となる一手だ。
おそらくは初めて見るだろう、ハツが仕掛けた奇策に対して、スートは無数にある内の最適解を即座に導き出した。
罠に気づかれ、考え得る最も嫌う手で返された。ハツの完敗というわけだ。
「少しは楽しめたよ」
寺院を去ろうと歩き出すスート。
丁度その時、入り口に大きな男が姿を見せた。
「おう、なんだ。もう終わっちまったのか」
その大男とは、ワンであった。
寺院内を見渡し、何やら残念そうにしている。
「なんだい?君もやりたかったのかい?」
「そうだな。シメにもう一本どうだ?」
スートが薄く笑う。
「いいよ。力勝負以外なら」
「よし。腕相撲にしよう」
「・・はなし聞いてた?」
呆れ顔のスート。
寺院に和やかな空気が流れた。
「いやあ。ここに来るんも久しぶりやなあ」
「はあ。あちきは反対したでありんすからね」
軒坂平吉と借倉架純は、とある一軒家を訪れていた。
何を隠そう、そこというのは架純の実家である。
嫌がる架純を説得し、平吉はある目的を持って借倉邸までやって来たのだ。
「後悔してもしらないでありんすよ」
「ちゃうちゃう。後悔せんように来とんねや」
会話を交えながら、二人は歩く。
扉を開き、中に入る。
その先には、寝たきり状態の架純の父親が居た。
上体を起こすように設置されたベッド。
細い腕に血色が悪い顔。弱り切った男は、空な目で二人を見ている。
「お久しぶりです」
動揺を一切見せず、平吉は男の隣に歩みを進めた。
「話したいことは沢山ありますが、今日は一つ、宣言にきました」
それから深々と頭を下げる。
「架純さんを幸せにします。ワイの一生をかけて。そんだけです」
「・・・・・・」
男の目は虚空を捉え、返事はない。
「だから言ったでありんす。さっさと帰るでありんすよ」
見ていられないと言わんばかりに、架純が部屋を出ようとする。
「・・・り」
耳に届いた声に、ドアノブに伸ばしていた架純の手がピタッと止まった。
「おかえり」
その声は、架純の父親の口から発せられていた。
目は空なままだが、視線は架純へと注がれている。
「・・・・・ただいま、でありんす」
小さな声で呟き、架純は足早に部屋を出た。
「・・次はワイんとこも片さんとな」
平吉は、優しい笑みをたたえて呟いた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
墨桜京夜は、堀川美波の手を必死に握っていた。
「・・きょうや、くん」
横になる美波は非常に苦しそうだ。
永遠とも思える時間が過ぎ去り、一室に泣き声が響く。
京夜の目から、自然と涙が溢れた。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
続いて笑みが溢れる。
たった今、京夜と美波の子どもが産まれたのだ。
「美波さん、お疲れ様」
「・・うん。京夜くんも、ありがとう」
美波はぐったりとしている。
「さあ、抱いてあげて下さい」
助産師さんがやってきて、赤子を美波に差し出す。
赤子を抱き、美波が優しく微笑む。
それから何か思い出したように、視線を京夜に向けた。
「そうだ。名前、考えてくれた?」
「・・うん」
京夜は少し照れた表情をし、それからゆっくりと口を開いた。
「よみ。夜の海と書いて夜海はどうかな?」
「夜海。・・うん、良いと思う」
二人の視線が赤子に注がれる。
母と父の愛に気づいたのか。
夜海は泣き止み、ニコリと笑った。
───と、世界は形を変えていきました。
海千兄弟のお二人が再び体型を入れ替えたり、
翼ちゃんが六下先生と三上先生と一緒に住むようになったり、
七菜の周りだけ見ても、変化は明確です。
きっとそれは、七菜の目が届かないところでも。
世界は、一分一秒。刻々と色を変えています。
それは世界が生きているという、なによりの証拠。
そして、この「生」を守ったのは、他の誰でもない。
くうにいさまです。
人類を代表して、最大限の感謝をここに記します。
・・・と、そうでした。
最後に七菜についてですが─── 。
トン、トン、トン。
部屋に響く三度のノック。
「どうぞ」と、七菜が返事をすれば、部屋の扉がそっと開いた。
「時間だよ」
そこに姿を見せたのは、犬飼みちるその人であった。
「うん。わかった」
七菜はそっと筆を置くと、別室へと移動した。
「どうかな?」
次に移動先の部屋から出てきた時、七菜は立派なドレスを身に纏っていた。
純白の美しいドレスだ。
「よく似合ってるよ」
みちるは少し照れ臭そうに笑った。
それから揃って歩く。
やがて二人は、立派なベランダの前までやってきた。
「本当にこれでいいのかな?」
「大丈夫。皆、認めてくれるよ」
みちるの言葉に、コクリと頷く七菜。
「さあ、これを」
続いてみちるは、七菜に立派な王冠を差し出した。
「ううん。七菜はこれが良い」
七菜はそれを断ると、代わりに極めてシンプルなカチューシャを頭に装着した。
「そうだね。うん、それが良い」
みちるも納得し、頷く。
程なくして、七菜はベランダに一歩踏み出した。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
建物二階のベランダから、深々と頭を下げる七菜。
その下には、辺りを覆い尽くすほどの人々が集まっていた。
「晴天に恵まれた今日という日は、この世界にとって大きな意味を持ちます」
青空の下、民に向けて七菜が告げる。
「ただいまこの時より、零から陸の国は一つとなり───」
目一杯の息を吸い込んで、はっきりと。
「私、透灰七菜が治める『七の国』となることを、ここに宣言します」
───・・・
「いい匂いだな」
「あっ!りっくん起きた!」
「何の匂いだ?」
「今日のご飯だよ。ドーナツとおにぎり!」
「凄い組み合わせだな」
「ありがと!さあ、食べて!」
「・・ドーナツもおにぎりも丸いのな」
「そうだよ!穴が空いてるのも三角もダメだもん!」
「そうか。さすが真夏だな」
「うん!まんまるが一番だよ」
「───お腹いっぱいになったら、眠くなってきたな」
「───真夏も。いっしょに寝よ」
「ああ。次に起きた時は、どこか出掛けようか」
「うん。楽しみにしてるね!」
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
・・・───
TEENAGE STRUGGLE 其ノ陸 にわか @niwakawin
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