第16話 TEENAGE STRUGGLE


「ここは・・・・」


恐らくはアムダの手によって移動させられた場所。

それは、李空にとって馴染みの深い地であった。


その場所とは、イチノクニ学院の端も端。マイナーなスポーツの練習に多く用いられる第5グラウンドの更に外れ。

生い茂る草木が囲み、周囲の目が届きにくいその場所は、李空の才が開花するきっかけとなった、伝説の始まりの場所だ。


しかし、馴染みのないモノもあった。


その地に開いた『アンダーフローホール』なる大穴。

ソレを埋めるようにして、なんと零ノ国に存在していた『真ノ王像』が迫り上がっていたのだ。


「変わらないな」


像を見上げて、アムダがポツリと呟く。


「・・っくん!」

「・・・・ん?」


その視線の先から、声が聞こえてきた。

李空にとっては聞き覚えのある、馴染みの深い声だ。


「り〜っくん!」

「真夏!?」


間違いようがない。

その声とは、晴乃智真夏のものであった。


『真ノ王像』の掌の上。

非常に精巧でいて巨大な人型の像。その像の両手。太陽に向けられた両の掌上に、真夏の姿はあった。


「これも褒美だ。奴には世話になったようだからな」


『リ・エンジニアリング』を実行するための『鍵』として、『ドゥオデキム』に幽閉されていた真夏。

その役を果たした対価として、真夏は見届け人として入場を認められたのだ。


「りっくん!負けちゃダメだよ!!」


才の効果か。

真夏の声が、そっくりそのままエネルギーとなって、李空の体内から湧き上がる。


七菜と真夏。

二人の力が李空に宿り、無限の自信が溢れてくる。


「ああ。わかってる」


身に纏う、イチノクニ学院の制服。

李空は「玄」色のネクタイをサッと外すと、空に向かって投げ捨てた。




『アムダ VS 透灰李空』


「さて、まずはリングの創造からだな」


アムダが呟けば、辺りに明確な変化が訪れた。

その変化を一言で表すなら、超常。


なんと、イチノクニ学院に存在する五つのグラウンドと体育館が、それぞれ意思を持ったように動き出したのだ。


ソレらは、李空とアムダを四方から囲むように、はたまた地面に滑り込むようにして、移動した。

四つのグラウンドと体育館は重力をまるで無視して垂直に、第五のグラウンドと体育館は二人を支える新たな足場として、存在を確立した。


それぞれの大きさはバラバラであった筈だが、これもアムダの仕業か、それぞれ同じ大きさに調整がされている。


頭上の空を合わせれば、六面の立方体。

頂上決戦にふさわしい「箱」が完成した。


「さあ始めようか」


まず手始めと、アムダが右手を伸ばす。

その掌に高濃度のエネルギーが凝縮。眩い闇の閃光が、李空に向かって放たれた。


「挨拶にしては派手すぎるな」


これに李空は全く同じ動きで応戦。眩い光の閃光が放たれる。


二つの閃光が衝突。

少し遅れて、耳を劈くような音が「箱」内部で反響した。


「りっくん・・・・」


超常的な現象を前に、真夏は不安気に言葉を漏らした。



「次はこっちからいくぞ」


李空の体が一瞬で消える。

次の瞬間には、アムダのすぐ横に。頭の高さまで上がった蹴りが、アムダの頭部を襲う。


「遅い」


それを手の甲で防ぐアムダ。衝撃は見事に吸収され、ドーナツ形の空気の波が二人を中心に外側へ。

李空は片足立ちの状態のまま停止した。


「ぐっ」


続いてアムダが李空の頭を掴む。

そのままボールでも放るかのような身のこなしで、李空をぶん投げた。


「・・・いたt!?」


垂直に存在する体育館の一つに屋根から突っ込んだ李空。

そこに間髪入れず、舞起こる砂埃を晴らす勢いで、こちらに迫るアムダが視界に映る。


たまらず李空は緊急退避。

自然を味方に付けたかのような動きで、ふわりと起こる風に合わせてその場から飛び退くと、もと居た場所にアムダが降ってきた。


その衝撃は凄まじく、隕石でも落ちたのかと錯覚するほどであった。


「少しは楽しめそうだな」


立ち上がるアムダが左拳を掲げる。

この場合の上とは、向かい合う面。破れた屋根からは、空にぶら下がるようにして存在する、別のグラウンドや体育館が見える。


それだけでも奇天烈だが、さらに摩訶不思議は起きた。

上空の体育館が、突如重力を認識したかのように、真っ逆さまに落下を始めたのだ。


「目には目を、だな」


光る目が落下する体育館を認めると、李空は右拳を掲げた。


それに合わせて異変が起きた。

李空とアムダが今居る体育館が、二人を残して、メキメキと音を立てながら浮いたのだ。


落下する体育館と、浮上する体育館。

二つは二人の頭上でぶつかり合い、粉々に砕けた。


「終末の光景だな」


瓦礫の雨の中、李空は呟いた。



李空とアムダ。人類代表と神代理の闘いは、人の域を超えていた。


垂直のグラウンドを駆け回り、未知の物質が飛び交う。

常人では目で追いきれない攻防は、言葉の通り光の速さだ。


五つの面を縦横無尽に行き来し、派手な技の応酬が繰り広げられる。

閃光、爆音、衝撃。箱の内部は混沌と化した。


「ついてくるので精一杯といったところか」


疲労を塵ほど見せぬ顔色で、アムダが呟く。


二人の戦況は拮抗しているようにも見えたが、実際のところは違った。

李空の攻撃の全ては後手。アムダの攻撃に合わせて才を発動している状態であり、辛うじて致命傷を逃れているといった具合だ。


「・・化け物だな」


アムダと打って変わり、李空の顔には疲労が浮かんでいる。


「りっくん・・」


二人の闘いを見守る真夏が、手を握り合わせて祈りのポーズを取る。


真夏を掌に載せた『真ノ王像』は、無傷であった。

像には、あらゆる衝撃を受け付けない制約が付与されているのだ。


制約をあたえたのはアムダ。

『真ノ王像』はそこに在りながら、そこには存在しない。不可侵領域といったところだ。


『「ハレ」ノ名ヲ継グ者』


その時。声が聞こえた。

脳に直接語りかけられているような、不思議な声だ。



「だれ?」

『貴方ノ源ダヨ』

「みなもと?」

『ウン。コノ闘イヲ生ミ出シタノハ、私達ノ過チ。コンナコトヲ頼ムノハ自分勝手カモシレナイケド、私達ノ娘ニ、ソノ主人ニ、貴方ノ力ヲ貸シテアゲテ。人ヲ想ウ気持チハ、絶対ダカラ』



「───うん。わかったよ!」


真夏は一人、深く頷いた。



(これは・・)


李空は、自身に起こった変化に驚いた。


その発端は心臓。自身の心臓がドクンと力強く跳ねたかと思うと、体が一気に熱を帯びたのだ。

血の廻りが手に取るように分かる。体が燃えるように熱い。


今なら無限に動ける。そんな抽象的な考えが、李空の全身を駆け巡った。


「ありがとう。真夏」


自分の身体に起きた変化が、真夏の才『リピート』によるものだと察し、李空が呟く。

そのまま、一段階上がったスピードでアムダに向かって駆けた。


(ギアが上がった?)


李空の拳を掌で受け止め、アムダはわずかに首を捻った。


そのまま李空の拳を掴もうとするも、それよりも早く李空は拳を引き、続いて蹴りを打ち込んだ。

体重の乗った重い蹴り。その爪先がアムダのこめかみを捉えた。


「っ!」


吹っ飛ぶアムダ。

弾丸のようなスピードで、最後に残っていた体育館に突っ込んだ。


「・・ダメだ。手応えがない」


李空は表情を変えず、アムダが飛んでいった、垂直に存在する体育館へと向かった。

空中で身を翻す様は、重力に類する世界の理が、初めからそうであったと勘違いする程に滑らかなものであった。


「そう盛るな」


頭から降ってくる李空に向けて、アムダが手を伸ばす。

傷を負った様子は一切なく、何事もなかったようにピンピンしている。


伸ばした腕からは、高威力の闇の光線が。


「視える。進むべき道が」


落下する李空には、闇の光線がスローに見えていた。


それは七菜の才『コンパイル』の影響だ。

元より共有されていた七菜の目は、真夏の才によってより強力に。


さらに、身体能力が向上したことで、速くて遅い世界の中でも自分の体を自在に動かすことが可能になっていた。


李空が起こしたアクションは極めてシンプルであった。

目一杯に息を吸い、吐いたのだ。


それは口を閉じることに失敗した風船のように。李空の体は宙を泳いだ。

闇の光線の外周をなぞるように落下。李空に当たらず、対面に到達した光線は、派手な爆発音を響かせた。


「うむ。悪くない動きだ」


無傷で正面に着地した李空に、アムダが言葉を吐く。


それから「箱」をぐるりと見回す。

二人の闘いにより、五つあった体育館は全て倒壊し、グラウンドも枯れたようになっている。


「この箱も替え時だな」


アムダが呟くと、「箱」の内部が一変した。


(なんだ、これは・・)


李空は、新たな「世界」に寒気を感じた。



「世界のチャネルを変更した。思う存分暴れて問題ないぞ」


その「箱」の中は、色々と妙だった。

初めに感じた寒気もさながら、何と驚くことに全ての方向が逆であった。


右足を踏み出そうとすれば、左足が一歩引かれる。


しかし、そんなことは今の李空にとって子供騙しにすらなっておらず、すぐに順応した。


「準備はオーケーだ。いつでもいける」


あべこべを自分の中であべこべにし、脈打つ血の廻りが寒気を取っ払う。

空は隠れ、灰色の薄暗い世界の中でも、李空の光る目は真っ直ぐにアムダを見据える。


「我もようやく体が起きてきた。始めようか」


草葉の陰であった筈の場所。灰色の「箱」の中で、李空とアムダが相対する。


まず先に動いたのはアムダの方であった。

彼が起こしたのは、片手を胸の前に出す片合掌、それのみ。


「『阿無陀如来』」


それに呼応して、「箱」内部に明確な変化があった。


チャネルが変わっても変わらずそこに存在していた『真ノ王像』が、眩く光ったのだ。

それから地響きのような音が鳴り始めたかと思うと、王像はなんと上体を動かしたのだった。


「キャ!」


王像の掌の上にいた真夏が落下。


「真夏!」


探知した李空がすかさず才を発動。発現した透明な球体は、シャボン玉のようにぷかぷかと浮かび、真夏をその内に捉えた。


「よくも───」


アムダに文句を言う暇もなく、黄金に光る『真ノ王像』が李空を襲った。


上から覆いかぶせるように迫る巨大な掌。

ソレを光る目で捉え、跳び退いて躱す。


「目は良いようだな」


その様子を、アムダは無表情で観察している。


「だが、所詮は人間だ」

「───っ!」


跳び退いた先。そこには王像、「如来」のもう片方の掌が迫っていた。

李空は光る目でその存在にいち早く気づいたが、対応できなかった。


それほどに素早い動き。

洗練された「如来」の動きは、今の李空にも神速に映った。


「如来」の平手打ちにより、李空の体が水平に飛んでいく。

衝撃に脳が揺れ、視界がぐるぐると回る中、李空は才を発動。空中で急ブレーキを踏むようにして、停止した。


(・・追っては来ないか)


視線の先。「如来」が李空を追ってくる気配はない。

どうやら「如来」は、自らの足で動く気はないようだ。間合いに入れば神速の掌が襲ってくるが、十分に距離を取っていれば先ず安全。


と、決めつけるのは危険だが、「如来」に気を取られすぎてはアムダへの警戒が緩んでしまう。

今は「如来」への警戒も程々に、アムダに意識を集中させるべきだろう。


「我に標準を定める。実に懸命な判断だ」


空中に浮いたままギアを入れ、こちらに向かってくる李空。

その動きに、アムダは合掌で応えた。


「これは・・」


その時。李空はアムダの背中に後光を見た。



闇を纏った不気味な光。

ソレと共に、アムダの背中からは無数の腕が伸びた


「『阿無陀来慈』」


黒くて細い腕の一つ一つは、李空を掴まんと迫った。


「速い!」


黒腕は蛇のような動きで李空を追い詰める。

その速さもさることながら、数の多さが脅威であった。


李空は、人の限界を超えた身のこなしで、腕を躱し続けた。


光る目で腕の動きを捉え、熱い体を酷使する。


(息が続かない・・)


いかに才の力を借りているとはいえ、生身の体。

李空の体には限界が近づいていた。


(そうか、酸素が薄いんだ・・・・)


それは、膨大な運動量に加え、この世界の環境が関係していた。


李空が気づいたように、灰色の箱の中は酸素が薄い。

今の李空は爆発的な機動力を手にするために、血の廻りを早めている。それに合わせて呼吸量も増大。酸素が薄いという条件は、致命的であった。


体が重い。視界が狭まる。


「いいのか?そこは『如来』の領域だぞ」

「しまっ──」


黒腕に気を取られ、失念していた。


パンッ。


「如来」の間合いに入った瞬間。李空の世界は闇に落ちた。


まるで人間が飛び回る蚊を叩くように。

「如来」の掌と掌が、李空を内側に閉じ込める。


次に「如来」が掌を開くと、李空は気を失っているのか真っ逆さまに落下した。


そこに追い討ちをかけるように、黒腕が李空の体に迫る。

ある腕は李空の体に絡みつき、ある腕は拳を打ち込む。


そこに追い討ちをかけるように、「如来」の握り合わせた拳が。


「ぐはっ!」


李空は箱を壊すかのような勢いで、地面に打ち付けられた。


衝撃は勿論のこと。無理がたたったのか、口から血が溢れ出す。


「終わりだな」


倒れる李空にアムダが無情に近寄る。

そのまま頭を鷲掴みにし、片手で持ち上げた。


「我の勝ちだ」


李空の体はズタボロであった。所々から出血し、外傷が目立つ。

最後の抵抗と、アムダを睨みつけていた目から、段々と光が失われた。


「りっくん!!」


透明な球体の中から真夏が叫ぶが、内側で籠もって李空の耳には届かない。


「・・・・」


李空の顔から生気が失われていく。


激しく脈打っていた心臓の鼓動が、ピタリと止んだ。



(なんだ、これは、走馬灯?)


無数の映像が、自分の周りをぐるぐると回る。

それらは、どれもこれも見覚えのあるものばかりであった。



透灰李空。彼の世界は灰色だった。


何故そうなったのか。李空は心当たりがまるでなかった。

ひどく貧しい家で育っただとか、両親が悲惨な死を迎えただとか、そういったことは一切なかった。


ごく普通な家庭。一般的で普遍的な環境で育った。

歴史を紐解けば特異な血を継いでいたかもしれないが、そんなことは知る由もない事実であった。


物心がついた頃から、李空は言葉では言い表せない疎外感を感じていた。

それは世界と自分とが上手くハマっていないような、なんともいえない窮屈感であった。


李空は、誰にでも優しく接した。

それは善意というよりも、世界に馴染むためための処世術であったように思う。


そんな中、真夏という存在は李空にとって眩しすぎた。

どこまでも素直で、どこまでも真っ直ぐ。李空の目には、真夏はそれこそ太陽のように輝いて見えた。


京夜も同じだ。

不器用ながらも、世界と真っ直ぐ向き合っている。李空にとっては彼もまた、世界の内側でもがいている者の一人に見えた。


自分だけ。

自分だけが、世界の外側から内側を眺めている。


その意識は決して優越感を抱くようなものではなく、疎外感を加速させた。


真夏と京夜。彼らに振り回されるのは楽だった。

そうしている時だけは、僅かながら世界に溶け込めているような気がした。


今思えば、二人の間を取り持つような役を担っていたのは、そうすることで自分が世界の一部であると認識したかったからかもしれない。


そんな中、李空は他の男児と同じようにサイストラグルに憧れを抱いていた。

これも純粋な好奇心からというよりは、才を授かれば何かが変わると信じたかったからかもしれない。


そうして授かった、才。


その概要を悟った時、李空は涙したが、それと同時に安堵もしていた。

それはきっと、心のどこかで普遍を望んでいたからだ。


一体、自分は何なのか。

何がしたくて、何がしたくないのか。


李空は、自分で自分がわからない。



『我ガ主人。ダメデス』

「・・・・何が?」

『零ニ呑マレテハイケマセン。生ヲ実感シタ時ヲ思イ出スノデス』

「生を、実感・・・」



李空の周囲を囲む映像が、比較的新しいモノへと移ろう。

それは『TEENAGE STRUGGLE』 を発端とする、闘いの数々であった。


(・・そうだ。命の危機が迫った時、俺は確かに「生」を感じた)


死闘の度、李空は新たな世界の扉が開かれる感覚を覚えていた。

その一つ一つが、今も脳裏に鮮明にこびり付いている。



『世界ハ壱デハアリマセン。存在スル生ノ分、世界ハ在ルノデス。デスガ互イニ歩ミ寄リ、言葉ヲ、時ニハ拳ヲ交エルコトデ、世界ト世界ヲツナギ合ワセテイル』

「・そう、か。俺は自分の世界を見せるのが、否定されるのが怖かったんだ」



李空は人より臆病だった。

故に判断基準が「自分」ではなく「世界」だったのだ。



『優シサハ強サデスガ、強サハ優シサダケデハナイ。時ニ、我儘ガ信頼ノ裏返シデアルヨウニ、人ノ想イトイウノハ裏表ヲヒックリ返ス力ヲ持ツ。想イヲ燃ヤスノデス』



映像が切り替わり、李空の正面。

京夜の言葉が再生される。


"これは我儘だ。この箱を、世界を守ってくれ"


(そうだ。俺は約束したんだ)



「壱はゼロになるまで、その位置はプラスであり続ける。俺、闘うよ」

『ソレデコソ主人デス。私モ全力ヲ尽クシマス。ドウカアノ人ヲ救ッテ下サイ』



「───なんだ?」


李空の頭を鷲掴みにしていたアムダが、言葉を漏らす。


その直後。李空の胸部がドクンと跳ねた。

それは心臓があるのとは逆。右胸であった。



『聞こえるでござるか』

「卓男?」



間違いない。それは卓男の声だった。



『ワイもおるで』

「平吉さん!」

『あちきも』

「架純さん!」



それは李空の才『オートネゴシエーション』による奇跡だった。


彼の才の本質は「共有」。

世界のチャネルが切り替わったことも相まって、『オートネゴシエーション』は真価を発揮。


なんと、六国同盟『サイコロ』を初めとした、大陸の民たちとの接続・共有を可能としたのだ。



『李空ならできるよ』

「みちる!」

『・・負けるな・・李空』

「京夜!」



声の一つ一つが、第二の心臓に届いては、李空の血となって廻る。

壱ノ国代表を筆頭に、他国の代表たちの声も続々と届いた。



『くうにいさま。見えますか?』

「・・ああ。見えてるよ」



李空の目がうっすらと開く。


灰色であった筈の箱。

目覚めた李空の視界には、その箱が透明に映った。


箱の内の全てが、一つの生き物のように繋がって視える。

まるで「世界」と「自分」がリンクしたかのような感覚だ。



『りっくん!』

「真夏」



真夏の声が、身体の内側から響く。


第一の心臓が跳ねる。

静と動。二つの圧倒的エネルギーが、李空を満たした。


「離せ」


自分の頭を掴む、アムダの腕を掴む。

李空の目は、驚くほどに澄んでいた。


「っ!」


その行為に、アムダは慌てた様子で身を退いた。



(我が、神の代理者たるこの我が怯んだのか・・・)


アムダは自分の両手をまじまじと見つめ、自嘲気味に笑った。


「面白い。神を超えてみろ」


『阿無陀如来』と『阿無陀来慈』。

二つの巨大な力が、再び李空の命を狩らんと動き出す。


初っ端から「如来」の掌と掌が、李空を左右から捉えた。


「言われなくても───」


しかし、今度は抑え込めなかった。

李空は左右に腕を伸ばし、「如来」の掌を止めたのだ。


「超えてみせる!」


上空に飛び出す李空。その下で「如来」の掌が合掌。

よく見ると、李空と「如来」の掌を繋ぐように、未知の「鎖」が繋がっていた。


「『ブロックチェーン』」


それから李空は、「如来」の掌の周りをぐるぐると飛び回った。

それに合わせて、両の掌を固定するように「鎖」が巻かれた。


合わせた掌を剥がそうとする「如来」。

が、「鎖」は強固で離れない様子だ。


「『如来』を封じたか。小賢しい」


言葉を吐くアムダに、李空の視線が向く。

その目は、「次はお前だ」と訴えていた。


「『来慈』はそうはいかんぞ」


アムダの背後から、再び無数の黒腕が伸びる。


「視える」


しかし、今回の李空は一味違う。

まるで黒腕の次の動きが分かっているかのような身のこなしで、隙間を掻い潜ってアムダに迫った。


「いける」


李空の拳がアムダの顔面を捉えたと思われた、その瞬間。

全く別方向から一本の太い腕が伸び、李空の拳を受け止めた。


「世界は我の所有物だ」


その腕は箱から伸びていた。

『阿無陀来慈』は、アムダの体から伸びるとは限らないのだ。


「それも視えてたよ」


しかし、李空はそれで止まらなかった。

ブーストをかけるように拳は威力を増し、爆発。


勢いそのまま腕ごと打ち抜き、今度こそアムダの顔面を捉えたのだった。


「ダメだ。やっぱり手応えがない」


アムダは派手に吹っ飛んだが、李空の顔は曇ったままだ。

それもそのはず、確かにアムダを捉えたはずの拳には手応えと呼ぶべき感触がまるでなかったのだ。


「解せないか?」


水平に飛んでいたアムダの姿がふっと消え、李空の背後から声がする。

振り返った先には、纏っていた立派な衣服がボロボロに破れた、アムダが立っていた。


しかし、ダメージが入っているのは衣服だけ、アムダの体はまるで無傷である。


「我は神の代理者。箱の理は我を守るように存在する」


アムダの言い分はこうだった。

李空がアムダに攻撃を仕掛ける時。その箇所に、世界は新たな制約を生む。


それはアムダを守り、衝撃を受け流すモノ。

すなわち、アムダの体を飛ばすことはできても、アムダ自身にダメージを与えることはできないわけだ。


「理によって傷を与えることはできなかったにせよ、貴様は我に触れた。一度ならず二度までも。この事実は貴様を認める材料として十分だ。遊びはもう止めよう」


つらつらと喋ると、アムダは指を一本立てた。

それに合わせ、高濃度のエネルギーがアムダに集結した。


透明なソレは、まるで衣服のようにアムダを包み込んだ。

元々着込んでいた立派な衣服の残骸は、エネルギーにひれ伏すように、溶けるようにして消えた。


「『クローズワールド』。我に触れることはこれで完全に不可能となった」


アムダが衣服のように纏った透明なモノ。それは「世界」であった。

理によりただでさえ触れることが難しかったアムダが、一つの「世界」に閉じこもった。その事実は、李空の勝機を限りなくゼロに近づけるモノだった。


「だったらなんだ」


しかし、李空の目から光は失われない。


「逆境をバネに。ピンチをチャンスに。不可能を可能に。それが俺の才だ」


李空は飛ぶように駆けた。



迫る「来慈」の黒腕を掻い潜り、李空の拳や蹴りがアムダを襲う。

が、「世界」を纏うアムダには届かず、追いついた黒腕によって引き剥がされる。


無論それは優しいものではなく、その度李空は決して浅くない傷を負った。


「なぜだ、何故諦めない」


アムダは理解ができなかった。


自分に触れることは不可能。そんなことはとっくに理解している筈だ。

それなのに、目の前の男は何度も立ち上がる。


「わからないか?」


再びアムダの眼前に迫る李空。


「守りたいものがあるからだよ!」


しかし、これまた「世界」に阻まれ、黒腕によって吹き飛ばされた。


「守りたいもの、だと」


李空の言葉はアムダに届いていた。


守りたいもの。そのフレーズは、アムダの中に何かを植え付けた。

言葉では言い表せないなにか。その存在を、アムダはどこか懐かしく感じた。


夢と現実がごちゃまぜとなった。記憶の海。

その一点に、光り輝くナニカを見た。


(俺は、何のために闘っているんだ・・・・)



対する李空は、ふらふらと立ち上がった。

体はボロボロで、立っているのが奇跡といった状態だ。



『世界ガ歪ンダ!今デス!!』



そんな彼の状態を知ってか知らずか、李空を鼓舞する声がする。


「ああ。わかってる」


今一度踏ん張る李空。


彼の頭の中では、先ほどの声の他に、無数の声が鳴っていた。

その全てが、李空の勝利を願うモノ。全てが一つとなったような一体感が、李空の背中を押す。


「『ハローワールド』」


李空が一歩を踏み出した瞬間。その足を中心に、「箱」を上書きするように何かが拡がった。


次いで李空がゆったりとした足取りでアムダの元に向かう。

一瞬遅れて迫る黒腕。が、李空の直前で、黒腕たちはピタリと動きを止めた。


「なんだ。どうなっている」


アムダの顔に初めて焦燥の色が浮かぶ。

世界が自分の掌から離れた。そんな抽象的な不安がアムダの心を支配する。


奇妙な沈黙。

やがて李空は、アムダの眼前に辿り着いた。


『『『いっけええええええ!!!』』』


頭に響く声が一層大きくなる。


「いいか、よく聞け」


左腕を静かにアムダの後頭に回す。


「人は零か壱じゃない。そんな単純なものじゃないんだよ!」


透灰李空。渾身の頭突きが、アムダの脳を揺らした。




『ようやく話せますね。アムダ』

『その声。アン、か?』

『ええ。貴方とずっと話がしたかった。貴方に一言、謝りたかった』

『謝る?アンが俺に?』

『そう、私のせいでアムダは変わってしまった』

『それは違う。俺は力を得たことで生まれ変わったんだ』

『でも、その力の使い方を決めたのは私の死でしょ。授かった力で今、貴方は世界を壊そうとしている。貴方はそんなことを考える人じゃなかった。自分のことよりも私のことを考えてくれる。そんな優しい人だった』

『確かに君の死が発端だったかもしれないが、決めたのは俺の意思だ。俺はただ、救われない子どもを救いたかった。そのために力を行使した』

『その果てに壊すの?』

『世界が裏切ったんだ。100年間猶予を与えても何も変わらなかった。ある国は争い、ある国は異様な制約を刻み、ある国は強者に成り上がった弱者が、弱者に成り下がった強者を踏みにじった。だから壊す。零が不可能なら、世界なんて最初から存在しない方がいい』

『それは間違ってるよ。確かに私たちは何も与えられなかった。だけど貴方と話す月夜の一時だけは、私は確かに幸せを感じていた。アムダは違う?』

『それは・・・』

『貴方の行いは、それを否定するもの。壊したら何もかも無くなっちゃうんだよ』

『・・・君はこんな世界でも存在した方がいいと思うのか?』

『勿論。貴方という共通の敵を前に、世界は一つとなった。それはアムダが理想としていた零の世界よりも、きっと美しいことだよ』

『───そうか。俺が闘う理由はもうないのか』

『───うん。もういいんだよ。一緒に帰ろう』




「───なんだ」


李空の頭突きが炸裂して直ぐ。「箱」に変化が起きた。

派手な音が響き始めたかと思うと、パズルのピースが外れるようにして、倒壊を始めたのだ。


天井の役を担っていた面が崩れ、空が顔を見せる。

眩しくも優しい陽光が、李空に向かって一直線に伸びた。


『すまなかった』


李空の頭に直接声が響く。

それが目の前のアムダの声だと、李空は直感で気づいた。


『ありがとう』


続いて声がする。

今まで何度か聞こえたその声に、李空は気づくと涙していた。


アムダの体がふっと浮く。

見上げる李空の目には、彼の手を取る女性の姿が見えた気がした。


陽光に照らされた神秘的なその姿が、段々と不鮮明になっていく。

そのまま空に吸い込まれるようにして消えた。


「───・・」


それと同時に、李空の緊張の糸もぷつんと切れた。


「箱」の倒壊は終わらない。

垂直にそびえ立っていた四面がパタパタと展開され、最後に足場の面が崩れ始めた。


そこに姿を見せるは大穴。

箱を構成していたモノは、その大穴に吸い込まれるようにして、次々と収納されていった。


それは李空も例外ではなく。満身創痍の彼は、無抵抗に吸い込まれていく。


「・・っくん!」


意識も吸い込まれそうになる中。声がした。

その声に、李空は何よりもまず安心を覚えた。


「ま・・なつ・・・・」


うっすらと開く瞳。

力なく手を伸ばす先。太陽と重なる形で、晴乃智真夏はいた。


「り〜っくん!真夏も───」


加えてなにか言っている。


だが、抗う力はもうない。


浮遊感に抱かれたまま、李空の意識は途絶えた。

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