あなたがそこにいないなら

「君に伝えなければならないことがあるんだ」


 少女は少年の真剣な面持ちに、肩をこわばらせた。煉瓦造りの大きな倉庫に寄りかかるようにからだを傾け、手と足を組み、顔を伏せている。

 遠くの夜空で花火があがった。夏でもないのに浴衣姿の人を見るのはそのせいか、と少女はふと思った。自分よりもさらに下の年齢であろう女の子が、わたあめ片手に駆けていた。


「ん、なに?」


 つとめて気のない返事をしたが、にわかに高鳴る心臓の音が聞こえてくる。

 人の姿は消えた。同時接続の大半が切られていた。負荷のせいではない。どうやら、少年がプライバシー設定を高めたらしい。

 花火の音がいつまでたっても自分たちのところにまでは届きそうにない。遠くの大きなイベントは映像データを中心に優先的に処理されることを思い出した。音声データは物理演算に負荷が大きく、後回しにされることが多い。

 少年は恥ずかしげに頭を掻き、顔を上げると、少女に近づいて寂しげに微笑んだ。


「実はね、僕。三年前に死んじゃったんだよね」

「え?」


 期待していたのは告白だった。同接を切ったのは、大切なことはふたりきりで、という意思表示だと思った。少女は期待を裏切られたせいか、なにも言葉を返せなかった。

 驚く少女を尻目に、朗らかに語った。


「肉体は無意味だと思ったんだよ。どうせ僕はこうしてこの世界に再現されるんだから、食事とか睡眠とか、あと性欲とかもさ、なんだか煩わしくって。だってさ、ほら、僕らはこうしてこの世界さえあれば触れ合うことができるんだから」


 少年が少女の手を取った。ほんのり汗ばんた手のひらから、熱がじんわり伝わってくる。現実に少年の手をにぎったことなど一度もなかった。でも、少女はそれが本物だと思いたかった。現実の少年の手をにぎることは、もうないのだから。


「でも、そっか……。それなら、しょうがないよね」

「あのさ、それでね、もうひとつ伝えなきゃならないことがあるんだよ」

「うん」


 遠くの花火の映像も切れた。近くの照明が薄暗くなり、煉瓦造りの建物の窓から漏れる光だけがたよりだった。海から、磯の香りが流れてくるのを感じた。少年が手を強く握るのを、少女は素直に強く握り返した。


「僕は、君のことが好きなんだ」

「あたしも、好きだよ」


 急激な喜びがしみていくのを待つかのように、少年はからだを縮め、苦しそうに、笑むの我慢していた。


「よかった、ほんと、良かったよ」

「あたしもずっと言おうと思ってたもん」


 少年が少女の手を強く引くと、全身は跳ね、優しく受け止められた。温かかった。少し、汗のにおいがすると思った。どれもだと願いながら、少女はすぐにでも死にたくなった。

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