少年少女、夏の連想

 絶妙なバランスで積まれた石を、ひとつ押した。崩れた。石のうち、一番大きな丸いのが割れた。断面には美しい石英が埋まっていて、結晶に沿って綺麗に割れた。濁った白が太陽の光を吸って、あたたかく膨らんでいくのがわかった。石には石の時間がある。


「あー、崩れちゃったの?」

「んんや、自分で崩した」

「え、うん、そっか」


 太陽が燦々と照っている。川上から吹き下ろす爽快な風が、二人の熱くなったからだを冷ました。少女のこめかみを汗がつたい、首筋へと吸い込まれる。からだの内側は、まだ少しだけ熱い。

 少年は川に浸したペットボトルを二本拾い上げた。そのうち、一本を少女に向かって投げた。

 回転しながら飛んでくるペットボトルを少女は難なくキャッチし、濡れた表面を服の裾で拭った。


「まだ、写真に撮ってなかったのに」

「なら良かったよ」


 新緑というにはすっかり深い緑になっている。水はまだ、うんと冷たい。木々の梢からはやわらかい陰が落ち、日の光を避けるにはうってつけだった。

 少女は隠れた。今はまだ涼しい。すぐに南風が吹き、あっという間に暑くなる。一六回目の夏だ。たったの十六回だけなのに、夏の何を知っているというのだろうか。この先、二十、三十、四十、と増えていったときに、なにか大きな変化が起こるものだろうか。結局、少女はまだ何も知らなかった。

 緑茶のペットボトルの蓋を開けた。爽快な緑の味がする。初夏の味。夏至が近く、まだ日は長くなる。日差しは十分に高く、真昼は蒸し暑さすら感じる。樹幹に鬱蒼と葉が茂っているのが救いだ。川の近くで、清らかな風が川上から吹き下ろしてくれるのもありがたい。真夏ですら日陰では涼しさが感じられる場所だ。避暑にはまだ早いが、自然の涼風を感じるにはこれ以上の場所はなかった。


「まさしく五月晴れって感じな天気だね。せっかくの初デートだもん。晴れてよかったよ」


 少女が、半ば同意を求めるように言った。日陰にいるのに、その瞳はなぜか光って見えた。


「うん、よかった、かな」

「ふーん、なにそれ」

「いや、まあ正直、どっちでもよかったなって」


 明け方に自転車で街を出た。暮れまでに川を離れれば、そう遅くはならないはずだと思った。一日中一緒にいられることなんて珍しいことではない。田舎町。やるべきこともやれることも、そう多くないから。

 翠緑色の鳥がいきおいよく水に飛び込んだ。小さな水飛沫が立った。背景になった森も一緒に散った。夏だ。

 少年が少女を見やると、彼女は不満げに頬を膨らませている。芝居染みているが、そんな馬鹿げたポーズだって悪くはない。何度も見た顔。見飽きているはず表情なのに、なぜだろう。初夏の太陽のせいだろうか。と、少年は思った。


「違うよ。そうじゃなくってさ。どうせ一緒なら、どっちでも同じだなって思ったんだって。一緒に過ごせるのが大切だなって」


 言い訳のようだったか、少年の誠実な瞳は、真っ直ぐに少女を見据えていた。少女は寂しそうに笑った。


「あのね、同じじゃないよ。同じことなんて二つとしてないんだから」

「まあ、それはそうだけど……」


 沈黙を埋める蝉時雨を期待しても、真夏はまだ遠い。少女はさらに、冗談めかしてふてくされてみせる。そうして、少しシリアスになった空気を誤魔化すように。

 少年は川に足をひたした。

 少女は不満顔で緑茶を飲んだ。口の端からこぼれ、あわてて半袖で拭った。白いシャツが汚れた。

 少年が少女の方を向いて、口の端にかすかな笑みを浮かべた。ふいに川面を蹴って、少女に向かって水飛沫を飛ばした。

 離れた木陰にいた少女は、ほとんど濡れなかった。だが、キャッ、と少し大げさに高い声をあげてみせた。これで水に流すよ、という、二人の暗黙の了解だった。


 冷たい。気持ちが良い。どんなことでも、この夏ならば許されている。


「バカっ!」


 少女は靴を脱いだ。

 日に暖められた石の熱を足の裏に感じた。川に足先をひたし、立ち上がってにやにやと笑う少年に近づいていく。足を蹴り上げると、溢れんばかりの初夏の光を散らした。

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