ばらばらを拾い集めて

 数えられるものと、数えられないもの、それが可算名詞と不可算名詞の違いだと言われても、男にはいまひとつピンとこなかった。可算とはつまり、分割不可能の最小単位ということだろうか。言語としてそれ以上小さくなることができないもの、人、犬、机。これらを不可算名詞として捉え直すと、分割可能な犬や人は数的な存在から量的な存在へと遷移し、単なる肉と化す。机はおそらく鉄、木、プラスチックなど、その素材へと返る。概念として数的単位を持ちうるか、というのがポイントになりそうだ。


「じゃあ、この音だったら」


 電車から降りてすぐに音が聞こえてきた。電車が再び走り出すと音は隠れ、走り去るとまた音が現れた。どこでなにを叩いているのかはわからない。激しいパーカッションの音が波のようなかたまりとなって押し寄せ、ふたりの意識の底へと降り積もった。


「これはサウンドを複数形で語るよりかは、どちらかと言うとリズム、グルーブ、ビート。もしくはミュージックかもしれないね」

「リズムは複数で語れる? グルーブは、ビートは?」

「どうだろう。数えること、かたまりであること、分割できること、できないこと。そう言ったことでまとめてしまうことなど、できないのかもしれないね」

「線を引くのって、楽しいけど、ちょっと寂しいよね」

「ああ」


 欲について考えてみたときも、現実と幻想の違いについて考えてみたときも、男の妻は同じようなことを言った。白昼夢のような明るい笑顔で絶望を語るみたいに、自尊心で首をしめて呼吸を奪って空気なんて世界にはもう一ミリリットルだって残ってないんだってくらいに機械的に、そんな言葉を吐いた。


 川の上に垂れたオレンジ色の光だけが印象的で、冷淡なほどの青々としたパーカッションの音ですらも赤みを帯びてきた。

 冬が遠ざかり、春が近づき、椿が散り、木蓮が花開き、季節が巡り、川が流れ、川が流れ、川が流れ。

 昨日と今日が同じ一日に思われるのは、実際、世界はそれほど大きく動いていないからか。違う。男は思い直した。変化していないのは世界ではなく自分の態度、やり過ごす目。時事刻々と世界は変化を続けている、その機微に意識を払わない限り、男は置き去りにされる定めにある。

 時間は簡単に未来へと跳んでしまう。連続という虚構を信じると、それだけ時間は跳ぶ。どこまで小さくできるかが問題だ。最小単位を目指すことこそが、永遠を求めることと同義なのだ。だから、繊細な、微小な変化を、すべて汲み尽くすのだ。


「あなたって、面倒な考えをするものね。ほら、あそこ。淵の手前。花がすごく綺麗に咲いているわ。それで、全部じゃない」

「ホントだ」


 昔は手すりも奥の花壇もなかった。暗い淵を直に覗き込むことができた。その手前を歩くふたりの少女にどこか見覚えがある気がしたが、すぐに気のせいだとわかった。

 ただ、それだけなのだ。男は思った。

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