言い訳だって知っていたって
足りないとわかっていたから買ったはずの綿棒が何年経ってもなくならないのは、耳の中の新陳代謝がバランスを欠いていたからだとわかったのは、過剰なほどのおためごかしに肩まで浸かって溺れかけて苦しくなったからだ、なんてリアリズムをすんなり受け入れられるほどの年齢になっている自分に女はなんとなく絶望した。
「あなたたちの前途には、無限の可能性がひろがっているのですよ」
——なんて、嘘。
生徒たちの前で演じる教師というペルソナは、栗の木陰で休む痩せた老人のような疲れ切った頼りない微笑を振りまいているに違いない。教室に鏡はなかった。誰もが他者ばかり意識した。他者は、自分を写してはくれなかった。
「ただ、前に足を踏み出せば、それでいいんです」
——これも、嘘。
黒板消しは、持ち上げただけで白いチョークの粉が立つほどに汚れていた。誰も過去を浄化してはくれない。蓄積した白い粉はかつて言葉だったのだ。だれかの言葉。嘘かもしれないし、真実かもしれない言葉。その言葉の意味は、もはや失われてしまったのだろうと思う。
「転んだって、また立ち上がればいいんです。傷付いたって、いずれそれは治ります」
——嘘、嘘、嘘。
あるがままなどない、あるがまましかない、そう自分に言い聞かせることでしか虚実の間を隔てる曖昧な境界線を形而上学的な問題へと引き上げることなどできなかった。
嘘も方便。つまらない言葉だ、と女は思った。
「夢を信じること、自分を信じること、大切な人を信じること。信じることでしか、人は未来を切り開けないのです」
——真っ赤な嘘。そうか、嘘は赤いのか。
水面に空が映るくらいに静かな夜の海に優しい波が立つと、それだけであっという間に飛沫のなかに星は消えた。言い訳の連続のなかに一つだって真実らしいものを見つけられるのならば、それは救いだ、絵に描いたように美しい日々へと通じる道だ、暗闇で微かに輝く燐光だ。つまりそれは、希望だ。
三年間の同棲の後、自分一人ではなにもできない男と別れた。カルロ・ロヴェッリの著作、『時間は存在しない』を貸してくれた男とは三回会ったのちに、本を返すことなく、もう会わなくなった。
彼の言い訳も、退屈さも、要するにエントロピーの増大とその不可逆性によるものなのだ。女は自然とそういう結論に至った。
別れ話の途中、なにか音が聞こえた気がして、多摩川を振り返った。何年も前、暗い淵に少女が飛び込んだ。誰もが忘れてしまった少女の死。死とは要するに、エントロピーの増加、それも飛躍的な増加に過ぎない。系の外部からエネルギーを取り入れることで均衡を保つことをやめてしまった。それが死だ。
少女の場合。人体のエントロピーという概念を導入すれば、生と死と、その不可逆性に対して、正当な評価を与えられるのではないか。
「カルロ・ロヴェッリが示したのは要するに、時間はあってもなくても、どちらでも良いということだよ」
「でもさ、前後関係や因果関係って、大切じゃない? 過去がひとつの形を持っていて、それが不可逆である理由が時間の前後や因果だと思ったほうが、救いになることもあると思うんだけど。私たちが未来に希望を抱くことができるのはさ、そうした過去の完全さが保たれているからだと思うの。過去を私たちから奪い去るなんて、それこそ傲慢なんじゃないかな。冒涜だよ」
——なんてね。これもまた。
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