コレシュスとカリロエ

「あたしんために、命捨てれる?」


「無理」と男は即答した。


「少しは答える前に考えたら?」


 生贄に選ばれたカリロエ。彼女をかばい、自害した大祭司のコレシュス。女は物語に感化され、男を試したくなった。以前、英語の授業で習ったばかりの文句を言ってくれと男にせがんだこともある。女はしばしば他愛無いテレビドラマや演劇の真似事に興じ、自分が自分から遠ざかるのを喜んだ。現実とは無関係に、違う自分がありえたかもしれない。子供の頃の空想を、細切れにして実現しているような感覚だった。


「捨てるわけにはいかないよ。守るためには持ち続けないと。命ってそういうもん」

「現実主義は退屈」

「退屈さにおいては浪漫主義だって大差ない」

「私のは浪漫主義じゃなくって、空想主義なのよ」



 神託によってカリロエが選ばれたのならば、コレシュスは神の意に背いたことになるのではないか。男はふと思った。大祭司が神の意に背いたとなれば、その身を捧げたからといって神が人々を許し、ペストが終焉するなんてことはありえないだろう。

 美術史の授業でスライドに映されたジャン=オノレ・フラゴナールの絵画は、コレシュスの自害するセンセーショナルな場面が描かれている。講師はそのアカデミックな作品を、子細に至るまで解説した。アテナイのペスト、それを終わらせるための生贄として捧げられたカリロエ、カリロエに恋して我が身を犠牲にしたコレシュス。愛と不条理が豊かな陰影と色彩をもってキャンバスに表現されている。アテナイの町からペストは去ったのか、カリロエがその後どうなったのか、講師は教えてはくれなかった。知りたければパウサニアスの『ギリシャ案内記』を参照しろ、ということだ。


「図書館で探してみる?」

「何を?」

「パウサニアスの『ギリシャ案内記』ってやつ」

「なにそれ?」


 神がアテナイを救ったはずがない。ペロポネソス戦争の最中に猛威をふるった疫病はペストではなく天然痘か発疹チフス、あるいは麻疹だったともいわれる。同じ時代だろうか。なんにせよ、神はコレシュスを赦さなかったはずだ。あるいは、カリロエとコレシュスの物語に感動し、ふたりを赦したのでは。いや、そんなわけがない。


 ――空想主義もはしかのようなものだろうか?


 女はファッション誌のページを繰り、倦むようにあくびをした。自死によって災厄がおさまるならと身を投げうったコレシュスの行為はまったくの徒労、男は目の前の眠たそうな女を見ると、そんな気がした。

 図書館のパソコンで調べたが、カリロエがどうなったのかわからなかった。

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