孤独なペンギンの夢


「ずっとあんなだよ」


 銀色のコーヒーメーカーがゴーと低い音を立て、魔法瓶のポットにちょろちょろと黒い液体をそそいでいく。パフェを盛りつける少女は隣の女を見上げた。女は、視線を客席に移す。


「ああ、ペンギンかあ」


 アルバイトのあいだで常連客にあだ名をつけていた。ふたりはほとんどのアルバイトが入社する前からの常連で、もはやその名の由来を知る者はいない。だが、ペンギンと聞けば、すぐにその客を思い浮かべるし、似ているわけでもないのに、ペンギンと呼ぶ以外に指し示す方法がないと思っていた。


「あれって喧嘩なのかな」

「いつもああですよ」


 皇帝ペンギンは、繁殖地でメスが産卵を終えた後、六十日もの間、オスが卵を温め続ける。実際には繁殖地から餌場である海との往復も含めると、絶食期間は百二十日にも及び、その間オスが口にするのは雪だけだ。つがいの片割れが戻らなければ、たとえ雛が孵ったとしても、生き延びる術はほとんどない。過不足が互いに埋め合わさることで、奇跡的に生き延びるものもいる。子を失った親、親を失った子。他人同士でも、それなりにやれないこともないらしい。だが、雛の奪い合いによって、不必要に失われる命もある。


「南極って寒いだろうね」

「知ってる? 北半球にも、ちょっとだけ野生のペンギンってのがいるんだよ」

「そりゃいるでしょ。ホッキョクグマに食べられてるイメージだな」

「ホッキョクグマにペンギンが食べられたりはしてないよ。北極にペンギンはいないから」

「え?」

「いないよ。北極には」

「へー」

「ガラパゴスペンギンだよ」

「え?」

「北半球にもいるペンギン。っていっても、ガラパゴス諸島が赤道直下だから、北半球にいる野生の個体数も高が知れてるんだけどね」

「へー、そっか。そうなんだ」


 少女はパフェを盛りつけると、また隣の女を見上げた。


「うん、いいよ」


 女はパフェを持って客席に向かった。キッチンで肉を焼く男が一瞬だけちらと視線をやってから、また焼ける肉をじっと見つめている。その間に挟まれた少女は、コーヒーメーカーから一杯になったポットを取り出したが、客席にそそぎにいくわけでもない、別のポットをコーヒーメーカーの下にセットし、またスイッチを押した。


「六十日間も絶食しながら奥さんを待ち続けるって、どんな気持ちなんだろうね。あ、皇帝ペンギンの話ね」


 戻ってきた女が少女に言った。


「孤独でもないんじゃないですか。奥さんとの子供が、一緒にいるんですから」


 客席のペンギンを見やった。いつまでも噛み合わない会話をしている。つがいのメスはきっととうに餌場へと去り、オスはメスを思いながら卵を温め続けている。噛み合わないのは、ふたりの時間が六十日間もずれてしまっているからだ。それも、あと少しで戻るはず。戻るはずなのに、やはりなにかがずれている。

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