らくがきだらけの机
暗闇にかがり火が燃える。
川岸に並ぶ光の列を窓の外に望みながら男が思い出すのは、目に映る光景とはまるで違う青々と草の生い茂る水路脇の小道だった。太陽が照る。遮るものはなにひとつなく、清らかな水音が聞こえる。透き通った世界から乾ききったオフィスに甘い匂いが漏れ出してくる。冷たい水の流れに、長靴のまま浸かった。泥が落ちて水が濁っていく。水流は案外激しく、そのうち長靴の泥が落ちると、また澄んだ水が静かに流れた。
真っ白のデスクを照らすLEDの光は過剰だ。男は誰もいないオフィスを歩き、扉横のスイッチを押した。
再び窓際に立つ。川岸の橙色の光は途中で絶え絶えになり、最後には狐火のような淡い光が点々と続いている。最後には消えた。
「おーい。そろそろ戻るべ」
「はーい」
午前のじゃがいもの収穫を終えると、昼ご飯を含め、二時間休憩する。部屋に戻り、仮眠を取るのが習慣だった。長靴のなかにはたっぷり土が入り込み、玄関でさかさまにすると、ポトッと音を立ててかたまりが落ちた。室内用のサンダルを履く。かまちを上がったところで、やはり土だらけだった。室内と室外の境が曖昧だ。台所のアマガエルやナメクジが出ることも珍しくない。夜になると隙間風が冷たく、真夏でも布団をかぶる。部屋の手前で靴下を脱いだ。また土塊が落ちた。
「そろそろ行かなくちゃ」
「どこに?」
「彼女のところに」
「そうか、なら、俺も」
「どこに?」
「土のにおいがするところに」
「アハハ、なにそれ」
大学を中退してまでして始めた農業は三年で立ちゆかなくなった。助成を受けられる二年間は安泰だった。三年目の台風と日照不足で、その一年をふいにした。実家に戻った。
「おかえり」
むかえてくれたのは友人だった。大学時代の彼女と結婚をしたという。立ち上がった友人と、立ち上がった男と、まるで違う結果になった。勇気や決意と、その結果は関係がない。
「でもさ、まだどこにも辿り着いていないでしょ」
――そっか。
三年ぶりの自分の部屋。たたまれた子供用学習机を久しぶりにおろした。小学校の卒業アルバムがある。フッとほこりを吹いた。黄緑色の背表紙に金字で校名が記されている。ケースから引き抜き、おもむろに開く。並ぶ写真に興味はない。文集のあとのランキングにも興味はない。最後の欄。将来の夢。躊躇った。ページを繰る手が止まり、ふとそこに目をやった。
将来ひきこもりそうな人。将来犯罪を起こしそうな人。将来人を殺しそうな人。よくこんなものがまかり通っていたものだ。そう思いつつ、男は窓を開けた。
夜空に欠けた月が光る。
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