雲にかくれて
「お会いできて光栄です」
まるで英語を翻訳しながら歩いているような喋り方の男だった。大学二年の秋に出会った。なにをしているか知らない、お金は生活に困らない程度にあるらしいが、働いている様子はない。年齢もそう変わらない。銀杏を踏まないように緑道をジグザグに歩いている時、互いが互いの道を塞いだのだった。
オレンジ色の街灯に照らされた銀杏の絨毯は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。銀杏のにおいもひどかった。陰鬱な秋の夕暮れの暗がりは、堕落にはうってつけだ。
「また、お会いできましたね。大変嬉しく思います」
毎週月曜五限のあとにはバイトを入れない。暗くなった緑道を同じ時間に歩く。すると彼も律義に同じ時間に現れ、互いに道を塞いだ。塞ぎ合ううち挨拶をかわすようになり、挨拶をかわすうちに自己紹介し、そのうちうちとけ、気がつけば同じ方向に歩いていた。
家の方へでもない、彼の向かう先でもない、緑道からそれた、もっともっと暗い道だった。
「狐狸の類だろうよ」
「コリ? 外国の人?」
少女が一緒に住む祖母に話すと、それは狐か狸の仕業だという。
月がちょうど三つ巡って、マフラーと手袋が欠かせない季節には、銀杏の葉も銀杏のにおいも、とうに消えていた。緑道から逸れる暗い道がどこにあったのか、少女はもう思い出せない。月の明るい夜、その道も消える。雲が空全体を、もしくは月を隠してくれない限り、少女は男に会えなかった。
狐や狸だとしても、なんの問題があるだろう。そもそも、自分は間違えて人間に生まれただけかもしれない。あんなに人間らしいのだから、間違えたのは彼かもしれない。
「付き合ってください」
「はい」
同じクラスの男子に告白されて、迷うことなく受け入れた。大学の最寄り駅から電車に乗ると、仲の良さそうな少女がふたり、無邪気に微笑んでいた。女は横に座る青年の顔を覗く。悪い顔ではない。話してみる限りでは性格も良さそうだった。それなのに、仲の良い友人同士のほうがずっと楽しそうなのはなぜだろう。
また、暗い夜道を歩きたくなった。
「ばあちゃんも、何度かそういうことがあったよ」
「なあん。血筋なんかなあ」
暗い道を探すようになって少女は、光のない場所はそうそうないことを知った。緑道はもちろんのこと、脇道にそれてみたところで街灯はなくならない、近所の雑木林に入って見たところで、家々から漏れる光はそこまであっさりと届いてしまう。光のない場所へ、暗闇へ、彼のいる場所へ。
「狐狸にまた会ってどうする?」
「だって、また会えたら嬉しいもん。そんだけだよ」
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