今いる場所はどこ?

「四十六!」


 おりる時には数えなかったのに、のぼるときには数えずにはいられなかった。少年たちは三人で横に並んで腕を組み、一段一段、一緒にのぼっていく。男がいる高さまでちょうど四十六段。数えずして、男は自分がいる段差を知った。

 白人のカップルが岩場の低い柵に腰掛け、富士山を背景にして写真を撮っているのを、男はぼんやり眺めている。年齢はそう変わらないように見えるが、実際はもっと若いかもしれない。

 四十六段。二人はそれよりいくらか下にいた。岩にぶつかる波音とともに、磯の香りがのぼってきた。渦がぐるぐる巻いて淵へと沈み込んでいく。遠くの海は空を映じて青く輝くのに、近くの海は深緑に濁り、表面を白い泡が無数の生き物のように蠢いている。そのグロテスクにも思える渦を、男は意味もなくじっと眺めていた。



「おっさん、もう疲れたのかよ」


 少年は回転するグローブジャングルのうえから、膝に手を突き、肩で息をする男を見下ろしていた。といっても、頂上から男が見えるのは、その回転の三分の二程度。少年は男のそばの少女に視線を移した。


「お前はやんねえのかよ」


 一周回った。同じ場所に少女が立って、こちらを見上げていた。


「うるせえ、クソガキ」


 ――クソガキって、大して年齢変わんねえだろ。


 少年は、少女になにも言い返せなかった。真上を見上げた。烏が旋回している。いや、と少年は思い直す。回っているのは自分の方なのだ。何度も、何回転も、いつ止まるとも知らずにひたすら、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。ほとんど永遠かのように。



 あの頃から、なにも変わっていない。



 藤沢で乗ってきた天道虫が、運転席のドアのアルミフレームにとまった。低い場所から、明るい光、蛍光灯の近くまでよじのぼる。天井に到達すると行き場を失い、水平に角を這う。銀色のアルミフレームが蛍光灯の光を反射し、軽やかに光っている。天道虫は光を探して、高く、高く、のぼろうとするのに、もうそこにそれより上はなかった。

 同じくその様子を見ていた大学生ぐらいの少女と目が合う。蔑むような視線。鵠沼海岸駅で降車した。天道虫はようやく外へと飛び立った。



 男は四十六段の階段をおり、岩屋洞窟へ至る橋を渡って下の岩場におりようとしたが、台風の影響で封鎖されていた。岩場ではたくさんの釣り人が集っていた。どうやってあそこにおりたのだろう。一度おりた階段をまたのぼりながら、男はぼんやりと思った。


 ――十八、十九、二十。


 大学生ぐらいのふたりとすれ違った。流行のファッションに身を包んだ小綺麗な青年だった。一段ずつおりていく。彼らはもう、段数を数えることはない。おりる時も、のぼる時も。

 のぼる階段の向こうに空が見えた。


 ――四十七!

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