曲がり角の先にあるもの

「なかはあったかいね」

「そりゃ、エンジンかけておいたから」


 女は車に乗ると、上体をひねってシートベルトを引いた。ガッと音を立て、途中で止まる。緩めてから、もう一度引くが、またガッと音を立てて止まった。女はむきになって強く引くが、何かが引っかかって動かない。


「ほら、なにやってんだ」


 男が女に覆いかぶさるようにして、代わりにシートベルトを引いた。男が引くと何故かするすると滑り出た。コツがあるのだろう。金具に挿し込み、固定した。


「ありがとう」


 車はゆっくりと走り出した。海まで、ほとんどまっすぐの道だった。



「他に好きな人ができたんです。ごめんなさい」

「どうして謝るの? 私たち、まだ付き合ってるわけじゃないんだから、別に気にすることじゃないのに」

「でも、好きって言ったから」

「誰かを好きで、その気持ちが変わって、また別の誰かを好きになるって、それはそれで素敵なことだと思うよ」

「だけど、不誠実だと思わない?」

「思わない。むしろ、こうして話していることの方が、不誠実だって思わない?」



 ――だから、憎んでなんかいないんだって。


 青年は都内の美大に通う女と付き合った。共通の友人が励ますつもりで言った「彼女よりもあなたの方がずっと綺麗だよ」という言葉に、女はひどく傷ついた。あまりに軽薄で、配慮のない言葉だと思った。反発したくもなったが、「ありがとう」と返事をして終わらせた。そうして中心から遠ざかる。

 銀杏の臭いが不快で窓を開けずに秋を終え、知らぬ間に訪れた冬は静かで、あっというまに雪が音も色も匂いもなにもかも覆い隠した。青年のことは忘れた。はずだった。



「この道」

「え?」

「ゆるやかなカーブがしばらく続くくせに、ほら、ここ」


 弓なりの道が唐突に消え、反対向きに鋭角のカーブになっていた。正確には、カーブというより角、数メートルの幅でほぼ百八十度回っている。さらに悪いことに、カーブの向こうのガードレールが事故で壊れ、反射板がライトの光を返してはくれない。スピードを出していれば真っ直ぐ崖へと落ちる。人の命を奪うために作られたかのような道だった。


「ようやく来年に工事が入るらしいんだよ。ここで五人は下らないからな」

「そうなんだ」


 ふたりで出かけるようになると、朝早く出社し、会社で話すことがなくなった。男は人に知られるのを嫌った。女も面倒は嫌だったが、いずれ知れることを隠す煩わしさも感じた。だからと言って不満なわけではない。このままの距離感で時間がだらだらと進むのを願っていた。

 ドアを開けた。流星群のピークは二十三時だという。


「山はやっぱ寒いね」

「うん。すごく冷える」


 空は澄んでいた。星が瞬いていた。まだ始まったばかりというのに、終わりのことばかりを考えていた。

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