歪みと歪み

 咽喉まで出かかった。

 傷つけるための言葉を吐きだせば、その瞬間に明白な悪意が認められる。同時に言葉は自分への凶器となって向かう。他者を傷つけるための言葉は、男を傷つける言葉でもある。

 中学からの長い付き合いの友人に、ずっと伝えられずにいる言葉。何度も、何度も、繰り返し飲みこんだ言葉が、急かすように胸をムカつかせている。


「大丈夫、大丈夫だよ。きっとうまくいくよ」


 根拠のない空虚な言葉は、友人にとって何の気休めにもならないことを知りながらも、他に言葉が見つからない。友人は、コーヒーカップを静かにおろした。


「ありがとう。そういってくれるのは、お前だけだよ」


 男はグラスに口をつけた。


「でも、俺だってもうわかってるんだ。現実的に考えなければならないことがいくらでもあるからな。しばらくは悲しまないで済むと思うよ」

「だから、そんなすぐに結論に――」

「いや、いいんだ!」


 望み続けていたものをついに手に入れたはずが、そこに僅かな喜びすらも見いだせない。人の不幸につけこんで幸福になれるほど腐っていない。男が暗闇に見いだした、ほんのささやかな光明だった。


 二人は黙った。


 六時を過ぎたころから客足は増えた。三十分以上、二人の間で言葉が交わされることがなかった。時々コーヒーを舐め、半地下から外を歩く人の足元を眺めた。潮時だと思い、男は伝票を取る。友人はその手をつかみ、言った。


「もう少しここにいよう。六時を過ぎたんだ。もう飲んでもいいだろう」


 ――どうして?


 男は、友人のいう「六時を過ぎたんだ」という意味がわからなかった。それが、酒を飲む理由になるのだろうか。ワインをボトルで頼んだ。帰る気はなさそうだ。


「最近、お前のほうはどうなんだ」


 友人は話頭を逸らす。妻のことにはもう触れないでくれ、ということだろう。


「どうもなにも、変わらないよ」

「奥さんは? 元気にしてるか?」


 ――どうしようもないなあ。


 避けたいのか、話したいのか。うんざりしながらも、特に誤魔化すでもなく答えた。


「普通だよ。それも変わらない」

「大切にしろよ。ずっといるのが当たり前だなんて思うなよ」


 にわかに吐き気が込み上げた。

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