カーディガン一枚分たりない

「さすがにもう寒いかな」

「ああうん、わかんない。大丈夫じゃないかな。日が出てると暑いぐらいだし」


 ゴール裏のフェンスによりかかり、小学校の校庭で行われている試合の様子を見ていた。素人目に見ても、子供たちは上手でないことがすぐにわかる。まだ小学三年生だと言ってしまえばそれまでだが、動画サイトで見た天才少年たちは、ここにはひとりもいないらしい。横で腕を組んで難しい顔をしている夫との間にできた息子にしたって当然、その例からは漏れなかった。


「あいつ、いいプレーしてるじゃないか」


 ――あなたにわかるの?


 息子は、転がってきたボールをただ前に蹴っただけだ。ふわりと高くあがったボールは、別の子供の頭に落ち、また高く跳ねた。

 日は出なかった。朝の気温のまま昼をむかえると思いきや、気温は正午から徐々に下がっていった。


「彼、なかなか良いね」


 夫の隣に、いつのまにか見知らぬ男が立っていた。夫よりも少し背が高く、年のせいか腹だけがぷっくりと膨らんでいる。歪だ。

 日曜の昼にこうして無関係な男が子供を見るのも、昔は珍しくなかった。最近ではすぐに不審者扱いされるのを嫌ってか、あまり見なくなった光景だ。ふと、女は自分たちもそういう不審者に含まれるのではないかと思った。中に入って、他の保護者と一緒に観戦した方が良いかもしれない。

 ハーフタイム。息子がこちらに気づき、手を振った。負けているというのに満面の笑みを浮かべている。悔しくないのだろうか。夫の顔にそっくりだった。


「あれ、息子さん?」

「え、ああ。そうですが」

「ふーん。そうか」


 女の一言でクラスの空気が変わった。出席番号が近く、クラスも三年間同じで、一学期は必ず席が近かった。また同じクラスだね。うん、よろしく。そのくらいの言葉は交わしたはずだ。

 今まで少しも注目されることのなかったひとりの少年がたちまち脚光を浴びた。最後の大会は夏の盛り、強い日差しのもと駆け付けたのは十人以上、ファンクラブに近いものが結成された。そうなると誰も手だしなんてできない。とはいえ、抜け駆けしようと試みた者も数知れず。彼がいくつの友情を壊したのだろう、女が思い出すのはなぜかそんなことばかりで、その顔だけが記憶の靄の向こうでぼんやりとした輪郭のまま微笑みかけていた。

 息子にも、彼のような男になってほしい。夫のような、頼りない男ではなく。馬鹿みたいに引きずっている、昔の恋。



「うちの息子、才能ありますかね?」


 夫は見ず知らずの男の承認を求めた。


「いや、ないだろうな。まあこの中でも下手な方だろう」


 ――うん。そんなのはなから知ってるよ。


 それに対し夫は何も答えず、女の袖を引っ張った。もちろん、なにか言い返してくれることを期待して。自分ではできないくせに。

 後半が始まった。息子はまた笑いながら手を振った。振りかえす気にはならなかった。

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