六年遅れの流星雨

「気持ちいいだろう」

「そうね」

「少し遅れて春が来るんだよな、この辺りは。ちょうど今頃が花盛りだよ」

「まるでこの春があなただけのものみたいに言いかたをするのね」

「まさか、そんなつもりはないよ」


 男は望遠鏡を覗き込む。探すのはへびつかい座のバーナード星。六年前の春に花々の彩りを見た。あまりに光が弱い。肉眼で見ることはかなわない。望遠鏡のレンズ越しに見た光は、テレビの映像に似て、どこか現実感に欠けていた。


「そうは言っても、この春を独り占めしたいって気持ちはあるんでしょう?」

「もしそうなら君をここに連れてきたりしないよ。それにここは、夜になれば星だって綺麗なんだ。花だけだと思ってもらっちゃ困るな」

「ほら、やっぱり。あなただけのものみたいに言ってる」

「……そうかな?」


 遠くで身を寄せ合うカップルがいる。男はそこまで何光年だろうかと思う。一光年は三十万キロメートルに六十と六十と二十四と三百六十五を掛けた距離だ。彼らとの距離は百メートルに満たない。ゼロがいくつ並ぶだろう。限りなくゼロに近づいていくのに、ゼロにはならない。今と僅差の過去。

 冷たく乾いた風が吹いた。男は身を縮めた。少しあとにふたりも身を寄せ合った。同じ風も、過去と未来でずれが生じる。過去はいつまでも今に追いついてはくれなかった。


「自分だけのものにしなくたって、星も花も逃げたりしないわよ」

「本当に? 本当に逃げたりしないだろうか」

「しない。私がそれを証明してあげるから」


 風と一緒に雲が移動して晴れ、いつしかしとしとと星が降りはじめた。流星群、流星雨。雨のようだというには大袈裟だけど、数分毎に星が流れる光景には何度見ても言葉を失う。雨とは違う。数え切れないほどの星が流れていくのに、どうしてこれほど静かなのだ。前にもこんな風に雨が降ったことがある。男は望遠鏡を覗き込む。目的はへびつかい座のバーナード星。



 病院の見舞いの帰り道。傘を持っていなかった。

 傘をさすほどの雨ではなかったし、濡れることなどどうでも良かった。あるいは、濡れることで誰かがかわりに悲しんでくれるような気がした。

 男は駅に向かうの道をそれ、いつしか知らぬ公園でひとり立ち尽くしていた。遊具のない、簡素で殺風景な公園だった。高い樹々が生い茂って、空の大部分を覆っていた。葉で覆われた天蓋を、小糠雨はすり抜けられない。水滴は枝をつたって、幹をつたって、根元に集まり、地面に吸収される。



 遠ざかったものがふたたび集まっていく。風が遠くのふたりを連れ去り、広い原でいつのまにかひとりきり。


『Die Einsamkeit ist wie ein Regen.』


 流星雨。六年遅れで降り注いだ星。

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