中心のない円の縁をいつまでも撫でている

「もっと速く回してよ」


 少女の要求は男の体力の限界を越えていた。土日の公園は小さな子供を連れた親、小学生の集団くらいで、高学年にもなって父親と遊ぶ子供はいない。あきらかに浮いている。


「もうこれ以上は無理だよ」

「そう、ならもういいよ」


 少女は回転しているグローブジャングルから高く飛んだ。回転の遠心力と回転方向への速度そのままに投げ出された小さな体は、宙にふわりと浮かびあがった。少女は着地するまでに体勢を整えると、ざっと砂を蹴る音を立て、地面に滑りおりた。地面に膝も手もつかず、まったくの無傷だ。少女は額に垂れた髪をかきあげた。

 お見事、と男は思った。子供のころの男にはできそうにない芸当に、ふと本当に自分の子供なのだろうかと怪訝に思った。


「たまにしか合わないんだから、それくらいのことは聞いてくれても良いと思うんだけど」

「そりゃ、できることとできないことってのがあるからな」

「……どうせお父さんにとっては、できないことがほとんどなんでしょう」



 雲一つない星空が少女の瞳に落ちた。はたから少女が感動する様子が手に取るようにわかった。父は連れてきた甲斐があったと思った。翌日、妻と喧嘩になった。深夜に子供を外に連れ出すなんて非常識だ、と。

 喧嘩の理由などなんでも良かったのだ。ふたりは絶えず求め、求めているものに手が届かないと知って嘆き、やはりまた求めては落胆する連続を紛らわせるため、どうしても喧嘩が必要だった。誰かに埋まらない感情への苛立ちを向けることで、互いに自分というものに向き合う必要がなくなるから。

 愚かだとはわかっていた。愚か者同士で一緒にいては救いようがないともわかっていた。

 そうして、破綻が訪れるのは必然だった。



「そんなこたあない。俺にだってできることぐらい――」

「おっさん、これ使っていい?」


 少女よりはいくらか小さな少年だ。四年生、いや、三年生くらいだろうか。男はおっさんと呼ばれたことに腹が立ったが、すぐに考え直した。

 すでに不惑。おっさんと呼ばれるのに十分な年齢だった。自分が少年だったころを思うと、四十ともなればへたをすればじいさんと呼ばれてもおかしくなかった。おっさんならいくらかましだ。


 ——あの子が生きてたら、きっと今頃。


「おう、使え。回してやろうか?」

「おっさん、良いやつだな」


 少年が高くよじ登ると、男は冷たい縦の鉄棒をつかみ、円を描くように駆けた。ぐるぐるぐるぐる、同じ場所を回っていた。


「馬鹿じゃないの」


 そういう少女は、どこか嬉しそうだった。自分が乗っている時に速く回してくれれば良かったのにと思いながらも、少年のはしゃぐ声に、一瞬だけ父を誇らしく感じた。


「おっさん、もっと速く、もっと速く!」

「おう、任せておけ!」


 回転速度は増していく。速度が増せば増すほど、外側は遠心力によって切り離されて散っていく。

 さらに速度は増す。外皮が削ぎ落されて、中心が近づいていく。高密度、高温度の中心は激烈な光を放ち、強い重力で空間をゆがめてあらゆるものを引き寄せるはずだから。

 男は駆ける。少女はそれを外で見ている。どれだけ速く駆け回ったところで、鉄格子のなかは永遠に空っぽだった。

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