こころのばしょ

「そこに宿っているんだよ」


 少年はフンと鼻を鳴らした。少女がその顔を覗き込むように見ると、少年は目をそらす。少女がその耳をつかんで引き寄せると、少年は面映ゆい様子で頬を赤らめ、目を合わせる。少女の吐く息の熱さすら感じられるくらいに近くて、肌の表面を薄い毛が覆っているのが目に映る。銀色のやわらかい毛が、蛍光灯の冷たい光に照っている。


「ちゃんと聞いてよ。寄生するんだよ。生きてるのに、一時的に共生して操るの」

「なんだか気持ち悪いな」


 中学生の少女の描いた絵を、少年は理解しなかった。それが少女には心地良いのか、ふわふわと漂うように少年の否定を受け入れ、傷ついた気持ちの波に、己の身をゆだねる。少年はそんな気持ちつゆ知らず、傷つける言葉を吐くと同時に自分自身をも傷つける。

 そんなあどけないふたりを、石膏のトルソーがじっと見つめていた。放課後の美術室には、つんと冷たい空気が滞っている。


「変な絵ばかり描いてるよな、お前って」


 ――違う、本当はそんなことを言いたいんじゃないんだって。


 少年は、思いを表す適切な言葉を見つけられないことに、もどかしさを感じる。変ではなく、ユニークだとか個性的だとでもいえば丸くなるが、それがその絵を適切に言い得ているかといえば、そうではない。もっと言葉を、この絵を言い表すのに相応しい、もっと言葉を、もっともっともっと。

 心に寄生したなにかが少年を突き動かしている。衝動が形を持つ前に体内でうごめいては、彼を急かす。だが、それはどれも言葉にならずに、胸の内のかゆみとなって少年を苛んだ。

 少女は苦笑し、少年を見た。


「ホント、いつもひどいことばっか言うね。ありがと」

「なんでありがとうなんだよ」

「だって、褒められてばっかりだと不安になるんだもん」


 半分は冗談、半分は本気。少女の困ったような笑顔にそれを読み取る。絵ではなく、その笑みならいくらか読めるというのに。言葉を知らない自分の愚かさを恨んだ。


「まあ、そういうもんかもな」


 美術室の大きな机に座っていた少年は、そのまま寝そべり、天井を見上げた。蛍光灯が切れている。色が鮮明に見えるからこの場所が好きだ、と少女がいっていたことを思い出した。明るすぎると色が濁るのだとか。


「美術部って、引退とかねえの?」

「人によるかな。文化祭に出展して引退ってパターンが多いから、やっぱり十月とか」

「遅いな」

「そう、遅い。あたしはまだ引退してないし」

「だな」

「うん。というか、ずっと絵は描くから。引退とか、ないかな。厳密には」


 少女も少年の横で仰向けになった。並んで切れた蛍光灯を見る。光を失った蛍光灯は単なる灰色の筒で、どこか居た堪れない雰囲気がある。ただそこにあるだけで、機能をなしていない蛍光灯が、少女にはなんとなくうらやましく感じられた。

 卒業したら、ふたりは別々の高校へ行く。なんとなく連絡を取らなくなり、なんとなく疎遠になり、なんとなく関係もうやむやになることを、ふたりとも漠然と感じ取っていた。

 だからこそ、今、この瞬間こそが大切なのだ。

 英語の授業で見せられた映画をふたりは同時に思い出す。カルペ・ディエム、その日をつかめ。

 少年は少女の手を握った。天井に絵具のシミを見つけた。青と黄色が並んでいた。黄色の方がより鮮明に見えた。少年は胸に手をあて、ギュッとワイシャツをかたく握り締めた。

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