とびこえたさき
「退屈だから死のうかな」
「生に対する冒涜だとか、きっとあいつだったらそう言うよな」
――どの口が。
と、ふたりして思う。
雨上がりの通学路を三人で歩いた記憶がちらちらと顔を覗かせるのを、必死に掻き消そうとした。
鮮烈な赤。そんな派手な傘さしてるといじめられるぞ。少年が少女をからかうように言った。少女はローファーのまま水たまりに飛び込んだ。水が跳ねる。弾け飛んだ無数の水滴のなかに映る世界がありえるはずだった現実で、今歩いている通学路のほうがはかない妄想。逆転している。逆転した無数の水滴のなかを泳ぎながらぐるぐる回り、出口を見つけられない。過去にとって可能な今はいくらでもあるのに、今にとっては過去は一つしかないのは理不尽な気がした。
秋雨が肩を濡らした。傘ささないの、と聞く女に曖昧に頷いた。青い傘が黒に見えるくらいに暗かった。幾重にも積み重なった過去が鈍色の綿菓子となって空から甘い重い汁を垂らす。夢、嘘、幻想。ある。ない。吹く風は冷たく、濡れた肩から熱が徐々に奪われていく。今、この瞬間に触れ得ない過去。ねえ、傘ささないの、と聞く女にタクシー代を渡し、コンビニでビール二本買ってから海へと歩いた。タクシーの運転手が、一瞬だけ男を見た。
――退屈だってのは、死ぬのに十分すぎる理由だ。むしろ、それ以上に死にふさわしい理由なんてないんじゃないのか?
高速道路のしたで、うえを大きなトラックが走る時に高架があげる唸り声を聞くのが好きだった。
三人で高架下の歩道橋でおしゃべりをした。上下をものすごい速度で車が、人と物が過ぎていった。コンビニ、教室、公園、他にいくらでも話せる場所はあったはずなのに、下道、高速、歩道橋と、三重に交差する移動の中心で会話をすることこそが大切だと、三人とも漠然と思っていた。全てが一瞬ですれ違う、最も大きな摩擦の生じる交差点なのだ。車がうるさくて互いの声なんてほとんど聞こえない。言葉は届かない。耳を寄せて、声を張り上げる。かえって距離が縮まった気がした。
「ねえ、どこ行くの?」
「なんだ、帰らなかったのかよ」
女はあとについてきていた。浜に座った。砂がほんのり湿っている。暑くはないのに、べたべたとした空気が肌にまとわりつく。海風特有の執着の強い、メランコリックな湿度に嫌気がさす。なのになぜかこうして足が向く。
ビールを女に差し出した。黙って二人はそれを空けた。心地良いはずの波音も、打ち上げられた海藻が夏の終わりを嘆く声のように聞こえた。海はいつも終わりを嘆いている。短さを、単純さを、退屈さを。波がふたりに近づいてくる。遠くに船の光が見える。不知火。靴を脱いで立ち上がると、波打ち際に歩み寄った。水が冷たい。もう一歩近づいた。もっと冷たい。青く光っている。星よりも弱い光。確かにそこには光があるのだ。からだと海がひとつになる深みまで進もうと思ったところで、女が袖をつかんだ。
「知ってる? 藤壺って、甲殻類の仲間なんだってさ。貝じゃないの」
「動かないのって退屈じゃないのかな?」
波を蹴り上げた。水しぶきが遠くの船の光をはじいて、星のない夜空に散った。夢のような時間。ただただ楽しかった時間。きらきらと輝いていた時間が蘇る。
「ねえ、なにしてるの、帰ろうよ」
「ああ、そうだな」
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