小銭を握りしめたまま
胸に響くバスドラムの音を思い出しながら、男はたこ焼きを頬張った。
都心から近くアクセスも良い、規模は小さいものの、有名なバンドも多数参加する。フェスに本格参戦するほどもう若くない、同い年の友人がそうぼやいていたのを思い出し、男は苦笑した。
「え、なになに、あたし可笑しなこと言ったかな?」
出店の雰囲気をせめて楽しもうと、高いテレビ塔の下の催しを見に行った。二人の家から近く、こうして外で酒を飲むにはちょうどよかった。
かき氷、焼きそば、ケバブ、ヨーヨー、射的、空気で膨らませた大きな滑り台。ちぐはぐな夏祭りの光景は誰かにとっての新しい過去になるのだろうかと、男はぼんやり思った。
「あーいや、違くて。なんかさ、昔のことを思い出してた」
「ひどい。ちゃんと聞いてなかったんだ」
いつまでも耳の奥で鳴り響いてやまないのは、タレントとして活躍する年老いたシンガーのしゃがれた声。
男は彼の歌をそれまで聞いたことがなかったし、フェスで聞いてもそれほどの感銘も覚えなかった。「馬鹿にしてんのか!」と周囲に怒鳴り散らした。巻き起こる笑い。シンガーの笑みにさす微かな影が、年齢を感じさせた。
友人でしかな彼女と行ったフェスが特別に感じられたのは、まだ自分が若かったからかもしれない。
「ごめん、そうだね。きっと聞いてなかった」
「やっぱり。もういいよ」
「ああ、ごめんごめん。もう一杯買ってくるけど、いる?」
女は視線をそらして拗ねて見せるものの、素直にうんと頷いた。
テーブルのうえの五百円玉をひろいあげた。指輪とこすれて、カチャっと小さな金属音が鳴った。五年か。男は思った。
夏の盛り。近所の商店街の祭りのあと、小銭を拾いにいった。自動販売機のした、おつり、排水溝。早朝に探しに行けば五百円ほどになった。オールナイトのフェスが終わると、誰もが眠たげな表情を浮かべてシャトルバスの列に並ぶ。小銭を探す少年はいない。工業地帯で住宅はない。歓楽極まりて哀情多し。
「ぼうず、どうした? 落としたんか?」
排水溝から木の枝を引き抜き見上げると、白いランニングシャツにトランクス姿の中年男が立っていた。丸い眼鏡に白髪混じりの坊主頭、張り出した腹。どこからか小銭入れを取り出し、銀色の硬貨を少年の手に握らせた。
「これやる。おじさんが取っておくから、帰りな」
落ちていたのは百円で、少年が握りしめていたのは五百円だった。中年男の小銭入れがどこから出てきたのか、深く考えないことにしている。
五年前のフェスと十数年前の出来事が重なる理由がわからなかった。同じ祭りの光景だからか。同じ罪悪感と後悔がそこにあるからだろうか。
女と別れ、別々の駅へ帰る。
家までの小道に、祭りの提灯が垂れていた。雰囲気だけでも楽しもうという心意気か。角のコンビニで追加のビールを二本買った。
途中足をとめ、道路の端の排水溝をのぞいてみた。煙草の吸殻と雑草。祭りのあとの寂しさが、男の胸に去来した。
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