切りとって貼り付けて繋いで

「夕方までに返してよ。バレたら殺されるよ」


 ――ハハ、そんなの無理に決まってんじゃん。


 少女はブラウスの袖をまくりあげ、三冊のマンガをあらあらしく取り上げた。少年はおずおずと引き下がり、うつむいた。

 立場ははっきりしていた。少女は明確にそれをしめすために、少年の肩に上からおさえつけるように手を置き、言った。


「大丈夫だって。夕方までに返せばいいんでしょ」


 返すとは言いながらも、返さないという意思表示だった。少年は少女の手に強い力が入っていることに気づいた。いつもであれば言い返すことはない。だが、怖いのは少女だけではない。姉だって少年にとっては同じだった。


「……ほんとに返してよ。お姉ちゃんのだから、バレたら僕、どうなるかわかんないよ」


 ――まさか。殺されるわけないでしょ。せいぜい殴られるくらい。


 少女は帰ってすぐに漫画を読み始めた。三冊。まあ読みきれないこともないだろう。そう高を括っていた。

 夕方になって何度もチャイムが鳴った。少女はうるさいとは思いながらも、出る気ははなからなかった。

 実際、夕方までに返すつもりで読んで、間に合わなかったのだ。途中、少し眠ってしまった。そのつもりで読んだのだから、自分は悪くない。そして、まだ二巻の途中だ。今出れば、三巻まで返せと言われるに決まっている。だから、まだ返せない。それが少女の無理な言い分だった。

 鳴りやまぬチャイムを無視して、冷蔵庫から麦茶を出した。

 グラスになみなみと注いで、ゆっくりと飲み干した。外からは少年の嘆くような声が聞こえていたが、そのうち聞こえなくなった。

 少女は二巻を読み終えると、気になって玄関の扉を開けた。扉の脇で、少年が体育座りで待っていた。


「ねえ、お姉ちゃんに殺されちゃうよ。早く返してよ!」


 手に持っていた読み終えた二巻を、少年は乱暴にひったくろうとした。少女は反射的に、ぎゅっと強く握りしめた。

 ばらばらになったマンガは、吹き過ぎた初秋の風に散った。彼岸過ぎで、風がしだいに冷たくなる季節だった。


 ――ハハ、まさかホントに死ぬとはね。


 身体が弱いのは知っていたし、だからこそ自分の思い通りにできると思ったのだ。それが、あんなことになるとは。もう、もとには戻らない。切れてしまった過去は、どうやったって今とひとつづきにはならないのだ。




 腹の出た、頭の禿げあがった冴えない中年男性がふりかえった。若くして結婚、窓際の社畜、家族には相手にされず、ペットも飼っていないのでどこにいても孤独で自分を裏切ることのなさそうな植物が最後の頼みの綱、といったところだろう。

 接客を続けることで、千里眼のような鋭い観察力が身についた。巧妙な打算は顧客の欲や望みを細部まで精緻に分析し尽くした結果だ。一部の隙も無い完全無欠のマシンなのだ、と自負していた。

 霧吹きで葉に水をかけてから布で拭く仕草も、男の注意をひきつけるため、ひいてはオキャクサマのマンゾクのため。

 世の中、マンゾクが全て。マンゾクされるならばどんな手段だってかまわない。欲のために人は働くし、ものを買う。人を使う。欲がなにもかもを動かしす手段となり目的となり歯車となって社会は成り立つ。

 女はその一部分としての役割をまっとうしている。


「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか」


「ああ、ちょっと妻へのプレゼントを」


「でしたら、こちらなどいかがですか。お手間はかかりませんし、見た目も可愛らしいです。手がかかるのは奥様も大変でしょうし、そういった意味ではこちらがお誂えむきかと」


「ああ、はい。いや、でも……。やっぱりちょっと、考え直します」


 ——間違えた?


 女は、たよりないその男の背中を見送った。少年が大人になっていたら、ちょうどあんな感じだったかもしれない。あの夕方の少年の背中もまた、寂しげに丸まっていたのだ。

 マンゾク。マンゾク。マンゾク。


 ——私は、それで満足しているのだろうか?

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