わかりあえない私たちの言い訳

「あれ、テレビの人ですよね」


 ――テレビの人。ではないですけど。


 女は毎日のように同じ言葉で話しかけられることにうんざりしていた。リアリティ番組に出演することが名を売るには絶好の手段だと判断したのだが、あまりに軽率だったと気づいた頃にはもう手遅れだった。

 SNSにアップされた写真の料理は、赤や緑、紫、黄と、鮮やかに彩られているのに、美味しそうだとは思えなかった。女は思う。ディスプレイ越しに見える自分も、同じようにグロテスクなほど艶やかに彩られているのだろう、と。


「見てくれたんですかー。ありがとうございますー」


「あれって、どうなったんですか、結局?」


 ――くそが。あれってどれだよ。


 女の時間と目の前の男の時間とではズレがある。収録と放送とでは時間差があり、女にとっては放送される自分の映像を目にするのは苦痛でしかなかった。放送状況を把握していない。


「良かったら、ご飯とか行きませんか?」


 ――知らねえ男と行くかよ。


 内心では苛立っていたものの、感情をおくびにも出さず微笑んでみせた。嘘をつくのは幼少期から板についている。だが、日に日に何かが噛み合わなくなっていることを感じずにはいられない。拒食と現実とのあいだで確かに歪みが生じているのだ。


「ごめんなさい。これから友達と約束してるんです。時間がなくて」


 親しげに話しかけてきた男の表情が一瞬で変わる。ああ、これだ。何度も見てきた表情。画面越しに毎週のように見てきた誰かを他人だとは思えなくなるのは、どうやら世の常らしい。

 あからさまに不快げな相貌をさらし、しばし黙っていたかと思うと、なにも言わないまま背を向けた。過ぎ去った、と安堵した瞬間、男が足を止めて振り返った。


「ちっ。タレント気取りかよ」


 ――ハハ。お決まりパターン。聞こえてるって。あ、聞こえるようにいったのか。



「人の気持ちとか、もっと考えれば」


 目のまえの少女の瞳からは、涙が流れていた。力強い印象は、一度だって忘れたことはない。コントロールできなかった。地位を築くには、自分より下の人間を作り出すのが簡単なのは道理だ。あとは横のつながりを共通の罪のうえに積み上げていく、中学生のあどけないクラス内政争のはずだった。


「言い訳すんなよ」


 女は事件の後に言われたその言葉は今でも忘れられない。幼なじみの少年の蔑むような視線はさか棘のついた針となって心に深く刺さったまま、ずっと抜けないままだった。

 ただ後悔を遠ざけるためだけに、女は目立とうとした。言い訳ではない別の逃げ方を探している。それだけのことだった。



 女は、流行りの店のまえを通り過ぎた。SNSに写真をアップする。煌びやかな画像を並べて、いかにも華やかな生活を演出する。これのどこにリアルがあるというのだろうか。さっきの男に聞いてみれば良かった。



「事故だったってホント?」


「ホントでしょ。だって、まじで自殺だったら笑えないじゃん。アハハ」


 ――そう思いたいから、そう思うだけでしょ。


 笑うことができなかった。制服姿の少年少女の列と、黒いスーツの先生たち。泣き咽ぶ中年の男性と、その横には憎しみに満ちた顔で正面を見据える女性。

 軽く考えなければ自分を保てないと思ったのは女だけではない。クラスの誰もが罪悪感に押しつぶされないように、自分に言い訳をした。傷が傷を呼ぶような惨劇を誰よりも拒んだのは大人たちだ。全員が共犯者で、同じ感情と思考を持ち合わせた。



『シェアするから、あたしがあたしなんだって思えるの』



 送られてきた雑誌のページを飾る自分と、言葉の軽薄さに吐き気をもよおした。

 写真の奥に多くの欲が隠されていることを知っている、根源が空っぽだということもわかっている。

 自分を人より高いところに置こうと目指したさきには、空しかないこと。バベルの塔が天にいたるまえに、いつしか人々がおなじ言葉を話さなくなったことに気づく。地に足ついても雲のようにつかみようのない曖昧さがまとわりつく。

 写真の表層で揺れる色彩は、決して誰かの心を震わせることのない没個性な固有振動数だった。きっと彼なら、つまらない音、といって蔑む。その視線に、女は耐えられなかった。


「言い訳すんなよ」


 春の訪れを感じて気紛れに口にした言葉が、気取っているなどといって叩かれた。そんなことを思い出しながらも、ゆっくりと夢に近づいていく。

 ベッドのなかの自身の温もりだけを抱いて眠る。正しさなんてどこにもないのではないか、と脈絡もなく思った。甘えだ。言い訳だ。人と人が違い、人と人がそれぞれ好きに生きればいいなんて欺瞞だととうに気づいているのに、誰もが個性や差異を尊重しようと声高に主張する。違う違う違う、私たちは異なることは当然なのだから、どのようにしてわかりあえるかを、どのようにして同じものを見ているのだと気付けるかを、話さなければならなかったのに。


「どうして助けてやらなかったんだよ」


 スマホがぶるっと震える。通知だ。女のシェアしたなにかに同調する、誰かの声だ。部屋は少し、エアコンが効きすぎている。もう一度、ぶるっと震える。鏡を見た。そこに映る女は、雑誌のページに載る誰かとよく似ていた。

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