星と死と詩の読めない人々
「なんで? ねえ、なんで?」
数多の星をおしいれの奥にしまいこんだら、光を失った世界を死が覆い尽くした。なんで、という言葉は死の一断片で、めくってみると、もう朝だと知った。
――なんで?
男は洗面所で顔を洗ってから、自分の顔を毎朝のようにじっと見つめる。そこに自分以外のだれかの顔を探している。あるいは、そこに自分以外のだれかしかいないから、自分の顔を探しているのだ。
鍋で湯を沸かした。うえの戸棚からインスタントの袋麺を取り出し、鍋に入れた。粉末スープをすべて入れると濃いので、いつも半分だけ使い、残りは捨てる。乾燥ワカメやネギの入った『ラーメンの具』、卵を鍋に混ぜ込んだ。
そうしてなにもかもほうりこんでから、胃へと流し込む作業だ。食事は、ただそれだけのことなのに、どうしてこれほど苦痛に感じるのだろうか。生とこれほどまでに直接的で強烈な結びつきを感じる行為は、食事以外にない。
「お兄ちゃんは、そんなに残さなかったよ」
世界が揺れる。頭の奥で聞こえる母の声は、何度も男を苛んだ。兄と常に比較され、劣等生の烙印を押された。母がそばにいなくとも、遠い過去の記憶は呪いとなって男を苦しめ続けていた。
自分の店で借りた『パンズラビリンス』をもって仕事に行った。
家を出て駅まで真っ直ぐ五分ほど歩くと、途中で花のにおいがした。名前も、どこに咲いているかも知らないのに、においだけが毎年どこからかする。花に誘われて街を迷いたくなる。
男はガソリンスタンドの手前を左に折れた。バイトまではまだ時間がある。
「お兄ちゃんは、寄り道なんてしなかったよ」
また聞こえる母の声を振り切るように、にぎやかな人だかりへと向かって歩いた。
初めて歩く道だった。三年以上ここに住んでいるのに、近所に知らない場所があるだなんて思わなかった。
細い路地のさきの駐車場に軽トラがとまっている。それを囲うように人だかりができ、中心から威勢のいい声が聞こえてきた。
集まる人だかりの先に、山のように積まれたカボチャを見つけた。深い緑色に、エメラルドグリーンの縞模様が走っている。タンクトップ姿の男がそれをひとつ取り上げ、鉈のように大きな包丁を取り上げると、そのまま振り下ろした。すっとカボチャの半分ほどまで刃が入る。刃が半分ほど入ったままのカボチャを、軽トラの荷台のふちに打ちつけると、真っ二つに割れたカボチャをすばやくつかみとった。
「おおー」
見事な手際に歓声があがった。声に応じるように、鮮やかな黄色い断面を高く掲げて見せた。言葉通り瓜二つだ、と男は思った。
「半分で二百円。スーパーじゃ買えないよ!」
「お兄ちゃんは、遅刻なんてしなかったよ」
――僕は、お兄ちゃんじゃないよ。
ほんのちょっと、早く生まれただけなのだ。年子だった兄はほとんど弟に関心を持たなかった。兄の弟に対する蔑むような視線が、母への媚びだと知っていた。愛情を奪い合う兄弟の戦いは、生まれたときにのわずかな違いだけで、最後には大きな差異へと成長していった。
瓜二つ。容姿に差はない。なのに男は、影として生きてきた。目の前に掲げられた黄色い断面を見ながら、男はポケットからスマホを取り出し、バイト先の番号をタップした。
「今日、休みます」
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