やがて散る花の美しさの秘密
ゲート前に建つ銀色の時計の針が、約束にはまだ早いことを示していた。湯水のように溢れ出す人々は誰もが同じ顔をして、誰もが同じ方向に俯きながら行進している。目的地はわからない。全体が大きな黒い波を成している様は、日の光の届かない暗い森の、風が樹冠を揺らすときのさざめきに似ていた。快いはずの朝がまるで呪われた日の始まりだと言わんばかりの陰鬱さをたたえていた。
そのなかで淡い燐光を放つ一点を見出し、男は安堵した。
どこまでも平凡で、平凡さが際立っている。身長が高いわけではないが、これといって低くもない。地球上の人の顔を測って平均化したらできあがるような特徴と言える特徴を一つも持たない顔で、体型もまた、細いとも太いともいえないような捉えがたいものだった。
見るべきところがなにもないはずの彼女だけは、人波にまぎれることなく、なぜか一瞬で見つけることができた。彼女の輪郭だけが春霞のようにぼやけ、桜色の雲のように淡い。
女は清楚な印象の白のワンピースに淡い桜色のカーディガンと、春めく装い華やかだった。
「遅くなっちゃった。ごめんね」
「ううん平気。今来たところだから」
ありきたりなやりとりを面映く感じ、それを隠すように女の手を少し強く掴み、人々とは反対の方角へと歩き始めた。
「どこ行くか、もう決めてあるの?」
「ああ、うん」
駅を出て、川沿いの道を歩く。吹き抜ける暖かい風に、花びらが混ざっている。宙を舞い、白くひかるそれを、男は捕まえた。
「散った桜の花びらを捕まえると、その年は良いことがあるんだって」
女の春めいた明るい笑顔に、男は胸を突かれた。
「その年って、もう四月になるけどね」
「ふふ、そうね。それで、結局どこに行くの?」
固く結ばれたはずの紐を指先で器用に解いてゆくようなたおやかな喋り方をする。堤から階段をおり、池のように水のよどんだ淵の前にふたりは立った。手前の花壇にはデイジーと、自治会の『大切に育てています』という立て札があった。
男は花を踏まないように大股で花壇をまたいで、並んで欄干に寄りかかって覗き込んだ。
「ここで、なにが見えるの?」
「散った花びらだよ。散る時が一番綺麗だろう?」
「そうかな。花が咲く前も、咲いている時も、散る時も、散ってからも、ずっと綺麗だと思うけどな」
淵は底知れぬほどに暗かった。表面を青白い花びらが絨毯のように広がっていた。女は、わーっと無邪気に声をあげ、欄干から身を乗り出した。男はそっと、その腰に手を添えた。
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