だから君はあたしが死んだら雪の夜も星の夜もそこにあたしを探さなければならない

 ひとひらの雪が少女のひろげた手のひらに吸い込まれるように落ちた。水になった雪が、肌に染みてなくなるのを見ているようだった。消えるよりも早く、次の結晶が舞い落ち、肌が透けるように色を失っていった。それでも少女は、手を閉じようとはしなかった。

「冷えるよ」

 少年は手袋を差し出した。

「いいの。このまま雪の熱を感じてたいから」

「……なにそれ、アニメの台詞かなにか?」

 少女が不機嫌そうに背を向け、灰色の空を仰いだ。血の気の失せた少女の頬が街灯に照らされ、下にうっすらと紫色の静脈が走っているのがわかった。ひとひらふたひらと重なっていく雪は、ゆっくりと水になった。

 少女は頬をダウンの袖で乱暴に拭うと、少年の方へと振り返った。濡れたままの頬を滴が流れ落ちた。

「あたしね、そのうち死ぬの」

「そりゃ僕だってそのうち死ぬよ」

「ううん、そういうことじゃなくて」

 アスファルトの表面を覆い始めたあたらしい雪を、少女が踏んだ。キュッと雪の縮こまる音か聞こえる。スニーカーのつま先に水が染み、足先の感覚が徐々に薄れた。

 少女だって寒くないはずがない。だが、街灯の下に立つ少女はまるで、舞台に立つ役者のように堂々と胸を張り、大きく息を吸って、高い声を遠くまで響かせた。

「星、見えなかったね」

「うん、見えなかった」

 寒さのせいか、少年の声は微かに震えていた。

 しぶんぎ座流星群が極大になっても、目に映るのはふわふわと宙を漂う雪だけだった。ちょっとした物見遊山のつもりで出てみたものの、星月夜の天気予報はあっさりと裏切られ、既に雪が積もり始めている。星よりも遥かに遅い速度で降下し、遥かに長い時間留まり続ける。明日も明後日も、長ければ一週間以上、凍って解けてを繰り返しながら次第に色をくすませながらも、ゆっくりと消える。そして春になればきっと雪があったことなど忘れ去られて、無闇に花が咲き乱れるのだ。 

 少女が踏んだ跡の雪は、解けて消えた。小さな黒い穴が、ぽつん、ぽつんと、等間隔で空いて、少年に向かって伸びていた。少女は少年のすぐ目の前にいた。

「人が死んだらね。星になるんだってさ」

 夜は更け、家々の光は乏しい。

 少年は黒い瞳を覗き込んだ。潤んだ瞳の中の世界を、一面の白い絨毯が埋めていた。日々の営みを隠し、遠くの音も、家の気配も、学校の記憶も、昨日のことも明日のこともすべて吸って、静謐だけがそこに残った。

「……それでね」

 少女の頬が雪に濡れていた。黒い髪に雪が重なり、積もり、そのうち風景に溶けてしまいそうに思えた。少年は手を伸ばし、髪に乗った雪を払い落とした。髪の毛は濡れて束になった。烏のように黒く光り、そこだけが夜のように暗かった。シャンプーの匂いが甘く鼻をかすめ、少年の意識はぼんやり薄らいだ。

(人が死んだら星になる)

「星が死んだらね。雪になるんだってさ」

 冷え切ったのか、少女の顔に降る雪が徐々に長い時間とどまるようになった。街を白く覆い尽くしたように、少女も雪に埋もれていく。今夜のうちにきっと、ここにある、ここにしかない、ありとあらゆるものが消えてしまうのだ。

 少年は雪を払い落とすことも忘れて、薄くなっていく少女を見ていた。街灯から降る光が冷たく感じられるほどに白く、雪のせいか、あるいははなから白かったのか、ちっとも思い出せなかった。

 雪は降り続け、白で塗りつぶされた街の垂直面だけが雪で覆われずに際立ち、少女の垂れる長い髪と区別がつかなくなっていった。

(星が死んだら雪になる)

 街は冬の森のようだった。その静かな森に落ちた天使が、帰り道を探している。それが目の前の少女だ。クラスで見る表情とはまるで違う。人間ではありえないほどに美しく、星より、雪より、美しいものを目にした気がした。

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