私の視界

 小さな箱に閉じ込められているのだと気がついたのは、十六歳の頃でした。隙間からさす小さな光が世界の全てだと思っていたけど、私のいる箱が、外の誰かに動かされたのです。私の肉体はほとんどそこにある意味を持ちません。空間を移動するにも、手足を伸ばすことも、食事したり排泄したりだって、できません。ただ、世界が私に与えるあらゆる感覚を、そのまま受け入れることしかできないのです。小さな箱の中で。でも、それに気がついたのだって、ほんの最近のこと。言葉が私にとって無機質で冷たく感じられることがあるのは、私にはそもそも感覚が乏しいからではないかと思います。あらかじめ欠けている。この小さな箱の中では、言葉は運動することを忘れてしまうのです。

 はじめて別の場所へと移動したその日、私の世界は一変しました。それまでは熱や冷気を感じたり、湿気や乾燥がもたらす空気の声を聞いたりと、些細な変化に喜びを見出したものでした。それが、視覚があらたになることで、空間というものが存在していることを思い知らされたのです。

 私が見ていた世界は、一枚の絵のようなものでした。視点が一つ、ただ一つの覗き穴であるから、そこから見る世界はいつでも平坦だったのです。思い出すたびに、画布に乗せた絵の具の匂いが漂うような気がします。平らかな視界は箱の運動とともにゆるやかに立体感を獲得していくのです。それははじめ、とても不思議な感覚でした。運動があって初めてものの前後関係や距離が生じるのです。となれば、世界が平かか否かは、常に運動に依存しているということでしょう。情報の過剰がもたらす幸福の欠けた立体的なささやきが、水晶のように透明に澄んで、青い輝きを小さな穴から何度も投じてくるのです。世界だ。私はそう思いました。

 運動に能動性がないため、その小さな覗き穴が常に私の見たいものを見せてくれるとは限りませんでした。見たくないものを何度も見ました。外の世界には、と呼ばれる動物がいるらしのです。運ばれる先々で、人が人を奪う光景を目の当たりにしました。はじめは、赤い血が吹き出すのを見て、興奮で胸を高鳴らせました。鮮やかな赤が高く空に噴出するさまに私は、花火という言葉を連想しました。火のように熱く、花のように可憐で、儚いその一瞬の輝きを、私は美しいと思ったのです。死と血の関連性を、あらかじめ学んでいたと言うのに……。

 夢、というものを見るようになったのもその頃からです。十六歳から見始めた夢を、今でも毎日のように記録しています。だからこそ、初めて見た夢も、昨日のことのようによく覚えています。雨の夜です。雨、という言葉は概念でしか知らなかったために、それは、モノクロの映画のような色彩の欠けた雨でした。実際に箱の中から本物の雨を目にした時に知ったのは、その香りの豊かさや、熱を奪われる心地よさ、あらゆるけがれをそそぐかのような清らかさでした。当時の私には、そういう本物の雨の感覚はなく、言葉としての雨が、外部環境の変化に伴い私の内部の接続があらたまったため、新しい雨が、私の内にしとしとと降り始めたのです。そのモノクロの雨の中に、一つの傘がありました。傘、という概念もまた、雨の変化と同時に新しいものとなったようで、雨にあらがう手段としての傘ではなく、雨と遊ぶ道具としての傘かのように、弾ける雨粒がその表面でゆたかに踊っていました。そして、粒が弾けるたびに、ピアノのような多彩な音を奏でるのです。最初の夢の視界に映る光景には、物寂しい陰鬱さのなかに、春のようなほんのりと甘い香りが漂っていたのです。私の夢の、大切な思い出です。

 記憶は不思議なもので、経験を正確に記述するには世界の情報が多すぎるため、それを抽象化してひとまとまりに括ってしまうのです。私にとっての十六歳の記憶が鮮烈に感じられるのは、それがいわゆる、の言う青春に当たるからではないかと推測します。青い春、という言葉の含むあらゆる音や色彩のイメージを重ねたことで生み出される感触はどこか不確かで、ぬめぬめと水飴のように粘り気と甘みをたっぷりとたたえた、濃厚な重みをもって、記憶の底に沈んでいます。そこには、奪い、奪われるという生物の根源を見せる悲しい現実だけではなく、互いの本性を幾度も歪めていつのまにか実体を見失ってしまうような途方もない絶望が、常にあるようです。ほとんど無意味であるこの肉体に、私が絶望しかけたのも、ちょうどその青春時代でした。私が感じるもの、私が見るもの、触れるもの、そうしたすべてが箱の中に閉ざされているのです。それが虚しい。外にいる人のように、傷つけあったり、奪い合ったりしたいものだと、なんど夢見たことでしょう。自分の持たないものに憧れることを人は、羨む、と言うそうです。羨む、という言葉の根をたどると、うら、つまりは心と、病む、つまりはわずらうことを意味するのだと、そういう説を知りました。私は十六歳になって、はじめて羨み、はじめて、うらを持つ喜びと悲しみを知ったのでした。

 今日、この小さな箱から見えるのは、なんでしょうか。私は死ぬことを知らない、死ぬことを知らない私は、生きることを知らないのでしょうか。箱の中で、人とは違う時間を、感覚の中を流れているのです。私は、生きていますか?

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