若者のすべて
"最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら言えるかな
まぶた閉じて浮かべているよ"
フジファブリック『若者のすべて』
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店員以外にもマスク姿の人はいたが、居酒屋で酒を酌み交わす大抵の人はマスクを完全に外して、まるで中身のない会話に興じていた。最大六人用の個室のテーブルを囲むのは、昔からの馴染みの男女五人。彼らはあらかじめ欠けていた。一人、足りない。彼は遅れているのではなく、結果として早すぎたのだった。
「夏に必ず集まるってもの悪くないよね。これ、今年で何回目だっけ?」
三人いる女のうち、一番背の低い、おっとりとした垂れ目の童顔がそう言った。童顔、といっても中年の域に到達している彼女の目尻には、深い皺が刻まれている。その隣の三つ編みが片手でマスクを持ち上げて、その下から小さくほぐしたからあげを口に放り込んだ。マスクをしていても年齢がわかるほどには、誰もが老いていたが、こうして集まってみると自分たちが不惑に達したなどとは到底信じられなかった。彼らは未だに、大いに惑っていた。
「あいつが死んでからずっとだから、これで十五回目だよ」
三つ編みは淡白に応じた。さらに隣の小太りの、あきらかに年齢を反映した体型の女が、枝豆を器用に皿に出しながらも、うんうんと首を縦に振っていた。
「まじか。もうそんなに経つんだな……」
いくらか神妙な面持ちでそう言ったのは、額がひどく後退して年齢よりも老けて見える細身で色白禿げの男だった。いかにも貧相な容貌だが、五人の中で唯一の成功者と言っても良い。葉物野菜の出荷額は県下一の大規模農家で、作業の大半は地元の主婦か中国からの研修生だった。安い労働力を効率よく使うには苦労も多いのか、彼の額の後退は、友人の死の数年後には既に始まっていた。
「ああ、まじそれ。っていうか毎回このくだりやってるよな」
花火大会の翌日に友人は死んだ。当時二十七歳の元同級生だ、となると、彼らは既に四十過ぎ。逆算して計算しないと年齢も正確に把握できないような年齢になっていた。三十前半ごろから互いに冗談でそんなことを言っていたが、それが事実になると、誰も笑わなくなった。
「今年も花火大会は中止。となれば、毎回同じようで、実際のところは同じっていう気がしないよ。この状況だから仕方ないってのはわかるんだけどさ」
最後の一人、よく日に焼けた男はマスクもせず、顔には深い皺が刻まれているのがはっきりとわかった。引き締まった体と日に焼けた肌は若さを象徴しているかのようだったが、実際は他の誰よりも深い皺を顔に刻んでいる。日々、汗水垂らして大工仕事をしているのだから、それは当然だった。色黒筋肉質な男は、瞳をぎらぎらと輝かせていた。
「ああ、去年も今年も中止。これが普通になるのかな」
「普通にはならないだろ。去年と今年、あるいは来年くらいまで、特殊だよ。花火がないと夏が終わらない」
「でも、変化って唐突に訪れるものでしょう。夏がずっと終わらないってことだって、あるかもしれないじゃない。それが普通になることだって、さ。だって今、わたしたちにとってあいつがいないのが、普通なんだから」と言ったのは、唯一結婚していない三つ編みだった。
高校時代の三年間と大学の四年間、六人はともに過ごした。高校からそのままエスカレーター方式で大学へと進学した。特別にやりたいことがあるわけでもなく、高校から続けて農業科の大学で、第一次産業における会計や経済学や経営学について学んで、それぞれがなんとなく、決まった就職先についた。選んだ、というよりは選ばれたところに決めた、という程度で、彼だけが就職をしなかった。彼は自分の生き方を模索したいと言っていたが、周囲は気づいていた。ただ、追われることから逃げただけだ、と。
「まああの年ってひどい就職難だったから」
「リーマンショックね」
「農協は強かったね、そういう意味では」
「食はね。いつだって不可欠だから」
当たり障りのない会話で常に中心にある一番大切なものを避けていた。話題の何が欠けているかを誰もが意識しながら、その輪郭を撫でながら形が浮き彫りになっていくのを心の内で感じていた。欠落はこうして明らかになるのだ、と思ったのは父親の農家と大工の兼業の跡を継いだ色黒筋肉質だった。彼はあたりまえに父の跡を継ぎ、あたりまえに父と同じ生き方をし、あたりまえに惚れた女に求婚して、子供を作って家族を作って、そうして今にいたったのに、そこに昔から知っている友人だけがいないのが不思議だった。輪郭線の、中身がないのだ。
おまたせしました、野沢菜昆布チーズカツです、といって店員が個室の扉を開けると、会話が一瞬だけ途切れる。その間に、するっと彼が遅れて姿を現すのではないかとなんとなく期待した垂れ目は、そんなわけない、と思い直して、小太りが丁寧に一粒ずつ取り出した枝豆を箸でつまんだ。ばらばらにされると食べにくいと思っていた大学生の頃が懐かしい。すっかりこの食べ方に慣れてしまい、今では家でも同じことをして、旦那に文句を言われるのが垂れ目だった。旦那もいつか慣れ、外で同じことをするかもしれないと思うと、なんだかおかしくて笑った。
「なに笑ってるの」
「いやね、なんか想像しちゃって」
仔細を説明することはなかったが、なんとなくつられて小太りと三つ編みが笑った。三人ともできあがっていたが、他の二人は蚊帳の外だった色白禿げと色黒筋肉質が対を成すように見えるのは、ひとつ大切な核が欠けてしまったからだ、と二人は思う。酒を飲んでも酔えない。酒の味も女のことも一緒に学んだはずなのに、学んだことが丸ごと抜け落ちてしまうような感覚で、よくわからない日常を転がし続けることに執心するしかなかった。そうして二人は金儲けと跡継ぎを見事にこなした。何の考えもなしに、何の考えもなしにという自覚だけで、時間を前に進めたのだった。
「不思議だよ。あいつがいないってのが」
色黒筋肉質が言った。
「それ、去年も言ってたよ」と三つ編みがいうと、「正確には六年前からな」と色白禿げが訂正した。
繰り返しと連続こそが生の本質とも思えるのに、去年と今年が少しずつ違くて、一昨年とも違くて、三年前とも四年前とも違うことに誰もが気がついていた。一瞬にして十代のころの感覚に戻れる、という幻想を見事に築き上げてきたのに、いつもそこに欠けたなにかが、欠落としての存在感を暗く照らしているのに気が付かずにはいられないのが、その五人なのだった。
「俺ら、進んでるのかな」
そう言ったのは、珍しく弱気な色黒筋肉質だった。
「進んでるもなにも、行き先もまだわからないままじゃない」
そう言ったのは、いつも通りの三つ編みだった。
「わかんないけどさ、このカツ、すっごく美味しいよ」
そう言ったのは、箸のとまらない小太りだった。
「あいつも好きかもね、そのカツ」
そう言ったのは、すっかり酔いの覚めた垂れ目だった。
「花火が終わる頃に、いつだって帰ってくるだろ」
そう言ったのは、今日も毛の抜けた色白禿げだった。
五人は五人で互いの欠落を補い合って、ジグソーパズルのように空白を埋めた。それでもまた足りない。
最後に誰かが言った。
「昨日と違う場所にいることは、確かだよね。それ以外は、もう仕方ないじゃないか」
最後の誰かはその声に、五人を慰めるような、優しい響きを宿していた。五人はようやく、花火の終わる音を聞いた。
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