生きた記録

 網棚に置かれた本を誰が置いたものかも知らずに手に取ったのは、平日昼間ということもあり、その車両に乗っているのが男ただ一人だったからだ。

 端の席に座り、角にもたれかかるようにして体重を預けた。スマホをポケットから取り出し、アプリで本のデータを読み込んだ。

 やっぱり、と男は思った。読書記録を本に残せるアプリがある。GPSデータと本を同期し、置いた場所を記録しておけば良いだけの簡単な仕組みだったが、本と直接に結びついた感想がクラウド上に残される。『世界を図書館に』というのがアプリのコンセプトだった。読まない本を本棚で寝かせておくよりかは、街に出て、どこかに本を置いて、誰かに読んでもらおう、と。紙媒体が廃れつつあるなか、本好きのなかでそのアプリは密かなブームとなっていた。

 記録を見ると、始発駅で誰かが置いた本だとわかった。GPSのデータとタイムスタンプから推測できる。本のISBNを読み込むと、近くに残された同じ本のデータが地図上に表示される。最も近いのが始発駅に置かれたもので、タイムスタンプは二十分前になっていた。GPSデータは本ではなくスマホの位置に依存するため、この本を置いたと記録した瞬間の位置情報が、クラウド上に残される。データ上、本はまだ始発駅に置かれたままだった。実際の本は電車の網棚の上で、都の中心から遠ざかり続けていた。

 男は本を開く前に、アプリに書かれた読書記録を先に読み始めた。

 時間、場所が記録されている。この本がどこから、どのように動いて来たのかが記録され、一緒に感想のようなものやメモ書きが残されていた。「この本を次に手にする人に幸あれ」と他愛無い願いのようなものが残されていることもある。男もまた、数々の本に記録を残した。残した記録は本に関することというより、男が読んだ時の心情をものがたるような漠然とした文章ばかりだった。「雨続きに陰鬱とした気分」という文章を見て、男も似たような内容の記録を残したことを思い出した。

 本はこうして人の手から手へと移り渡っていく。その記録の全てを追うことは到底できない。アプリを使っていない人の手に渡った瞬間に、本の記録は呼吸をやめる。三年以上位置情報の更新がなければ、その本は死んだものとして永遠に削除される。そこにあったはずの誰かが読んだという記録も、感想も、その時の思いも、本と一緒に消えさる仕組みだった。


 さて、と男は本のページを繰り始めた。

 すらすらと読める類の本ではなさそうだ。はじめの数行でその意味を捉え損ねてからは、ずるずると滑るようにして意味がこぼれおちていくのがわかる。その掴み難い文章を読む作業は、読むというよりかは書くに近い気がした。というより、作る、か。と男は思い直す。ばらばらにこぼれおちた言葉を、男は頭の中で再構成しなければならなかった。難解な言葉で緻密に綴られた言葉の数々を、一つひとつほどいては、新たにアラベスクの施された一枚の絨毯を編むように、丁寧につなげなければ、読んだという経験すらも男からこぼれおちてしまいそうな気がした。

「断片的な意味を繋いで明日の可能性を探る」

 男は、自分で残した言葉の意味がわからなかった。その本もまた誰かの手に渡り、男が残した言葉も、もしかしたら誰かにとって意味のある言葉に変わるのかもしれない。そもそも、言葉は誰かが所有できるものではない。ただそこに流れているだけなのだ。


「本とは、時や空間を軽々と飛び越える手紙だ」と誰かが何かに書いていた。

 二千年も前に書かれた『ガリア戦記』を読み、それが明らかに同時代人のために書かれた文章だとわかる。自らの戦果を広く喧伝するためのいわばプロモーション活動のようなものだったはずだ。だが、その簡素な文章に美しさを見いだしたのは同時代人だけではない。淡白で、純粋な報告文のように見えるその文章は、一分いちぶの隙もないほど言葉が綿密に配されている。端正な文章、とでも言えばいいだろうか、ある種の完全性を備えているそれは、ラテン文の模範とされているとか。

 男は不思議でならなかった。二千年前の武人によって書かれた文章が、今もなお美文として語られ、褒め称えられるのは、何故なにゆえなのだろうか、と。もしそれがいまだなお称賛されるほどの美しさを備えているならば、この二千年間、人類は文章を書くという行為においてほとんど前進していないとでもいうのだろうか。

 男はスマホ画面を眺めた。『ガリア戦記』について書かれた感想やメモ書きを読む。前進していないとでも、いうのだろうか。前進していないとでも。いや、後退したのかもしれない。人類、という大きな文脈で人が人を語る時にしか、人は大きい意味を持ち得ない。同時に、大きな文脈で語られると、一人の人は意味を持ち得ない。視点の操作でどうにでもなるという厄介な代物をどう扱っていいものか、男は計りかねていた。


 アプリに頼ってばかりいてはいけない。そう思ったのは、網棚に置かれた本を手に取ってから、三年が経過した頃だった。アプリの記録を読み返していた。通知に、男の記録を最後に、本のデータが一冊削除される旨が表示されていた。つまり、男がその本を最後に手にしたということを意味している。その本は、男から別の人間へと渡されることなく、男の手元で、本棚の中で、呼吸をやめてしまったことを意味する。本は読まれてこそ、生きる。生き返らせるためには、それを読む別の人の手に渡す必要がある。アプリでだけ紡がれた本の歴史。雲の上には太陽がある。太陽は常に雲を照らしている。いつか晴れる。晴れた時に本の記録は、本とともに消えてしまうのだろうか。読んだ人々の記憶も消えてしまうのだろうか。

 本を棚から見つけ出すと、ゆっくりとそこに書かれた文章を読み解いていく。三年前に読んだ時には拾えなかった言葉が、男のなかに染みていくのがわかった。意味を解す、というより意味になる、とでもいったほうが当を得ている気がした。男は本になる。男そのものが本である。生きること、動くこと、誰かと言葉を交わすこと、言葉以外のなにかを交わすこと、心を通わすこと。男は常に読まれ、読む。書かれ、書く。そうして、いつか、誰かにとっての大切な言葉になるのかもしれない。などと、本を読みながら、いつの間にやら不思議な空想に耽っていた。

 外に出た。

 本には、いくつもの記録を残した。初めて手に取った網棚。その日、本の意味をほとんど解せなかったこと。今そこに書かれている意味をようやく捉えられて感じたこと。外の空気。気分。昨日あったこと。なんでも良いのだ、と男は思った。

 最寄りの駅から電車に乗った。のぼりの電車は混雑していが、どうせなら、本が始まった場所へと、戻してやりたいと思った。

 電車の中でもその本を読む。読む、という行為にどんな意味があるかと問うこともやめた。ただ、読む。男は遠くのどこかの誰かが、いつか紡いだ言葉の数々を、ほとんど食べるように飲むように、読んだ。本は男の体になる。本は人間を作り、人間は本を書き、読み、その過程で無数の人物と出会う。人間がいるのはどこなのだろうか、と。

 都心の大きな駅に到着し、扉が開くと同時に大勢の人々が電車から吐き出された。男はその場に残された。そしてゆっくりとした所作で、本を網棚に置いた。本は孤独に見えた。だが、男は確信していた。いずれそれもまた、誰かが手に取るのだろう、と。

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