プロローグを出た先で

針音水 るい

プロローグを出た先で

 目を開けると、そこは一寸先まで闇の中だった。

 どれだけ辺りを見渡しても何も見えてこないし、手を伸ばしても何の感触もない。

 自分がどこの誰で、一体何をしているのかも全く分からない。


 それでも僕は…不思議と怖くはなかった。


 何か温かいものに包まれている感覚と、耳をすませば聞こえてくる心地よいリズム。

 ここに自分はいてもいいんだと思えるような、そんな空間。

 どうせ僕には何もできないのだから、ここで引きこもっていても誰も困らない。

 だからきっと僕は、ここで一生守られて生きていくんだ。

 そう思っていた。


 あの人が来るまでは…。


 ***


「いやぁー、どうもどうも!私こういうものでして…」

 洒落た装飾の施されたランプをぶら下げて、突然やってきたその男は名刺をさし出してきた。

 暗闇に慣れすぎた目には強すぎるランプの灯りと、テンションの高い男の振る舞いに圧倒されながらも、僕は震える手でそれを受け取る。


「『なんでも新聞社の徳種とくだね出間男でまお』さん…ですか?」


 いかにも!と笑う男の笑顔は名前以上に胡散臭い。

「私はなんでも新聞社で記者をやっておりましてですね。我が社の新聞の表紙を飾るようなビッグなニュースを求めて、今こうして取材をしているんですよ!」

 ピシッとしたグレーのスーツにド派手なピンクのネクタイ。髪はボサボサなのに、お洒落な金ぶちの丸眼鏡をしている。

 記者っぽいかはさておき、なんだか掴みどころのない人という印象を受ける。

「き…記者さんが僕になんの用ですか…?」

 ほとんど使うことがなかった喉で掠れた声を絞り出すと、男はさらに笑顔になる。

「実はぜひともあなたの今までの体験を記事にさせて頂けないかと思いましてですね!」

「え…僕の体験ですか…?」

「そうです、そうです!今まで見たこと、聞いたこと。あなたがこれまで経験したこと。どんな些細な内容でも結構です!ぜひとも私にお聞かせください!」

 熱のこもった言葉に、大きすぎるジェスチャー。

 相変わらずのテンションの高さ。

 そんな様子に、僕はさらに萎縮する。

「ぼ、僕の経験なんて…急に言われても…。そんなの…すぐに思いつきませんよ…」

 気がついたらこの暗闇にいて、なんとなく日々を過ごしてきた僕に、記事になるような話なんてあるわけがない。

 激しく動きまわっていた徳種さんは、僕の言葉を聞くとピタッと動きを止めてこちらを見た。


 ランプの光が眼鏡のレンズに反射していて、彼の目の奥は全く見えない。


「そうですか、そうですか。うーん、それは困りましたね…。でもそうですよねー。急に話せなんて言われても思いつきませんよねー」

「なんか…ごめんなさい…」

「いえいえ!気にしないでください!こちらがお願いしている身ですから」

 にこりと笑いながらうんうん、と大きくうなづく。

「どんな小さなことでもいいんですけどねー。うーん、そうですね…。例えばですけど、私が以前取材した方は、世界で一番大きなオムレツを作ろうとしていましたよ!」

「え…?オムレツ…ですか?」

「そうです、そうです!あの方は元々はベテランの板前さんだったのに、何気なく入った洋食屋で出たオムレツにとんでもなくハマってしまったらしくてですね。何十年も続けていた寿司屋を突然たたんで、独学でオムレツ作りに没頭し始めたそうですよ」

 人生何があるか分かりませんね、と陽気な男は声をあげて大笑いするが、それを聞いた僕は唖然とする。

 今まで積み上げたものを全部放って自分で新しいことを始めるなんて…。


 僕にはきっと無理だ。


「そ、それで…その人はオムレツを作れたんですか…?世界で一番大きいの…」

「あー、そうですね。たぶん今も挑戦中だと思いますよ。何せあれは材料集めがかなりの難関ですから…」

「そんなに大変なんですか…?」

「そりゃあ世界で一番大きなオムレツですからねぇ。卵も大きくないと!毎日ダチョウを追いかけ回しているそうですよ」

「だ、ダチョウ!?」

「まぁでも、ダチョウは足が速い上に強いですから…。私が取材した時なんかは、板前さんが目の前で蹴られて逆に追いかけ回されているのを目撃してしまいましたよ」

 おかげでいい写真が撮れましたけどね!と、徳種さんがカメラを見せてくる。

 ねじりはちまきを巻いたおじさんが、顔を真っ赤にしながら巨大なダチョウに蹴り上げられている瞬間を満面の笑みで見せられて、僕はとりあえず苦笑いを浮かべる。


「あ、こんな写真もありますよ!」

 カメラをいじっていた徳種さんがまた別の写真を僕に見せる。

「これは世界で一番美しい街を取材しに行った時に撮ったんです」

 石畳の上でたくさんの人が笑顔で踊っている。夜が更けている中、いくつものキャンドルの灯りに照らされている様子がとても幻想的で綺麗だった。


 そう、確かに綺麗な写真だった。でも…


「これ…街の人は写っているのに、建物は撮らなかったんですか…?」

 徳種さんの方を向くと、いいところに気がつきましたね、と言って彼はニヤリと笑った。

「私も本当は街の景色を撮るつもりだったんですけど、あれはびっくりしましたよ!なにせ街の建造物のほとんどが苔に覆われてて、壁もボロボロで、美しいという言葉とは程遠かったですからねー」

「世界で一番美しい街のはずなのに…ですか…?」

「そうなんですよ!後からの調査で分かったんですけど、どうやらしばらく飢饉に悩まされてたみたいでですね。みなさん自分たちの生活が大変すぎて、美しい街のレッテルを保つ余裕が無くなってしまったんだとか」

「そんなことがあったんですね…」

「それにしても、あの街の人々は本当に立派な方ばかりでしたよ!各々大変なはずなのに街全体で助け合って平等に食料を分配してましたからね。『共産主義社会の美しき成功例!』なんて見出しはどうでしょう!」


 まぁでも…やはりあれは紛れもなく世界で一番美しい街でしたよ、と徳種さんは僕の方を見て微笑んだ。


 僕は改めてその写真に目を落とす。

 よく見ると、どの人もくたびれた服を着ていてとても裕福には見えない。

 それでもここにいる全員が幸せそうに笑っているのだ。

 なるほど…。

 確かにこれは「世界で一番美しい街」の写真だ。


「記者っていいですね。素敵な体験がたくさんできて…」

 僕も行ってみたい…かも。

 ついそんな柄にでもないことを呟いてしまった自分にハッとして顔をあげる。

「そうですねー。確かにいい仕事ですよ。私にとっては天職です!」


 でも…と口にする徳種さんの眼鏡のレンズは、相変わらずランプの光が反射して異様に白かった。


「仕事上、結構怖いものを見るときもありますかねー」

「怖いもの…ですか…?」

「ええ。『死への行進パレード』って知ってますか?一時期話題になったんですけど…」

 僕は首を横に振る。

「私がまだ記者になりたてだった頃、出張先で色鮮やかな花で溢れかえる、それはそれは綺麗な花畑を見つけてですね。現地の子供たちの遊び場でとてもいいところだったんですよ」

「お花畑って本当にあるんですね…」

「そりゃありますよ!でも、私が見たその花畑は次の日にはもうなくなってました。跡形もなく」

「え…」

「恐ろしいものですよ。あんなにたくさんあった花が一夜にして全て灰になっていたんですから」

「な、なにがあったんですか…?」

「さぁ、私にもさっぱり。ただ覚えているのは遠くの空に見えた大きな黒い鳥と、そこら中に漂う独特な匂いのする煙。それに地面を破壊するかのような大きな足音がどんどん遠ざかっていく音だけです。地元の人は皆さん口々にこう言っていました。また、『死への行進パレード』がやってきた…ってね」

 語り終えた徳種さんが背伸びをする横で、僕は一人静かに震えていた。

 目覚めた時からこの暗闇にいて、何も見ず、何も聞かず、いろんなものから守られてきた僕が外の世界へ出たとしたら、果たして生きていけるのだろうか。

 本当にこんな恐ろしい世界に立ち向かえるというのだろうか。


「ぼ、僕…やっぱりここから出たくないです…」


 見えないレンズの向こう側で徳種さんがじっとこちらを見つめているのを感じる。


「そもそも、せっかく徳種さんがここまで来てくれたのに…話せることなんてやっぱりないんです…。僕は何も経験していないし…誰にも必要とされていませんから…」

 突然ふわりと頭の上に温もりを感じる。

「大丈夫ですよ」


 ぼやけた視線をあげると、いつの間にか僕の真横にいる徳種さんの優しい瞳と目が合う。


「無いのであればこれからたくさん作ればいいんです。あなたはまだまだこれから成長するんですから」

「え…?」

「おや、そろそろ時間のようですね。よく目を凝らしてみてください」

 言われた通り目に力をいれると、果てしない暗闇の中に、突如一筋の光が漏れているのが見えた。


「先程誰にも必要とされていないとおっしゃっていましたが、そんなことはないと思いますよ。だって、あなたにはあの光がちゃんと見えるのでしょう?ここから出た先で、あなたに会えたことを喜んでくれる人が必ずいるはずです」

 さぁ、行ってください!と背中を叩かれる。


 本当に進んでいいのだろうか。

 自信なんてないし、正直怖い。

 でも…

 僕に会えることを楽しみにしている人がもし本当にいるのだとしたら…。

 僕はあの人を信じてここから出てみてもいい気がした。


「いつかまた、あなたのところに取材に行きますよ。その時は是非、とびっきりの特ダネをお聞かせくださいね」


 後ろで聞こえた声に押されて


 僕は今日


 初めてこの目で見えたあの光へ足を踏み出してみた。


 ***



「おぎゃああ、おぎゃああ!」

「おめでとうございます!元気な男の子です!」

「よくがんばりましたね!」

 母親の腕に抱かれながら、一生懸命泣いている小さな命。

 誰かにとってはなんの変哲もない一日かもしれないが、この子にとってはお腹の中での序章プロローグが終わり、今日が物語の一頁目。


 その物語の最初の一文は、どうやらもう決まっているようだ。


「生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう…」





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プロローグを出た先で 針音水 るい @rui_harinezumi02

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