登校中に尊死
底辺女神様ことウェルディンデ様によって現世に送り付けられた俺は朝の準備を済ませて学校へと向かっていた。
こう見えて俺はピカピカの高校生である。あ、いや男子高校生にピカピカという言葉は使わないか。
使うとすればやはり小学一年生…………
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………だと思っていたが、どうやら俺は致命的な何かを勘違いしていたようだ。俺の数メートル先を歩いているのは、一人の女子高生。
今日もしんどい程に煌めく太陽。遠目で見ただけでも手入れを怠っていないことが確信できるほどのうるツヤ髪。それら二つのシナジー効果により産み出されしは天使の輪、の究極バージョン。
そよ風により時折見えるうなじは染みという概念をご存知ではない様子。ここで肝心なのは『時折』という部分。常に見えているから意識するのでは無い。『時折』だからこそ、そのうなじの価値は百倍にも千倍にも跳ね上がる。
この確率論によるレア度の上昇を理解しているあたり……俺はそよ風くんと親友になれるかもしれない。
そよ風が吹けば制服に指定されているスカートが揺れるのは必然。そして健全な男の子の目線が揺れるスカートに釘付けになるのも必然で。
スカートから目線を少し上に向ければ制服の上からでも視認できる見事なくびれが、視線を少し下に向ければストッキングに覆われたマジカルゾーンが。
揺れるスカートというのは何故こんなにも素晴らしいのか。上に目線が逸れても下に目線が逸れても感激で胸がいっぱいだ。
…………このようにお花畑が咲いている俺の頭の中ではとある名言がリピートされる。
『見るのは無料だ』
手を出せば金と名誉を取られる。つまり有料。だが、見るだけなら名誉を失うだけで済む。つまり無料だ。ここで見ないのは自称紳士、一生の恥っ!
告って振られたばかりの野郎共も一目惚れするような女子高生の後ろ姿。それを永久保存するために瞳のシャッターを切る。シャッター音が止むことはないから、連写であることが分かるだろう。
ここまで説明すれば分かったのではないのだろうか。ピカピカとは誰に対して使うべき言葉なのかが。
そう、ピカピカという副詞を使うのに世代など関係は無かった。確かに一般的には小学一年生に対して使う。だが、別にそれ以外の人に使っても良いのだ。
例えば……俺の目の前を歩く女子高生。彼女の周りはピカピカと輝いている。性格が明るいから、いつも笑顔を絶やさないから、などという理由ではない。小学一年生のように無条件で発動するピカピカは、彼女が本物であることを示していた。
っ………!
俺の視線に勘付いたからか、女子校生がこちらを振り向いた。
無表情。されど、その顔の構成は一寸の狂いもない。天気、場所、明るさ、シチュエーション……全てが完璧。
一流女優も脱帽しかねないその情景は、見返り美人図の現代版。いや、見返り美人図のモデルは恐らく大した美人でもないので、完全上位互換だろう。
写真に収めてSNSで拡散したら最後、国を越えてあらゆるメディアにもてはやされること間違いなし。それほどの御業。
俺は、今日この時ほど一眼レフを常備していなかったことを後悔しない。
振り返る。誰でもできるただその一つの行動のみで、神域とすら言える程の神聖なフィールド展開する……。この歴史的瞬間の記録をするための準備を怠った自分を悔やむばかりである。
自決しそうな程の後悔に苛まれながらも、この機会を逃す訳にはいかないと脳髄のフィルムに目にしたものそのままを焼き付ける。
「あれ………おはよう…」
風鈴のように涼しく、猫のように可愛らしい声。朝の澄んだ空気に溶けていきそうな程に頼りないが、それは確かに俺の鼓膜を震わす。ついでに脳も震わす。
振り向きからの挨拶。見事なダブルコンボで俺の心はノックアウト。敗者であるにも関わらず、感極まってしまい涙を流してこの世の幸せを叫びたい。
が、ここで封印していたはずの呪詛が蘇る。
『朝の挨拶をされたら朝の挨拶で返しなさい!』
デーモンマザーこと我が鬼母上様の呪詛は時を越えて俺の体を震わせる。この下知を破ったとき俺は…………
うん、コミュニケーションは大事だ。特に挨拶は。決して鬼母様にトラウマレベルの指導をされたからではない。あくまでも、そう、自主的に。俺は自主的に挨拶をするんだ、そうだ、絶対にそうなのだ。
「おはよう、神野さん」
母上により植え付けられた常識という名の行動指針に則り、俺は努めて冷静に挨拶を返す。右手がまだブルブル震えているが、気にしない。母上を僅かでも連想してしまったのだ。正常な生理現象と言える。
…………今は母上とは別のことを考えよう。そうしよう。本当に、精神衛生上よくないからね。うん、心の健康は保たねば。
俺は少しでも母上の面影から離れ、癒しと救いを求めるために目の前の高校生……神野さんを見る。
神野さん。
彼女とは初対面だが、彼女の噂は何度も耳にしたことがあるし遠くからなら眺めたこともある。
俺の同級生にして、俺と同じカテゴリーに入れてはいけない程のスペックの持ち主。頭が良くて、運動神経も抜群。歌唱、文学、弓道、ミスコンとジャンル問わずの覇者。しかも性格が穏和。
四字熟語にすると、容姿端麗、才色兼備、窈窕淑女、頭脳明晰、一目十行、科挙圧巻、好評嘖嘖、精明強幹、古今無双…………。あらゆる褒め言葉を欲しいままにする彼女はすごい。もう語彙力を無くして『すごい』しか言えなくなるぐらいすごい。
そんな彼女だが、一言で人柄を表すのなら『天然』だろう。おわかりだろうか。この神野というゴイスー天才少女、天才だからこそ全て天然でなんでもやり遂げてしまう。すごい!
しかも、良家の箱入り娘とあって世間知らずとはいかないまでも常識が整っていない。当たり前のように、車の先に天使がちょんと付いている高級外車で通学する。すごい!
そんな彼女だが、天然というのは周知の事実である。だから、同じクラスでもない名も知らぬ俺と通学路で邂逅してそのまま仲良く学校までお喋りしていてもなんら驚かない。だって天然だから。
「へぇ〜、今日は眠気を覚ますために歩いて登校しているだ〜」
「ん、そう。昨日は国立研究所で天体観測をしていたから」
朝の挨拶をした後に暫く他愛もない話をしていたら、神野さんは眠たそうに目をこすりながら衝撃の事実を口にする。
眠気を覚ますために徒歩で通学。うん、分からんでもない。
朝、偶然会った名も知らぬ初対面の同級生と仲良くお喋りして通学。うん、よくわからないけど百歩譲ってよしとしよう。
昨日、国立研究所で天体観測していた……。うん、全くわからない。国立って何? 国が支援? 頭良い? 最先端? 研究? 神野さんがそこで天体観測?
そこで俺は気づいた。
そうか、だって神野さんだもん。驚かない、驚かない。だって彼女は天然だから。
「すごいね!」
もう訳がわからないけど取り敢えず称賛する。なんか頭がバグってるような気がするけど元からだろう、たぶん。
「ん、それでね、星の軌道とかを正確に計測したんだけど双曲線軌道が…………それで惑星間には………重力……潮汐破壊されて…」
ちょっと難しすぎて何も分からないけど、相槌を打ちながら学校を目指す。
どうやら、神野さんは一度話始めると止まらないタイプのようだ。次からが次へとよく分からないことを解説付きで説明したり愚痴る。もう何を愚痴っているのかさえ俺は理解できないから、本当の意味で相槌を打つことはないけれども、形だけでもと思い相槌を打ち続ける。
本来であればこんな状態に至れば人はストレスを抱えるものなのだが……不思議なものである。一切ストレスを感じない。
この一方的な会話のみで俺が楽しめてすらいるのは、ひとえに神野さんの人徳なのだろう。
彼女は天然でありながらも表情の変化が乏しい。殆ど無表情だ。それでも、瞳の奥に宿る感情の起伏は隠しきれていない。
鼻につかないほどに薄く付けている香水からも、目立たないながらも手を抜いていないことが分かる髪の小さな編み込みからも。寝不足でありながら、最低限(俺にとっては最高峰)の清潔を保とうと努力していることが分かる。
俺に愚痴りながらも、道すがらに咲いている雑草の類いであろう花を盗み見ては、どうしようもない喜びを溢れさせている。
様々な要素が絡み合って、神野さんという人格を形成している。まっすぐひたむきで、常識にちょっと疎い。そんな、一人の少女。
あぁ、尊い。
人生の大半をゲームに費やしている俺から見ると、彼女はいろんな意味で眩しい。ピカピカと良い人オーラで万物に幸福を与えている。
『天は二物を与えず』
俺はいつも、この言葉の枠外にいる人々は全員野垂れ死ねばよいのに、とか思っていた。だって二物も三物も与えられていてズルいじゃん!
だが、二物も三物も与えられべく産まれてきた人もいるようだ。
「………でね、……なんだけど………っで、このことはどう思う?」
でもやっぱり、才能がある人は羨ましいよ。だって才能があれば今の神野さんの問いにも余裕で答えられるんだろう? 対等な才能があれば対等に会話することもできたんだろう?
神よ、なぜ俺には才能がないんだ!? なぜなんだ!!!
この問いに対して何を答えろと? 聞いてませんでした、とでも言えばよいのか!? 気不味くなっちまうだろ!!!!!
俺は頭の悪い方ではない。神野さんの頭が良すぎるのだ。ぶっちゃけ、何を話していたのか全く理解できなかった。でも話に水を差すのはなんか失礼だからと………そんな中、
『っで、このことはどう思う?』
はい、終わったー俺終わったーーー。なんて答えるのが正解なの? 素直に言えば良いの? 『何も理解できませんでした』って!?
いや、無理だよ。だって神野さん今めっちゃ期待している目で俺を見てるもん!!!
こうなったらもうヤケクソだ!!!
俺は開き直ることにした。もうこうなったらネタに走ってツルツルに滑ってやる。ビンタされるかもしれないけど、甘んじて受け入れよう。玉砕覚悟で特攻だ。
「すごいね!」
俺は言った。言ってやった。人によっては馬鹿にしていると捉えられても可笑しくないその言葉を。問いに対する答えにすらなっていないその言葉を。
そして俺は覚悟する。神野さんを怒らせることを。神野さんを悲しませることを。俺が罵倒されることを。
だが、結果は想像とは違った。神野さんはテヘッと笑って……
「ふふっ、君、面白いね。あ、別に起こってないよ。ていうかなんならごめん、ちょっといたずらしちゃった」
無意識に溜め息を吐いてしまう。それと同時に、先程までの不安に対する反動が訪れた。
マジでよかった〜嫌われなくてマジ幸せ。もう嫌われたらどうしようとか逡巡して損したわー いや、ほんと良かった……なんだ……いたずらだったのかー! いや〜 可愛いな〜 神野さん、天然のくせに小悪魔かよ、まじよかった〜
心の中で嵐のように気持ちを整理しながらも、会話が途切れることを恐れた俺は当たり障りのないことを口にする。
「もうすぐ学校かー」
学校が近くなるにつれて、俺と神野さんの周りにもチラホラと他の生徒が見えてきている。俺と神野さんは万が一にも付き合うことがないほど階級が違う。あ、これを話のネタにしよ。
「なんか、一緒に歩いても男女の仲だと誤解する人はいないから、人目についても大丈夫なんて、嬉しい誤算だな」
「男として素直に喜んでよいことなの? それ」
おっと、まさかの天然からの鋭いツッコミ。しかも地味に傷つく。
「それはまた別の話だよ」
このまま話を続けるとズタズタに心がやられるので、無理やり話を捻じ曲げる。
「あ、今話を捻じ曲げた?」
おい、天然! 気を使え! 俺が苦笑するしかなくなるだろっ!
「あ、そういえば」
先程まではずっと隣り合わせに歩いていたのだが、神野さんが話題転換をしながら俺よりも一歩前に出る。
その瞬間、全身の毛が逆立った。
神野さんは、パッ、と振り向いて、俺の後ろの方……青空に薄く白い月が浮かんでいるであろう場所に指をさす。
「月、綺麗だね」
妖艶な微笑み。輝く眼差し。溢れ出るオーラ。
俺が唖然としていると、神野さんはタッタッタッと校門の方へと駆けていった。
そういえば…………
天然美少女、神野さんの名前って『華怜』
そうか、華怜、かれん、可憐……
「はぁ、なんで毎度毎度あなたは」
いつものように、溜め息を吐きながらやってくるのは我等が女神、ウェルディンデ様である。どうやら俺はまた尊死してしまったようだった。
「いいかげん、学習してください! 私があなたを下界に戻すのにも限度があるんですよ!」
またまた〜 そんなこと言っちゃって〜 ツンツンなんだから〜
「べ、別にそんなにツンツンしてるつもりは………」
いつものようにツンツンしたりオロオロしたりデレデレしたりする女神様で少しだけ遊ぶ。その後、女神様の力によって俺は地上に戻された。当然、戻った頃には既に神野さんはいなかった。
そのまま真面目に授業を受けるが…………どうしても授業に集中できなかった。
だって、普段は無表情な天然美少女が言ったのだ。
『月、綺麗だね』と。
頬を少し紅に染めて、まさかの笑顔で、いたずらっぽく。
一見、告白にも見えるこれは……彼女なりのフォローなのだと思う。
『なんか、一緒に歩いても男女の仲だと誤解する人はいないから、人目についても大丈夫なんて、嬉しい誤算だな』
そんな、自分を卑下したとも取れる事を呟いた、俺に対しての。
『周りの反応がどうであろうと、自分だけはあなたを異性として認識していますよ』
そんな意志が込められた『月、綺麗だね』だったのだと思う。
ん? え、あ、あれぇええ?
これ、もしかしなくても、告白? 告白なの?
えっ、でもなんかえっ どっちだろう
そんなこんなで、またまたついつい悶えてしまう。尊い。神野さん、まじ尊いっす!!!
………余談だが『月が綺麗ですね』と相手に好意を伝えられた場合、それに対する自分の気持ちをイエスかノーかで伝える遠回し表現も存在する。それを知らずに神野さんが伝えるだけ伝えて校門の方へと駆けていったのは………彼女が天然だからだろう。
尊死確定演出マジきたコレー! ルメコメ @rumecome
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