夏と花火と幼馴染 3





「よっしゃあ! 出目金ちゃんゲーット!」


 ガバッと立ち上がり浴衣の袖を上げ、ポイを持ったままガッツポーズをとる七海。


「たかが一匹で騒ぐな。暑苦しい」


 隣でしゃがみこんでいた壮太は眉を顰めて唇を尖らせる。


「おやおやおや~? なんですか~? 僻んでるんですか~? 羨ましいんですか~?」


 七海は腰をかがめて壮太の、まだ何も入っていない器をニヤニヤと見つめる。


「るせー、黙ってろ。これから取るんだよ、これから」


 白熱灯の橙色の光に照らされた、風呂桶程度の広さの浅い水槽。風に揺らぐ水の中で身構える赤や黒の金魚たちに視線を落とす。散々ポイでかき回され、金魚たちはすでに疲れたように固まってじっとしている。それでも、ポイを入れて忍び寄ると、最後の力を振り絞るように、するりと無駄のない動きでポイを交わしていく。


 しばらく熱中して、金魚を追いかけ回していたが、弱った金魚を水槽の隅に追いやって、すっかりふやけたポイに乗せた瞬間、一体何をしているんだろう、とやけに馬鹿馬鹿しい思いに駆られた。そのわずかな時間に、ポイの上で暴れた金魚がポイを破って水の中に落ちた。


「残念だったな、兄ちゃん」


 そう言う屋台のおじさんにポイと水しか入っていない器を回収される。


「ほんと、残念でしたね、壮太くん。まあ、私は一匹取りましたけど」


 七海は、結局一匹も取れなかった壮太を嘲笑うかのように言って、黒い出目金が一匹入っている金魚袋を見せびらかす。


「フン、別に金魚なんか欲しかねーんだよ。世話するのめんどくせーし」


「おやおや、負け惜しみですか」


「おめ、ウゼーんだけど」祭りではしゃぎすぎて周りが見えてない典型の鬱陶しい七海から、壮太は目を逸らして呟く。


「うっわ! ウゼーとか言った! ウゼーとか言いやがりましたよ、この子は! もう、うん十年も付き合ってる親友をウゼーとか言いやがりましたよ!」


「それがウゼーっつーの。うん十年ってなんだよ。俺らまだ十七だっつーの」


「もう、この子は人の揚げ足ばっかり取って! ユウとアッコもなんか言ってやって」


 七海がそう言って後ろを振り返った先には、居るはずの二人の姿が見当たらなかった。


「……あれ?」


 同時に振り向いていた壮太も立ち止まる。


「どうした」


「ユウとアッコがいない……」


 さっきまでの勢いはどうしたのか、七海は突然捨てられた猫のように心細そうな声で不安げに呟いたかと思うと、いきなり両手で頭を抱えて、「はぐれた!?」 と、大騒ぎし始めた。


「ど、どどどうしよう!? どうしよう、壮太! はぐれちゃったよ!? 二人が迷子になった!」


「迷子になるかよ、この齢で。落ち着けバカ」


「そ、そうだよね! 落ち着かなきゃ。落ち着いて、どうするの? 警察に電話するの? 捜索願い出すの?」


 未だにおろおろとしながら、目の前を行ったり来たり早足に歩き回る七海に、壮太は深い溜め息を吐いた。


「お前は、本来の目的を忘れたのか? アイツらを二人きりにさせるために祭りに来たんだろーが」


「へ? あ、ああ! そうだった」


 七海は、壮太に言われて思い出すと、「じゃあ何の問題も無いじゃん!」と言って、ようやく立ち止まった。


「さ、作戦通り!」


 少し二人の姿が見えないだけでこの動揺ぶりだ。こんなんで、二人が付き合いだしたりして、本当に大丈夫なのか? そう思いながらも、壮太は出そうになる溜め息を飲み込み、先に歩き出した七海の後について歩き出す。


 七海は焼き鳥屋を見つけると「あ、焼き鳥! 金魚すくいでは壮太に勝ったんだし、奢ってもーらお」と妙に大きな声を出して走り出した。


 壮太は思っていた通りになったな、と思いながら七海の後姿を見る。七海のあの作戦を聞いている辺りからこうなる気はしていた。だから、最初はこの作戦に反対した。


 前も見ずに走り出していた七海がドンッと誰かにぶつかって後ろによろめき、それを後ろにいた壮太が受け止める。


「わ、す、すいません」


 七海は慌てて態勢を立て直すと、ぶつかった人に頭を下げて謝る。その様子を見ながら、壮太は少し祭りの灯りから離れた木陰に雄大と淳子の姿を発見した。


 ぶつかった人が笑って許してそのまま去っていった後、七海もどうやら二人を見つけたようだった。


 壮太たちに雄大と淳子が何を話しているのか、声は聞こえない。雄大がはじめ真剣な面持ちで淳子に何かを言い、淳子が一言言うと、雄大はあからさまに嬉しそうな顔をして、祭りの灯りに照らされた二人の頬は遠目にも赤らんで見えた。


 おそらく、七海の作戦が上手くいったのだ。


 七海はふいに二人から目を逸らして、静かな足取りで歩き出した。壮太もそれに付いて歩き出す。


 七海が向かっているのはさっきまで食べたがっていた焼き鳥屋ではなく、神社の裏山の方だった。裏山の方には人影も灯りも無く、さっきまで騒がしくて明るい所にいたのが嘘だったかのように静まり返っていた。


 裏山の山中にある開けた平地に辿り着くと、七海は見晴らしのいい所に置いてある大きな岩に腰掛けた。


 しばらくすると、ドンと音がして夜空に満開の花が咲いた。


「小学生の頃はさ、よくここで四人で遊んだよね~」


「ああ、そうだな」


「楽しかったな~」


 そう言った七海の大きな黒目がちの瞳には、昔見たものと変わっていない色とりどりの花火たちが映りこんでいる。


「でも、全然来なくなってた」


 空を見ていた七海が俯いて言った。


「こんな風にさ、どんどん一緒にいる場所とか、時間とか、無くなってくのかな」


 今にも泣き出しそうな声でそう言う七海の隣に座った壮太は、ポンッと七海の頭に手を置く。


「しょうがねーだろ。俺たちも、もうガキじゃねーんだし。四人ずっと一緒なんていられるわけねーんだからよ」


「分かってる……つもりだったけど」


 七海は俯いて、下唇を噛み締めている。泣くのを堪える子供のような顔だ。ようやく自覚したか、と壮太は七海の頭から手を離す。


「私、みんなのこと、好きだよ。大好き。だから、アッコとユウに幸せになってもらいたかった」


「ああ」


「でもね、さっきの二人を見た時、すっごく苦しくなったの」


 そう言って、膝元に置いた両手をぎゅっと握りしめる。


「やだなあ。なんで、今になって気付いちゃったんだろう」


 そう言った声は震えていて、壮太を見上げた七海の笑顔は苦しそうに歪んでいた。


「私も、ユウが好きだった」


 震える唇から洩れた弱々しい声。大きな瞳に浮かぶ涙の粒。壮太はそんな七海を真っ直ぐに見つめて、親指の腹で七海の涙をぐい、と拭った。


「知ってた」


 そう言って見つめ返すと、七海は「え」と驚いたように目を見開いた。


 壮太は七海の気持ちも雄大と淳子の気持ちも知っていた。三人ともが鈍感で互いの気持ちも、自身の気持ちにすら気づけていなかったというのに、何故自分だけはこんなにも敏感に感じ取ってしまったのだろうか。そんな自分自身に少々嫌気がさしながら、壮太は考える。


 ああ、こいつのせいか。壮太は手に持ったカメラを見下ろした。どうやら、カメラのファインダーには目に見える以上のものが映し出されてしまうらしい。


 カメラに映し出された三人の表情は恋をしている顔で、その眼差しの先を辿れば、自然に気付いてしまうのだ。


「壮太はすごいよね。なんでも気付いちゃって」七海は目を逸らして、自嘲気味に笑った。「気付いてたなら、今日の作戦、止めてくれたって良かったのに」


「止めただろ。余計なお世話だって」


「あ、そっか。そういえば、そうだった。ごめん」


 壮太たち四人は、幼馴染であるからこそ、必要以上に慎重にならねばならなかった。これまで積み上げてきた関係が壊れてしまうことが、それほどに恐ろしいことだからだ。


 だから、雄大はなかなか淳子に告白が出来なかったし、淳子も雄大に上手く甘えることができなかった。壮太は二人が両思いだと知りながら、積極的に二人の関係を進めさせようとはしなかった。そして、七海はずっと雄大への気持ちに気付かないふりをしていた。淳子と雄大が両思いだと気付いても、三角関係になることを怖れて、さっさと二人を付き合わせようとまでした。その方がまだ、三角関係になって完全に幼馴染という関係が崩壊するより、ましだと思ったのだろう。


「うん、でも、これでいい。これでよかったんだよ」


 七海は鼻を啜って、手の甲でごしごしと涙を拭う。


「だって、私、ユウもアッコも、二人とも大好きなんだもん。幼馴染でいられるなら、それでいいんだ」


 断続的に花火が上がる。地響きのように大きな音がして、夜空の低いところで花が咲く。パラパラパラ、と弾けるように火の粉が夜空に散って、地に舞い落ちる。白い煙が風に流されて消えていく。


「それで、いいんだけど……。なんか、気を遣っちゃうよね。ほら、これからはユウにあんまり世話焼かせちゃいけないな、とか。アッコの家にあんまり入り浸っちゃだめだな、とか。休みの日に遊びに誘ったら、二人がデートだったりした時、どうしようか、とかさ」


 笑いながら、冗談めかして言う七海の空元気の声を、壮太は花火を見上げながら聴く。


「やっぱさ、今まで通りじゃ、いらんないよね」


「さっきも言っただろ。しょうがないんだ。ずっと四人一緒に居られるわけがない」


「分かってるよ。でも、やっぱり、淋しいね」


「それなら」と、壮太は七海に向き直る。七海が壮太の顔を見上げた。「俺たちも、付き合うか?」


「え?」


 夜空に咲いた花火が明るく闇を照らす。七海の驚いた表情がはっきりと目に映った。ああ、今の顔、カメラで写したかった。


「冗談だろ」


 そう言って、七海から花火へと視線を移す。七海はしばらく呆然としていたが、いきなり拳を突き出して、壮太の二の腕を強く殴りつけた。


「いって! 何すんだ」


「壮太って、ほんとに乙女心が分かってないよね! むかつく!」


 七海は俯いたまま、ポカポカと壮太の腕を殴り続ける。地味に痛い攻撃に、壮太は堪りかねて、ポッキーの箱を盾にした。すると、突然攻撃が止んで、七海が顔を上げる。


「でも、ありがと! ちょっと元気でた」


 にこっと笑う七海の顔に影はなく、夜空に上がる花火のように明るかった。


 その笑顔に、壮太はふっと笑みを浮かべる。そうだ。今はそうやって気付かせるだけでいい。七海の幼馴染は雄大と淳子だけじゃない。壮太だっているのだと。


 壮太はそんなことを思いながら、花火の方に目を移した七海の横顔と、その向こうで上がる打ち上げ花火を見て、カメラを構える。シャッターを切る。


 五月蝿くても、夜空に映える色はひどく綺麗で、誰もが魅了されてやまない打ち上げ花火が、何故だか七海に少し似ている気がして、終わってしまうのがどうしようもなく惜しかった。


「来年もここで見るか、打ち上げ花火」


 そう言った壮太に、七海は嬉しそうに笑って、「再来年も十年後も、ずっと見に来ようね!」と言った。


「ああ」


 今は焦ることはない。じっくり、ゆっくり、進んで行けば、それでいい。壮太と七海には、来年も、再来年も、十年後もきっとあるのだから。






夏と花火と幼馴染 (完)



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


夏と花火と幼馴染を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます!

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

よろしければ、フォロー、評価、応援よろしくお願い致します!

泣いて喜びます!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏と花火と幼馴染〈3話完結〉 PONずっこ @P0nzukko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ