夏と花火と幼馴染 2
夕方六時になる少し前。夏祭りが開かれる神社の前で、壮太は一人塀にもたれかかり、祭で何を食べようかと思案していた。焼き鳥、フランクフルト、から揚げ、かき氷、ミルクせんべい。考えれば考えるほど腹が減ってくる。
相変わらず日が沈むのは遅く、まだ外は明るい。昼間のかんかん照りの天気のおかげで熱せられたアスファルトからむしむしと熱い空気が這い上がってくる。
暑苦しい、と思いながら半袖Tシャツの襟首をつまんでパタパタと服の中に空気を送り込む。
「おっせーな、あいつら」
首から下げたデジタル一眼レフカメラを手持ち無沙汰に弄んでいると、足元に影が現れて目の前で誰かが立ち止まった。
「なんだ壮太、早いじゃないか」
その言葉に顔を上げる。そこには、このくそ暑いというのに白いシャツの第一ボタンまできっちり留めている、真面目な顔をした雄大がいた。
「暑苦しいのが来た……」
腕時計に目をやると、待ち合わせ時間のちょうど五分前。雄大はいつも五分前行動の真面目男だ。
「悪かったな、俺で」雄大はフン、と鼻で笑ってから、壮太の隣に並んで辺りを見回す。「なんだ、七海はまだ来てないのか」
「ああ」
「珍しいな」
確かに珍しい。登校時間の待ち合わせでは必ず遅れてくる七海ではあるが、遊びの約束ではいつだって誰よりも早く待ち合わせ場所に居るのが七海だ。そんな七海が楽しみにしていた夏祭りの待ち合わせに遅れてくるなんて。まさか、何かあったのか。壮太は無意識に携帯電話をポケットから取り出して、七海からのメールが入っていないかを確かめていた。
「七海から連絡は特にないな」そう言った雄大の声に横を見ると、雄大も携帯電話を取り出してメールをチェックしていた。「直に現れるだろ」
「アッコは?」
「……何故、俺に訊く」
雄大が訝しげな顔でこちらを軽く見上げる。雄大は壮太より少し背が低い。というよりも、壮太の背が少し高い。四月に測った身長は百八十センチちょうどだった。バスケットボールなどのスポーツをしていたのかとよく訊かれるが、特にスポーツに打ち込んだ経験はない。遊びで野球やサッカーやバスケットボールをすることもあるが、あくまで遊びだ。本気で打ち込んでいる趣味と言えば、写真くらいか、とカメラを見下ろす。
カメラを持ち始めたのは小学生の頃からだったろうか。はじめは親からもらった使い捨てカメラだった。すっかり気に入って、毎月のお小遣いで月に一つ使い捨てカメラを買い、せっせと現像していた。中学生になり、親が通販でノートパソコンを買った時におまけで付いてきたコンパクトデジタルカメラをもらい、毎日のように持ち歩いて写真を撮った。使い捨てカメラのような制限がないだけに、たくさん撮って、あとでいい写真だけを残した。高校生になって、バイトしたお金でミラーレスを買った。だが、それでは飽き足らず、翌年にはついにデジタル一眼レフを買ってしまった。カメラ好きが歩む道をまんまと歩んだことになる。
デジタル一眼レフを買いに電気屋へ行ったとき、店員にどんなカメラが良いのかと相談した。「何の写真をお撮りになるんですか」そう訊かれて、壮太は迷わず「幼馴染」と答えていた。今まで撮った使い捨てカメラのフィルムも、デジタルカメラのSDカードもそれらの大半が幼馴染の映った写真ばかりだった。
風景や動物や食べ物や建物を撮るのも嫌いではないが、やはり人が一緒に写っている方が良い。人が入ると表現力が増す。表情や仕草の一瞬を切り取ることが楽しい。上手く写っていればなお良い。何より、撮った写真を後で見返す時に、見知った人間が写っていた方がその時々の思い出が蘇って嬉しい。
壮太の思い出の大半は今のところ幼馴染四人で過ごしたもので溢れている。
「別に。一緒に来んのかと思ってたから」
「七海と二人で来るんじゃないのか」
雄大の言葉に、それもそうか、と納得する。それと同時に、そういえば、と今日の目的を思い出した。ちょっとお膳立てでもしておくか、と壮太は口を開く。
「お前さ、いつんなったらアッコに告んの?」
「はあ!?」
雄大は目を丸くして、耳を赤く染め、大声を出した後ですぐにゲホゴホと激しく咳込んだ。唾が気管にでも入ったらしい。
「い、いいいきなり何言い出すんだ! というか、お前が何故それを!?」
「いきなりじゃねえし。お前ら分かりやす過ぎだし」
言いながら右手で左肩を揉む。カメラを提げていると肩が凝るのが難点だな。
「いい加減、告っちまえば?」
「か、簡単に言うな」
雄大は拗ねたように唇を尖らせてそう言うと、ふい、とそっぽを向いて俯いた。そうなるともう、壮太からは雄大の旋毛しか見えない。
「お、お前こそどうなんだ」
「は?」
雄大は反撃の糸口を見つけたかのように、顔を上げた。
「七海に告白しないのか」
そう言った雄大の顔は、強気で反抗的な顔を作ろうとしながらも、失敗して不安と心細さが滲み出ていた。十歳年の離れた弟のことを思い出す。初めて幼稚園に通うことになった日の弟の顔にそっくりだ。一人で幼稚園という知らない世界に置いてきぼりにされる心細そうな顔。なんで一緒に居てくれないの、と訴える目だ。
「ふざけんな。俺を道連れにすんじゃねえ」
そう言い、軽く膝で雄大の太腿を蹴る。雄大は、また少し心細そうに拗ねた顔で黙り込んだ。
微妙に気まずい沈黙をどうしたものかと考えていると、前方から淳子が小走りに駆けて来るのが見えた。橙色の地に黄色い花が散りばめられた鮮やかな色の浴衣を着てきている。肩甲骨辺りまで伸びた黒髪が今日はサイドアップにまとめられ、ゆらゆらとトンボ玉が揺れる簪が刺さっていた。いつも会っている幼馴染が、一瞬知らない人のように思えた。女は変わるよな、とぼんやり思う。髪型や服装、化粧でころころと変化する。
「はあ~、ぎりぎり間に合った?」
淳子は一息ついて、巾着から取り出した携帯電話で時間をちらりと見た。時刻は六時ちょうどを示している。
「浴衣着るのに手間取っちゃって」
そう言いながら浴衣の着崩れを手際よく直す淳子を見てから、壮太はその姿を見ている雄大を見た。
雄大は淳子の浴衣姿をちらりと横目で見て、頬を赤くしたかと思えば、おもむろにポケットから携帯電話を取り出し、意味も無くパカパカと開けたり閉めたりを繰り返し始めた。何とも分かりやす過ぎる動揺の仕方だ。
「アッコ、七海は? 一緒じゃねえの?」
「え? 壮太と一緒に行ったのかと思ってたんだけど。一緒じゃなかったの?」
淳子も知らないとは、一体七海は今何処にいるのか。さすがに、気になって電話を掛けようと携帯電話をポケットから取り出した時、ピ――ッという間の抜けた音と共に背中にペコッと何かが当たった。
「もう、みんなおっそいよ~!」
振り返った先には、藍色の地に白と薄い青色で花火が描かれた浴衣に身を包んだ七海がいた。頭にはテレビで一度は見たことがあるような、何かのキャラクターのお面。右手にはりんご飴。そして口には、吹けばひょろろ~っと長い紙でできた管が伸びる吹き戻しが咥えられている。どうやら、さっき壮太の背中に当たったのはこれらしい。
「出たよ、これだから祭女は……」
壮太は呆れながら携帯電話をポケットにしまい直し、七海の吹き戻しの先を掴んで奪い取る。
「ああ! もう、壮太返してよ~」
「七海~、来てるならちゃんと待ち合わせ場所に居なさいよ」
「そうだ、何かあったのかと心配するだろう」
淳子と雄大が保護者のように七海を叱る。七海はごめんごめん、と誤魔化すように笑った。
そんな三人の様子を壮太はファインダー越しに眺めて、パシャリとシャッターを切る。
「だって、早く着いちゃったらもう待ちきれなくって。ねえ、早く行こうよ! たこ焼き食べよう、たこ焼き」
「七海は花より団子。花火よりたこ焼きだな」
「何言ってんの、花火の前の腹ごしらえでしょー! 腹が減っては戦は出来ぬ!」
「なに? 戦があるのか?」
「いや、例えだから!」くそ真面目に言葉を捉える雄大に軽くツッコミを入れ、七海は壮太を振り返る。「そうだ! あとで金魚すくいと射的で対決ね! 負けた方が勝った方に焼き鳥奢ること~」
「お前、ちゃんと財布に金残ってんだろうな」
「私が勝つから大丈夫! 壮太こそ、お財布持ってきてるでしょうね」
「その自信、後で泣いても知らねーからな」
そう言って、七海から奪い取った吹き戻しを吹いて、七海の額にポコっとぶつける。七海は前髪を上げて赤いぼんぼりのついたゴムで結んでいる。頭のてっぺんでまとめられた前髪がぴょこんとはねていて、子供みたいな色気のない髪型だ。もともとがショートボブなので、簪と項までは期待していなかったが、いくらなんでもこの髪型はガキ過ぎるだろう、と呆れる。似合っていないわけではないが女子高生らしくはない。だが、七海らしいと言えば七海らしい。
「もう、返してってば~!」
そう言って七海が両手を伸ばしてくるが、身長差のおかげで、少し手を高く上げるだけで七海は吹き戻しに手が届かなくなる。
壮太はそれを良いことに吹き戻しを吹きながら神社の中へと歩き出す。「こら、待て壮太ー!」七海が壮太の服をグイッと引っ張った。「やめろよ、伸びるだろ」と、壮太がその手を引き剥がす。それでもしつこく絡みながら、七海と壮太は先に立って提灯が赤々と照らす神社の中へ入って行った。
「ねえ、たこ焼き食べようよ」
七海がしつこく言うので、八個入りのたこ焼きを一舟買って、四人で分けて食べる。
「お祭りで食べるたこ焼きってほんと、美味しいよね~」
口に頬張った熱いたこ焼きをはふはふ言わせながら、七海が両手で幸せそうに頬を包む。その口元にソースがついている。
「七海、ソースがついているぞ」
そう言ったのは雄大だ。雄大はジーパンの尻ポケットから真っ白に洗濯され、綺麗にアイロンがけまでされた四つ折りのハンカチを取り出して、七海の口元をこともなげに拭った。
「あ、ありがとーユウ、面目ない」
口を拭かれた七海が、頭を掻きながらへへっと笑う。そんな二人をカメラのレンズ越しに眺めてシャッターを切る。雄大が七海の世話を焼くのはよくあることだ。そんな二人の姿はまるで兄妹、もしくは親子のようでもある。
「あ! ねえねえ、射的あるよ! やろうよ」
射的屋を見つけた七海がはしゃいで飛び上がる。そのまま先走って射的屋の方へ走り出した。
「おい、ガキンチョー、転ぶんじゃねーぞ」
壮太は雄大と淳子が並んで七海の後を追って歩き出す後ろから、七海に声をかける。七海は振り向きもせず、射的屋へ一目散だ。
「アッコ、そういえば……」雄大が、ぼそぼそと隣の淳子に話しかける。
「ん?」淳子は隣の雄大を見て首を傾げた。
「その、なんだ……浴衣、似合ってる」
「え、あ……どうも」
二人とも耳まで赤くして俯く。そんな二人のじれったくも初々しい、見ているこっちが恥ずかしくなるような青春の一ページを、壮太は後ろで見せつけられていた。
「何やってんのー? はーやーくー!」
お熱いねえ、と冷やかしてやろうかとも思ったが、その前に七海の声が飛んできて、二人はぱっと焦ったように顔を上げ、「ああ」「今行く」と七海に手を振った。
「壮太! 勝負だからね、あの猫ちゃんのキーホルダーゲットできた方が勝ち!」
「猫のキーホルダーとか、別に欲しくねんだけど」
「私が欲しいの! 決まってるでしょ」
「そうですか、決まってるんですね」
七海の相変わらずな自己中心的発言に呆れながら、鉄砲の銃口にコルク弾をギュッギュッと詰め込む。そして、鉄砲を七海に手渡した。射的は一回三百円で、弾は四つだ。その四つを一人一つずつ使う。
「狙って狙って~」
七海は台の上に身を乗り出し、片目を瞑り、照準を合わせる。右手で引き金を握り、左手で鉄砲の筒を支えてぶれないように狙いを定める。「てい!」という間抜けな掛け声とともに引き金を引く。放たれたコルク弾はてんで見当違いな方向に飛んでいき、重心が低く倒れにくい横長に置かれたプラモデルの箱に当たって、弾き返された。「惜しい~」と地団太を踏むが、全然惜しくはない。
次は淳子だ。雄大がコルク弾を込めて淳子に鉄砲を手渡す。少し照れ臭そうな二人のぎこちないやり取りに、壮太は思わずカメラを構えていた。
「頭を狙え」
「え、そんなスナイパーみたいなアドバイスやめてよ」
「え、いや、だが、上の方を狙った方が倒れやすい」
「分かってるけど、なんか私があの猫暗殺するみたいじゃない」
「あれはキーホルダーだ」
「分かってるけど」
真面目な雄大の真面目な返答に、淳子は呆れたように苦笑いして、鉄砲を構える。七海と同じように両手で構えている。ポンっと弾ける音がしてコルク弾が飛び出す。上を狙いすぎたのか、弾は猫の頭を飛び越えて、景品棚に当たり、跳ね返ってしまった。
「あーあー、アッコ残念」
「ごめんね、七海。ユウが上狙えって言うから」
「す、すまん」
次は壮太の番だ。壮太は自分でコルク弾を詰め込む。そして右手で鉄砲を握り、左手を台の上につき、景品棚に向けて目一杯右腕を伸ばす。銃口の先と景品棚との距離がこれでかなり縮まる。
「あー! 壮太、それなんかずるくない!?」
「はあ? 射的ってのは、こうやるんだっての」
そう言いながら、狙いを定めて引き金を引く。コルク弾は見事、巨大ポッキーの箱の右上角に当たり、箱が大きく揺らいで、向こう側に落ちた。カランカランと、屋台のおじさんが鐘を鳴らす。
「おめでとう、はいよ」と言ってポッキーの箱を壮太に手渡した。
「って、猫ちゃん狙ってって言ったじゃん! 何ポッキーなんかとっちゃってんの!? 絶対わざとだ!」
「だって、猫のキーホルダーなんか欲しくねーし」
「だーから、私が欲しかったんだって!」
むくれる七海の向こう側で、雄大が鉄砲にコルク弾を詰め込んでいた。そのまま雄大は右腕を景品棚の猫キーホルダーに向けて伸ばす。引き金を引くと、コルク弾は猫の頭に当たり、猫がころん、と景品棚から転がり落ちる。
「え、すごいじゃん、ユウ」
淳子が驚いた声を上げる。その声に、七海がようやく雄大を振り向く。それと同時におじさんがまたもや鐘を鳴らし、「はいよ」と雄大に猫のキーホルダーを差し出した。
「ええー!? ユウ、落とせたの!?」
「ほら、七海にやるよ」
爽やかに微笑んで雄大は七海に猫のキーホルダーを差し出した。七海は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、それを受け取る。
「わーい! ありがとう、ユウ!」
そんな二人を壮太はポッキーを脇に抱え、カメラのレンズ越しに眺める。
「よかったね、七海」淳子も興奮気味に喜ぶ。「本当に頭狙ったね」
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