これは拙いです

 

 リーシャとグリー第2王子の婚約が発表された翌日。


 私を取り巻く屋敷の雰囲気が、予想していた以上に厄介な状況になってしまっています。


 昨日の夕食前までは何時もと同じ雰囲気が流れていたのですが、夕食を食べ終わった後から急速に変わっていったのです。あたかも私が逃げ出すことを想定しているように、監視役と思われる使用人の数が増えたのです。


 幼なじみに手紙を送ったことがバレたのかと思いましたが、どうやらリーシャの策略のようです。

 夕食の際に私に対して何か企んでいるような視線を送って来ていたので、確実とは言えませんが、これまでの事を考えると間違いではないでしょう。


 それと、夕食の場でリーシャが私に対して元婚約者を譲る、と言ってきたのです。今までリーシャに婚約者が居たなんて一度も聞いたことが無かったので聞き返したところ、水面下ではほぼ決まっていたけれど確定していなかったため、周囲には一切知らせていなかったと返してきました。


 確かに、まだ完全に決まっていない状態なら周囲に知らせないのはおかしくありません。ですが、一緒に暮らしている家族の私が一切聞いたことが無かった、というのはさすがにおかしいです。


 リーシャが言うには、相手はこの国の侯爵家出身らしいのですが、同年代もしくは近い年齢で、婚約が可能な未婚の侯爵家の令息の方が居た記憶はないので、とても若いか結構上の年齢の方の可能性が高いです。


 ただ、もしその相手が上の年代だったとしたら、お父様にいくら黙っているようにと言われても、あのリーシャがおとなしく従うとは思えませんので、やはりおかしいです。


 おそらく昨晩、リーシャがお父様に行った交渉の一部なのでしょう。リーシャは自身に利があれば周囲のことなど一切考慮しませんからね。お父様が認めたという事は、お父様もしくは我が家であるオグラン侯爵家に利はあるのでしょうけれど、私の事は一切考慮していないでしょう。


 リーシャのあの表情を見た限り、嫌な予感しかしませんね。それに監視の目が増えたことも合わせると、非常にまずいかもしれません。


 しかし、どうしたものでしょうね。


 まだ、監視の目が薄い内に逃げ出せればいいのですが、色々手を回さなければならないので、すぐに出来るものではありません。


 ……いえ、後手に回ってしまっている以上、準備に時間をかけるのは悪手ですかね。


 さて、気付かれないように準備を進めつつ手を回し、今日の夜辺りに抜け出すのが理想でしょうか。



 私付きの使用人に気付かれないように準備を進めて行きます。


 数日かけて馬車で移動するくらいには物を用意しておきたいところですが、残念ながら古代に在ったとされている空間魔法を使うことは出来ないので、屋敷から逃げ出す以上、身一つかそれに近いくらいには持って行くものを制限しないといけないでしょう。


 あとは、お金は持ち出せるだけ持ち出さないといけませんよね。

 食べ物も道中で買わなければなりませんし、洋服だってそうです。それに移動に乗合馬車を使うかもしれないので、持てるだけ持って行かなければ目的の場所まで辿り着けない可能性が高いです。


 それと、着ていく服は目立たないようにしないと駄目ですね。普段から着ている服では貴族であることがわかるので、一人で移動していては不審がられますし、目だって危険です。


 屋敷を出る時に使う服は持っている中で一番地味な服を、出た後はすぐに服を買わなければなりません。さすがに平民が着ている服で目立たない物はわかりませんが、店員にでも聞けばわかるでしょう。


 ……大丈夫でしょうか。平民が暮らす場所のお店を利用したのはお母様が生きていたころに数度だけなので、上手く出来るか不安です。


 いっそ、殆どの時間を移動に費やせば買い物の回数は減らせますから、そうした方が不安は少なそうです。




 夕食を食べ終え、部屋に戻ってきました。


 この後の湯浴みの際に屋敷から抜け出す予定です。ですが、普段湯浴みに付いてくる使用人は小さい頃からの者なのですよね。出来れば他の使用人が望ましいのです。


「お嬢様。湯浴みの時間です」

「えぇ、あら? ロジーはどうしたのかしら? いつもだったら湯浴みはロジーが付いて来ていたのだけど」

「……所要で外していると聞いています。そのため今回は私が湯浴みへ付いて行くことに、と指示があったのです」

「ふぅん、そうなの」


 所要ですか。いままでそのような事が無かったので変ですね。もしかしたら監視を強化する一環でしょうか。私の側に長く居たロジーだと監視役としては不適格だと判断されて、外されたのかもしれません。


 ロジーがどうなっているか気になりますけれど、これは好都合ですね。


「では、行きましょう」

「お嬢様。お荷物を」

「自分で持って行くから大丈夫よ」

「そうですか」


 ロジーでしたら私が自分で荷物を運ぶことに難色を示すところですが、この使用人は一切そのようなものがありませんね。監視はするけれど手伝う気はないという事でしょうか。



 屋敷の内にある湯浴み場に着き、湯浴みの準備を進めます。当然ですが準備を進めている振りです。


「ごめんなさい。ちょっと石鹸が無いようなので取って来てもらっていいかしら? ここから出てすぐ近くの棚にあると思うのだけど」

「え……あ、いえ、私がこの場を離れるのは……」

「近くなのだから問題ないでしょう?」

「……わかりました」


 渋々、湯浴み場まで付いて来ていた使用人が離れていく足音が聞こえた。しっかり離れて行ったことを確認してから、


 さて、ではすぐに出て行かなければあの使用人が戻ってきてしまいます。


 そうして、急いで持ってきた物を身に着け、私は湯浴み場の近くにある大き目の窓から身を乗り出し、屋敷から逃げ出すことに成功しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る