未来の病院

乃木畑

第1話



整理券番号45番の患者様、診察室1番にお入りください、そう告げた音声は機械の合成音のはずだが、注意深く聞いても人間のものと遜色のない自然な発音であった。AIによる第4次産業革命が急激に進んでいる現代、わざわざアナウンスのために人を一人雇うなどというコスト度外視な方法は一泊10万円以上するような東京の三ツ星ホテルでもやらないような贅沢である。味気ない時代になった、という感想さえ平成とか令和とかいう古い時代に忘れ去られてしまって久しい。


そんなことを考えながら山田花子は1番の札の掲げられた部屋へと入った。


入って正面、一番目に付く場所には大きなディスプレイとタッチパネルを備えた銀行のATMのような機械、患者のために用意された椅子、そしてその横の椅子に腰かけた白衣の人物である。


「こんにちは、三本木先生」花子は軽く会釈をして目の前の椅子に腰を掛けた。三本木と呼ばれた人物も、立ち上がり花子に微笑みかけながらもちょっと困ったような顔をした。


「こんにちは、山田さん。いまどきまだ先生なんて呼んでくれるのはありがたいですけど、我々はそんなたいそうなものじゃなくなって久しいんですよ」


「毎度言われますけど・・・ねぇ」


「なれない感じはわかりますけどね。我々は内科医師ではなく、内科診療補助員です。あくまでも皆さんの診断AI操作や意思決定の補助を行う係にすぎません。まあ診断のほうはこのS社製の最新型AIマシンがばっちりとやってくれますから・・・じゃあ本人認証のために左手をセンサーに乗せてください。それから顔がカメラに映るように正面をむいてくださいね」


 -本人確認が終了いたしました。患者ID○○××、山田花子様。本日の診療を開始いたします。この診療ブースの利用料は30分5000円となっております。


 そう告げるAI端末の音声も合成でありながらも不自然さはかけらもない流暢なものである。


 -まずは先月の胸部レントゲン写真において右肺の一部に影を認めた件です。


 AIの告げる声に花子の顔に不安がよぎった。そうだった。前回の検査で見つかったその影を詳しく調べるために今日は受診前にCT検査を行ってきたのだ。


 -本日のCT画像を分析した結果、右上葉に1.5cm径の結節影を認めます。この結節影の画像的特徴からの推論および山田様の生活歴、既往歴、遺伝学的特徴からは50%以上の確率で肺がんが疑われました。


花子は真剣な面もちで思わず画面に向かって頷き返してしまう。


 -画像診断において、針生検の合併症リスクが7%と当院基準以下でしたので、その場であらかじめ同意を得ていた通りに、病理ロボットによる自動針生検を施行いたしました。検体は迅速処理で標本化され、画像診断AIによる診断が完了しています。


「それで、結果はどうだったのですか?」


 -病理診断の結果、細胞の悪性度はclass Ⅳです。このclassⅣ細胞の特徴から類推される、この病変が肺がんである確率は70%です。


「なんですって!私は肺がんなの?!」


花子は驚きのあまり椅子を蹴倒して立ち上がった。


「落ち着いてください山田さん」


「あら、三本木先生いたんですか」


「何を言っているんですか、尺の関係で割愛されてますけど、AIの診断にでてくる難しい専門用語やなんかを解説して差し上げたりしていたじゃないですか」


「そうだったかしら」


「とにかく、私は肺がんなのね?!」


「まあ落ち着いてください、AIも言っていましたが肺がんである確率は70%です」


 そんなことを言われても、と花子は困った顔をした。70%といえば高い確率である。10人いたら7人ががんだということである。これはもう100%がんなのとほとんどかわらないではないか。


「いやいや、落ち着いてくださいよ、ほんとに。10人中3人はがんじゃないんですからね」


「そんなこと言って、もし本当にがんだったら先生が責任を取ってくれるんですか?」


「いえ、私はあくまでも補助員であって、診断には直接かかわらないので、責任をとるということはありませんよ。それにがんじゃないとも言っていないじゃないですか、AIが提示しているのはがんである確率が70%だということだけです」


 んまあ、と花子は目をむいた。


「じゃあこのAIの会社が責任を取ってくれるのかしら?」


「AI診療を受ける際の約款には、製造企業である会社はAIの診断内容に関しては免責されると書いてあります。山田さんはそれに同意されているので無理ですね」


正診率99.999%を誇るAI診断とはいえ10万回に1回は誤った判断をすることもある。AI診断機が普及した現在、日本中の患者を診察しているに等しいAIはそれなりの数の「誤診」を産みだしているともいえる。もちろんAIを製造した会社がそれらの誤診に対して責任をかぶるようなことが無いように使用契約が組まれている。


それに、と三本木は続ける。


「S社相手に裁判でもやるとして、AIの示した70%の確率でがんである、という判断が間違っているということをどうやって証明しますか?」


「それはほら、別な検査をしてみてがんじゃないってわかれば…」


「別な検査をしたらがんである確率が変化するのは当たり前ですから、それによって検査の前の確率が間違っていたとは言えないですよね。検査前確率が100%か0%と示されていれば別ですけど......」


「つまり、私が肺がんかどうかはだれが決めてくれるのかしら?」


花子は診察室の中を見回した。といっても中にいるのは花子自身を除けば、「診療補助員」三本木と、ATMみたいなAI端末だけである。


「先生・・・ではないんですよね?」


「そうですね。AIに比べて格段に間違いの多い人間の医療者が診断を行うことはもう10年以上昔に禁止されました」


「といってもこのAIも私が肺がんなのかそうでないのかあまりはっきりと言ってくれないわね」


「AIは絞り込みをするだけです。最後の決断は患者である山田さんが自己決定するんですよ。ほら、AIが絞り込みに必要な方法を示してくれていますよ」


自己決定、という言葉に引っかかりを覚える間もなく、AIの画面には新しい検査の項目が表示され始めており、同時に音声によるガイドが詳細な説明を始めた。


「…つまり手術で腫瘍を切除してしまって、顕微鏡でよく調べることでがんかどうかを確定させるという方法ですね。もしがんだったら周りの組織を大きめに切り取る手術を追加します。概ね一回の手術で済みますよ」


「がんかどうかも決まっていないのに手術というのも不思議ね」


「山田さんは既往症がいろいろあるので周術期の合併症出現の可能性が25%、そのうち死亡するほど重篤なものの可能性が7%とちょっと高めですね。ただし手術がうまくいってしまえば5年生存率は95%というAIの計算結果が出ています」


「死にたくないから手術をうけるのにそれで死んでしまうことがあるなんて」


「医療ロボットによる治療とはいえ絶対安全ということはないですからね」


「なんか怖いわ。他の方法はないのかしら」


「2番目の方法は抗がん剤治療ですね」


「抗がん剤?」


「最新の抗がん剤はがん細胞だけを攻撃する選択性が高くなったので、とりあえず使ってみて効くかどうか確かめるという乱暴な方法も取れるのです。抗がん剤を使って腫瘍が小さくなったり消えたりすれば、がんだったと推定できます。この場合投与期間の合併症出現確率は5%、そのうち死亡するほど重篤なものの可能性が0.2%、5年生存率は80%ですね」


「安全そうに聞こえるけど、長生きできる可能性は低いのね」


こまったわ、と花子は眉をひそめた。AIの提示した選択肢のどれを選ぶのが正解なのだろうか。AIはさらにいくつかの選択肢を提示していく。放射線治療を行う場合の周術期合併症の確率、5年生存率。世界に1台しかない反物質粒子線による腫瘍対消滅治療を受ける場合の合併症、生存率。腫瘍ががんであろうとそうでなかろうときれいさっぱりと消えますが腫瘍を中心とした半径10メートル以内が丸ごと消し飛んだ例が3例報告されています。未治療で経過観察を選択した場合の生存率。合併症、生存率、合併症、生存率。


「ねえ先生、私は素人で難しいことはよくわからないのだけれど、どの方法を選ぶのがいちばんよいのかしら」


「それを教えることはできません」


「どうしてですか、一番大事なことじゃないですか」


「インフォームドコンセント、って言う言葉があるでしょう。大事なのは山田さん自身がご自分の体や病気のことを理解したうえで自己決定をすることです。そのために必要な最も精度の高い情報はAIが提供しました。情報の解釈に関して不明な点があれば我々が協力してそれを解消します。しかしそこで人間である我々が何らかの精度の低い意見を付け加えてしまっては山田さんの判断に余計なバイアスがかかってしまうことになります。ですので、この方法がいいとか悪いというような意見を付け加えることは禁止されているのです」 


 そんなことを言われても、と花子は困惑した。結局のところ医者でもコンピューターでもない私が、私の病気と治療法を決めるというのか。笑顔で突き放したようなことを言う三本木に文句の一つも言おうかと思った矢先、AIの音声が診療時間の終了を告げた。


 ―ご利用時間終了3分前となりました。延長の場合は10分ごとに2000円の追加料金がかかりますのでご注意ください。


 画面に大きく3:00と表示され、カウントダウンしていく。


数字はどんどんと減っていくが、結局わたしはどうすればいいのだろうか?困惑で固まってしまった花子に三本木が声をかけた。


「山田さん、焦って今すぐ決めなければいけないというものでもないですから、今日はAIのデータを持ち帰ってゆっくり考えてみるのはどうですか?このまま時間延長しても無駄にお金ばっかりかかっちゃいそうですよ」


「そうね、今日は帰ることにするわ」


肩を落として立ち上がる花子と一緒に三本木も立ち上がった。


「今日の患者さんは山田さんで最後ですから、僕も帰りますよ」


「あら、ずいぶんと早いんじゃない?お医者さんっていうといつでも病院にいるイメージだったけど」


「医療補助員になってからは四六時中病院にいる必要もなくなりましたよ。その代わり給料もちょっぴりしかもらえなくなったので、副業でバイトをするんですよ」


貧乏暇なしです、と苦笑する三本木と一緒に診察ブースを出た。


「お医者さんのアルバイトといえば当直をして一晩で何万円も稼ぐんでしょう?うらやましいわ」


「そんな稼げたのは何十年も前の話ですよ。いまじゃAIのおかげで本当に病院で泊まりの番をするだけだからそんなにもらえないし、楽な仕事になったせいでみんながやるから、競争率も高いんで、全然ですよ」


「そういうものなの」


「なので、僕なんかは副業では全然関係ない仕事をしてますよ」


「あら、どんな仕事なのかしら」


「レンタルお友達サービス、って知ってます?」


「お友達...」


唐突な、あまりにも似合わないような単語に一瞬言葉を失ったが、花子も時間で人を貸し出してくれるサービスのことは聞いたことがあった。一緒に遊びに行ったり、何かの作業を手伝ってもらったり、いわば何でも屋といった商売だが、名前の印象としてはやはり友達のいない寂しさを紛らわせるためのもの、という感じがぬぐえない。


 「仕事の手伝いだけじゃなくて、相談に乗ったりとかそういう依頼も多いんですよ。僕なんかはほら、せっかく昔医師免許を取ったのにその知識が医療現場では生かせなくなってきていますからね。せめて友達の相談ぐらいには乗ってあげないとね。そうだ、山田さんも病気のこと、友達に相談してみたら解決法が見つかるかもしれないですね」


これうちのお店です、よかったらどうぞ、とチラシを手渡すと三本木は手を振って去っていった。


 何人もの「お友達」のプロフィールの中に三本木の写真があった。ミッキー君と名前が振られている。他人事ながらどこぞの会社に訴えられたりしないのかしらと心配になる名前だ。特徴、元医師。得意なこと、相談事、病気の悩み相談乗ります。レンタル料1時間10万円。人気ナンバー1、予約2週間待ち。診察室で見せるものとはまた異なる笑顔の写真に何となく苛立ちを覚えた花子は、チラシをぐしゃりと丸めるとゴミ箱へ向かった。しかし結局チラシのシワをのばしてバッグにしまいこむと、肩を落として病院を出たのだった。

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未来の病院 乃木畑 @autumnQRX

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