第4話 アフリカン・シンフォニー

 私たちの予想や期待を裏切って野球部は5回戦を突破した。


 わが校の打線が、昨年の優勝校の2枚看板エースの一人を打ち込み、気が付けば7回コールドという下剋上を果たしてしまった。


 負ける前提で川口先生が高梁先生と交わした口約束は今、ここに発効したわけだ。


 私たちBチームは準々決勝から完全に応援団の一部として組み入れられてしまった。


 祐実は私のことを「嘘つき」と詰って泣いたが、ウチの野球部が昨年の優勝校に勝ったのは私のせいではない。


 ともあれ、私たちはコンクールの予選から脱落した。


 決勝まで勝ち進むということも、あながち絵空事とは言えなくなってきたからだ。


 まず準々決勝の戦いは、間違って勝ち上がってきた私たちと同じような県立高だったからだった。


 準々決勝から、試合会場は県内のプロ野球チームのホームスタジアムとなる。


 子供のころ、ここには父に連れられて何度か来たことがある。


 全校応援となった今日の第二試合一塁側の内野席は、ウチの学校の関係者で埋まっていた。


 そこには父と弟の遥稀の姿があった。


「有里紗!」

 私は父が苦手だ。


 呼ばれたが無視をしようと思ったが、祐実が気が付いて、


「有里紗、お父さん呼んでるよ?」

 まったく余計なことを。



 仕方なく私は傷がつかぬようにタオルを敷いてからトロンボーンを置き、父の席に向かった。


「何? 試合前の準備で忙しいから手短にお願いしていい?」


「有里紗、父さん、有里紗に一言謝りたいと思ってたんだ」

 何よ今更。


 謝るってなによ! 

 しかし私は血が逆流するような気持ちを押し殺して努めて穏やかに反抗して見せた。


「謝るようなこと、したっけ」


「有里紗が女だから、甲子園には行けないとか、父さん随分と身勝手なことを言ったよね」


「さあ、どうだったかな」

 私はとぼけた。

 

「ずっとあのことを後悔していたんだ」


「それはどうかな。遥稀が活躍してそんなこと忘れていたんじゃないの?」


「そんなことない!」

 こんなところで大きな声を上げないでよ。


 それまで黙っていた遥稀が口を開いた。


「姉ちゃん、父さんはいつも姉ちゃんのことを気にかけていたのは本当だよ」


 もう自分を抑えるのは無理だった。

「じゃあ何で今日なの? なんで野球部の応援演奏の直前になって私に謝るの?」

 周りの人、ドン引きしてる。


「いいよ、もう。私、戻るから」

 私の気持ちはぐちゃぐちゃだ。演奏に響いたらと思うとさらに心は乱れた。


 きっと席に戻った私の顔はよほど酷かったのだろう。祐実は心配して聞いて来た。

「有里紗、どうした? 大丈夫?」


 混乱していながらも私には一つの決意が生まれていた。

「祐実、ありがとう。大丈夫。こんなところで躓いてなんていられないよ。たった4日間だけど、みんなよく乗り切った。今日は絶対にこいつらを勝たせるような演奏しような」

 もう、私たちは運命に翻弄された悲劇のヒロインなんかじゃいられない。

「いいの? 勝たせるとか、そんなこと……」

 

「いいんだよ。私たちが求められていることをちゃんとやろう。祐実」


「……うん。分かった」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 準々決勝も3-1で勝った。

 

 連投気味の谷垣を温存して背番号10番をつけた控えのピッチャー、湯川が好投したのが大きかったし、8回9回と谷垣がマウンドに登って試合をうまく締めて見せた。


 私たちブラスバンド部の初陣と言えば、応援団とのコラボが初めてだったため少しコミュニケーションにミスがあって、演奏回数を間違えたりと何回かハプニングがあったが、演奏のレベルは4日間の付け焼刃にしては上々だったと川口先生には褒めてもらえた。


 翌日の準決勝でもビッグ4の一角と対戦。


 しかし、5回戦で当たった優勝候補筆頭高のピッチャーを攻略したわが校だ。

 

 谷垣も5点を失ったが、この高校のピッチャーをもろともせず7点を取ってついに甲子園に大手をかけた。

 

 演奏は準々決勝より良かったが、勝ち進むことでブラバンの県予選が遠くなってきた。


 私たちは「ルビコン川を越えて」しまったのだった。


 祐実は「いつまで続くんだろうね、これ」といまだに納得しきれていないようだが、私は決意した通り、試合が続く限りベストを尽くそうと思っていた。


 準決勝が終わり、私は学校に顔を出しAチームに様子伺いを。


「田辺、どう? うまくいってる?」


「うまくいってるも何も。みんなお前たちがうらやましいって言ってるよ」


「え? どういう意味?」


「お前らの活き活きとした演奏が野球部に活力を与えているんだなって今日俺たちも思った。視聴覚室で、みんなでテレビを見ていたんだ」


「だめだろ? お前ら予選が近いんだしもっと練習しないと」


「もう、俺たちの中では有里紗たちがいなくなって金賞は難しいと思っている。やっぱりウチの学校のブラバンはお前たちと一緒だから強いんだって3年生もみんな気が付いてる」

 Aチームもまた、私たちを失っていたんだな。


「高梁先生に今回はやられたね。来年は何か考えてくれるといいけど」


「そもそも吹奏楽コンクールの予選と夏の甲子園がスケジュール的に結構かぶっているのが一番痛いよね」


「ウチなんかのポッと出の高校とは違って、野球とブラバンの両方が強い強豪校なんかはやっぱり層が厚いから最初からチームを分けてしまったいるケースが多いみたいだね」


「来年はそうしてもらうおうかな?」


「有里紗はそうなったら、どっちに行きたいんだ?」


「そうだね、私は……」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今日は県大会決勝戦。


 ついにここまで来てしまった。

 イニングは進んで8回裏。

 

 スコアは0-1、ワンナウト、ランナーは二塁。


 バッターボックスには7番バッター、岩橋。


 一打同点だ。


「『狙いうち』3回」

 応援団の男子が掲げるボードを見て、即座に私たちは楽譜をめくった。


「『狙いうち』か。いい選択」


 始まった私たちの応援を聞きながら岩橋はゆったりと構えているように見えた。


 実は岩橋、5回戦からノーヒットだった。


 今日も三振2つ。


 相手校の内山投手はプロ注目の本格派。

 タイミングが今一つとれていないみたいだった。


 演奏の合間に、内野スタンドの関係者が声をそろえて叫ぶ。


「かっとばせー いーわはしっ!」

 私も夢中になって叫んでいた。

 

 そしてまた演奏。

 ブラバンは叫ばなくてもいいのに。


 息がちょっと苦しい。

 

 でもいい。


 岩橋、君がここで打ってくれないとあの続きが聞けないだろ?


 岩橋はファールを2球続けた。


 タイミングが合ってきた?


「岩橋! 打て! いいから打て!」

 無意識に叫びまくっている私に、もう一人の冷静な私が腹を抱えて笑っている。


 グランドから岩橋は私を見つけ、あろうことか私に向かってVサインを送ってきた。


 頭を抱える私をよそに、岩橋を追い込んだ内山投手はセットポジションから大きなフォームで投げ込んだ。


 岩橋はベストピッチの速球に、迷いもなくバットを振りぬいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 帰り支度をしていると、父さんがまた私のところにやってきた。


 毎度ながらこの人が近くに来ると私は少しメンタルに不調をきたす。


「有里紗がこんなに頑張っているところを見れて、父さんなんだか感激したよ」


「この間は謝って、今日は褒めてくれるの?」

 嫌な自分全開だ。

 

 父が人目も憚らず、これだけ歩み寄ろうとしてくれているのに。


「でも、ありがとう」

 父は、私が反省してそういうと、顔がクシャクシャな顔になった。


 ともかく、私は父が望んだ形ではないかもしれないけど、私は、この夏甲子園に立つことになった。


 父もあの一言を悔いて悩んでいた。

 父と完全にわだかまりが解けるまでは少し先になるかもしれないが、この数日間は、そのきっかけを与えてくれたのかもしれない。


 学校に戻りスタジアムから搬出した楽器を受け入れて一息つくと、もう夕方になっていた。


 長い影を引きずりながら野球部員が戻ってきたのが見える。


 その中に岩橋の姿を認めると、私はあの緊張したバッターボックスからVサインを私に送ってきた岩橋の姿を思い出していた。


 そうだな、甲子園が終わったら、岩橋の言いかけた言葉の続きを聞いてやろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とどけ、私の音。ひびけ、甲子園まで Tohna @wako_tohna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説