第3話 さくらんぼ

「安達、お前たちが俺たちの応援で演奏してくれるんだって?」

 1年生の時に同じクラスだった岩橋が、パート練習をしている私たちのところにニヤけた顔をして来た。


 私は岩橋のニヤけた顔にカチンときて、


「私たち、正直迷惑してる。いや、あんたじゃなくてあんたのところの高梁先生に」

 と、本音を包み隠さず口に出してしまった。


「む、無理やりだったらしいね。そこまで面と向かって文句言われたのは有里紗が初めてだよ」

 私はいつもはこんなではない。違う雰囲気を感じた岩橋が吃音どもりながら申し訳なさそうにしているを見て我に返ったが、一年のころから席が近く、よく話していた岩橋だからこそ言ってしまったのかもしれない。


「私たちだって、吹奏楽コンクールに出たいんだ。あんたたちが甲子園で野球をやりたいように」


「そうだよな、それはわかる」


「分かるんなら……」

 そう言いかけた私に、岩橋はかぶせるように言った。


「でも、俺はお前たちの演奏があれば、絶対に打てる気がするんだ!」

 おいおい、なんで一人で盛り上がっちゃってるかな、このバカは。


 「岩橋、来年ならいい。でも今年は嫌だ。3年生の先輩たちにはすごい人たちが揃っている。私たちがコンクール名古屋に行けるのは今年だけかもしれないんだよ? なんであんたたちだけが優遇されるの? 当たり前だとか思わないで!」

 1年生の子が、私が怒鳴るのを見て表情が変わるのが見えた。

 

 岩橋は沈黙。時間にすれば5秒もなかっただろうが、その時間が長く思えた。

 

「そうか、悪いことしたな。なんだか俺たち浮かれてばかりでお前たちのこと考えてなかったかもしれない」

 そういうと、じゃあな、といって岩橋は練習に戻っていった。


 少し悲しそうな眼をしていた。


 私も言い過ぎたのかもしれない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「そっちはどうなの?」

 昼休みに音楽室に楽譜を取りに行った時、「Aチーム」に残った田辺に様子をコンクールの練習の様子を聞いた。


 田辺は私のクラスメートで、私と同じトロンボーン担当だ。


 中学の時はサックスだったらしいが、 たった1年間で私を軽く抜き去った田辺の才能には正直嫉妬していた。


「俺たちも正直困ってるんだ。川口先生がほぼお前たちのところに張り付いているだろう? 大学生の先輩が何人か川口先生に頼まれて指導に来てくれているんだけど、指示が曖昧で。この時期マジ困ってる」

 やばいやばいやばい。


 野球部あいつらが明日負けるとしても、より密に練習重ねて完璧を目指さなければならないこの時期に、部員が真っ二つに分断されたことは田辺の言う通り痛すぎる。


 そんなモヤモヤを抱えながらも、一旦練習に入ってしまえば音楽の楽しさは変わらない。


 いわゆるコンクール用の課題曲や先生と先輩たちが作曲した、どちらかというと技巧に凝ったオリジナルの自由曲とは違い、主にポップスやアニソンから選ばれている曲を演奏していると、今まで気が付かなかった色々な発見もあった。


 他の子たちも、課題曲を練習している時よりも楽しそうに演奏している。

 

 ノリの良さみたいなものに私たちは後押しされているような感覚だった。


 しかし、音が止み考える時間があると、どこまで私たちはこの無意味な作業に力を割かねばならないのだろうかと虚無な気持ちにもなった。


 どうせ明日、これも終わる。


 この経験が、コンクールには無意味であっても、私の中で何かよい影響があればいい。


 結局初日は夜の9時まで練習をして、私たちは学校を後にした。


 校舎を振り返って見上げると、音楽準備室にはまだ灯りが点っていた。


 先生と、大学生の先輩たちが明日以降の練習について準備をしてくれている。

 

「川口先生、私をBチームに選んでくれてありがとう」

 誰にも聞こえない小さな声で、不意に口について出た言葉に自分自身が戸惑ったが、自分の実力不足とか、音楽が好きだって気持ちが再確認できたり、頭の中では整理がついていたんだと気が付いた。


 校門を出ると街頭に照らされた、自転車に乗っている男子生徒が佇んでいるのが見る。


「なあ、安達、一緒に帰らないか?」


「やだよ。みんなに誤解される」

 岩橋だった。


 一緒にいた吹奏楽部の仲間が少しざわついて、祐実が言った。


「じゃあ、私たち先に行くから」

 祐実、お前は余計な気を回しすぎだろ。


「そんなことしなくてもいいのに」

 言っても無駄だった。


 ちょっと待って、と言いかけた私を残してみんな先に行ってしまった。


「みんな行っちゃったじゃん。なんで私があんたと一緒に帰らなきゃならないんだ? そもそも明日あんたたち大切な試合でしょう?」


「そうだよ。だからだ」


「何言ってんの? 頭大丈夫? 岩橋」


「俺は絶対に明日勝って、お前に演奏してもらいたい。エゴと言われたっていい!」


「なんでそんなこと……」


「1年のころから、お前が好きだった」


「何言って……」

 岩橋に告白された私の頭の中には「晴天の霹靂」という言葉しか浮かんでこなかった。

 ちなみに「へきれき」という漢字は書けないなあ、とか違うことを考え始めた。これは逃避だな。

 

 岩橋は脳筋の筋金入りのバカだが、よく気が付く性根の優しい男子だ。

 

 私も嫌いではないが付き合う相手としてみたことはただの一度もなく、そして今の私は恋愛には1ミリも時間を割きたいとは思っていない。


 だから、言ってやった。


「甲子園に出ようとしている野球部員のアンタが今言っていいセリフじゃないよ」


「でも」


「私は何かに打ち込んでいる男子が好きだよ。だから迷うなよ。私なんかに気を取られてるんじゃないって」

 あれ、私何言ってんだ? セリフの選択を間違えたな。やっぱり私、混乱している。


「分かった。俺、絶対に打って甲子園に行くから。その時は……」


「その先は言うな。悪いが期待していないし、私にはあんたに負けないくらいの夢があるんだ。だから私にも期待しないでほしい」

 よし、何とか方向を修正できた。


 私に好き勝手言われた岩橋は、それでも私を駅まで送ってくれた。


「さっきはなんか、……悪かった。じゃあ俺、明日、がんばるから」


「私こそごめんね。心の底から頑張ってって言えなくて」


「おお。気にするな。でも俺は頑張るから」

 岩橋はそういうと右手を挙げて何回か振ると、駅前の雑踏に自転車で溶けていった。


 まったく。


 憎んでいるはずの野球に、こんなに気持ちを乱されるなんて。

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