第2話 コンバットマーチ

 今年の野球部にはどういうわけだか逸材が揃っていて、おまけに去年から顧問になった数学Ⅱの高梁先生が社会人野球をやっていたという。


 科学的なトレーニングを取り入れたわが校のナインは、徐々にではあるが確実に身体が大きくなり、腕や脚の可動域が広がり、体幹が強くなった。


 まずピッチャー、谷垣が化けた。


 去年の入学時に比べて球速が15km/hくらい上がり、変化球をいくつか習得し激変、俄かに注目を浴びることになった。


 打撃陣も効率的なウエイトトレーニングと、理論的な実践練習によってこちらも開花。

 春の大会では谷垣の出来に関わらず打ち勝ってしまう化け物打線になっていた。


 先生のコネで強豪校との練習試合も増え、「勝ち方」を覚えた。すると違う強豪校からも声がかかり、という好循環が生まれてさらに強くなったらしい。


 それでもこの県内には「ビッグ4」と呼ばれる私立高校と、体育学科のある市立校2校で何年も甲子園の指定席は占められていて、わが校にはさすがに厳しいのではないかというのが衆目の一致した意見だった。


 しかし、その見方は見事に良い方に裏切られた。


 1回戦2回線ともに打線が爆発し、3回戦まで進んだわが校はここで第9シードの体育学科のある市立高と当たった。

 

145km/hのストレートを武器に持つエース矢野の前にわが校の打線が沈黙し完全に市立高の圧勝というのが下馬評だったが、フタを開けてみると逆に谷垣が市立打線を散発の4安打で完封、打線は初回に集中打を浴びせて3点で快勝という結果となった。


 俄かとは言え短期間でつけた自信ほど怖いものはない。


 続く4回戦。


 かつて甲子園で雄姿を馳せた古豪との対戦も、わが校は7点を取られながら8点を取り返すという壮絶な殴り合いの末勝利を手に入れた。


 ここで高梁先生は気が付いたのだという。


「応援団にはなぜブラスバンド部の演奏がないのだ」

 と。


 私が聞くところによれば、高梁先生は我々の顧問、川口先生に4回戦を突破した7月11日の時点で演奏の依頼をしたらしい。


 私たちにとっては滅茶苦茶な話だ。


 5回戦は13日。2日間しかない。


 祐実の話によれば、川口先生は5回戦での演奏は勿論断ったらしい。


 高梁先生は、2日間で何ができると思っているのか。


 確かに私たちブラスバンド部の部員であれば、10曲ほどのレパートリーはきっと1週間ほどあればそこそこの演奏はできてしまうのかもしれない。

 

 それを二日間で?


 馬鹿じゃなかろうか。


 無知ほど怖いものはない。


 しかも私たちは全国のコンクールで金賞を取るために努力を続けているのだ。


 出来の悪い演奏を人前で行うなど、恥辱以外の何物でもないし、そもそもコンクール予選前に野球部の応援に割く時間など予定になかった。


 しかし高梁先生は一枚上手で、先に外堀を埋めてから川口先生を説得にかかったらしい。


「じゃあ、5回戦にわが校が勝ったら協力してくださいますね? もうすでに校長にも同意は取り付けてあります」


「しかし、僕の子たちは7月末の全日本吹奏楽コンクールの県予選を控えているのです。それを分かっていて校長は同意をしたってことですか?」


「校長は『Bチームでも構わないだろう』みたいなことを言っていましたよ。こちらも急なお願いをしているんで、それは川口先生にお任せいたしますが」


「ウチにAチームもBチームもないですよ!」


「まあ、そんなに興奮しないでください」

 人を食ったような顔の高梁先生を見て、川口先生は冷静さを取り戻して訊いた。


「5回戦の……相手はどの校なんですか」


「昨年の優勝校ですよ」

 川口先生はこれを聞いて決意した。


(どうせ負ける。チームを二つに割って仮にコンクール組と野球部組を作ることにしよう。野球部が5回戦で負ければ、結局仮の『野球部組』が野球の応援に時間を割く必要もなくなるわけだし)


 そんな思惑で先生は準々決勝以降の協力を了承してしまい、2年生ながら指揮者を任されている祐実にBチームを託してきた。

 

 Bチームに選ばれたのは2年生の半分と、1年生全員だと云う事だった。

 

 その中に、私も入っている。


「私たちは先生に棄てられたんだわ」

 

「それは少し違うんじゃない? 祐実」

 感情的にならない方がおかしいと、私だって思っている。


 しかし、自暴自棄になることだけはすべきではない。


「もちろん私たちがいなければ音の厚みも出ないし私たちだって部の一員だけど、今年の主役は間違いなくこれで引退する3年生たちだよ。優先されて当然だと思う」

 祐実はそれでも不満そうな顔をしている。


 2年生の半分は選ばれていないわけだし、それもわかる気がする。


 では、私も一緒になって騒げば祐実は満足してくれるのだろうか。


「祐実、選ばれてしまったことは私たちの実力不足だよ。先生の見立ては間違っていないと思う。だけどアッチは野球留学しているような子たちも一杯いるって話だし、いくらなんだってウチは次では絶対に負ける。だから少しだけ遠回りするだけだよ」

 

「有里紗は大人だね」


「うん、そう思って頑張ろうよ」

 そう思って頑張ろう、と言い聞かせたのは祐実にではない。


 私は大人なんかじゃない。


 だから自分に言い聞かせて、自分を納得させようとしたんだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌日から私たち2年生落第組と1年生全員が集められて、野球部応援のための練習が始まった。


 質より量。


 これが「Bチーム」への課題だった。


 ないとは思うが、仮に野球部が明日の5回戦を突破すると、15日が準々決勝だ。


 4日間で


「コンバットマーチ」

「ポパイ・ザ・セーラーマン」

「ルパン三世のテーマ ’78」

「海のトリトン」

「サウスポー」

「狙いうち」

「タッチ」

「さくらんぼ」

「あまちゃんのテーマ」

「アフリカン・シンフォニー」


 の10曲を「形にしろ」という無理ゲーを課されたわけだ。


 それでも翌日から私たちは必死に練習に取り組み始めた。


 川口先生も、朝集まった時には私たちが演奏が楽になるように編曲してそれを楽譜に直してくれたりと、準備をしてくれていた。


 目の周りが真っ赤だった。


「先生、寝ていないの?」

 一年生の子が先生にそう訊くと先生は笑った。


「やりたくないなあ、なんて考えながら音楽に向き合ったらきっと僕たちは痛いしっぺ返しを食らうことがあるんじゃないかと思ってる。だから先生も一生懸命にやることにしたんだ」

 

 先生、私はちゃんとついていきますからね。

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