とどけ、私の音。ひびけ、甲子園まで

Tohna

第1話 狙いうち

「『狙いうち』3回」


 応援団員の男子が、曲名と繰り返しの回数が書かれたボードを掲げる。


 全国高等学校野球選手権夏の甲子園県大会決勝。


 8回裏、私たちの高校の攻撃。

 

 スコアは0-1。


 スマートフォンによれば、このスタジアム付近の気温はすでに33℃まで上昇している。

 

 スタンドから見るグラウンドは芝生が目に青く涼しげだが、もう一方の私たちのいる場所といえば、屋根のない内野席で、直射日光を浴び体感温度は40℃を超えていた。

 

 こんな状況で野球なんて、と呪詛を吐きたくなるような暑さの中選手たちだけでなく私たちも闘っている。

 

 状況は、ワンナウト、ランナーは二塁。


 バッターボックスには7番バッター、岩橋。


 一打同点だ。


 相手は県のビッグ4の一角の高校、マウンドにはプロも注目している左の本格派、内山真之介投手が立ちはだかっている。


 ここまでわが校のヒットは3回裏にセンターの前にぽとりと落ちたラッキーなヒットが1本だけ。


 今二塁にいるランナーは、ノーアウトで四球で出て、定石通りの送りバントで進塁した同級生の原田。

 

 野球がよくわからない私にも、あのピッチャーが特別なんだってことがわかる凄いピッチングを続けていた。

 準決勝までは打率 .421を記録していたわが校の打線は沈黙し、7回までに奪われた三振は10。

 

 でも、君はここで男になれ、岩橋。


 君は私に約束したよな?


――「絶対、俺が打つから、その時は……」――


 その時が何だかわからないけど、何か狙っているのだろう?


「このチャンスに『狙いうち』か。いい選択ね」


 指揮者役の祐実が指揮棒を振りをあげた。

 私はそう呟いて大きく息を吸った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「野球部が、なんだか勝ち続けているみたい」


 期末テストが終わっても、毎年夏の甲子園地方大会一回戦、二回戦負けの県立のわが校の野球部は予選を勝ち進み、なんとベスト16に進んでいた。


 祐実がコンクールのための練習の合間に、そんな話をしてきた。


「なんか興味ないみたいね? 有里紗」


 たしかに私は、野球については強く興味を持つこともなく今まで過ごしてきたし贔屓のチームも別にない。


 否、むしろ憎んですらいたのかもしれない。


 野球は弟の遥希はるきがここら辺では有名なボーイズチームでやっている。


 家では野球バカの父は、遥稀の話しかしない。


「遥稀がヒットを2本打った」


「遥稀のファインプレーでピンチを凌いだ」

 などと、試合の度に遥稀の自慢をするのだ。


 いつだったか。


 小学生のころ、私は父とキャッチボールをやるくらいには野球が好きだった。


 しかしある日、父が私が女であることで高校野球には選手として関われないのをもの凄く残念がっていたのを見て私の存在価値を否定されたような気がした。


「有里紗が男だったらな」 

 文字に直せばわずか9文字。


 しかし、その9文字に込めた本音がこぼれたのを私は見逃さず、そして深く傷ついた。


 あれから父とは目を合わせて話すことはなくなった。

 

 あの日から私は野球を遠ざけ、中学に入ってからは音楽が好きだった私はブラスバンド部に入り、一途に技術を磨き仲間の部員とハーモニーを奏でてきた。


 私のいた中学は、その顧問が学生吹奏楽の世界では有名人で、「吹奏楽コンクール」で私がいた部は、過去何度か金賞を取っている。


 顧問の指導は厳しく、演奏者の自由なんてものは二の次で、一つの曲を40人を超える部員全員で共同制作する「作品」なのだと顧問の音楽教師は言った。


 顧問に従って精進すると確かに私たちのレベルは格段に上がったような気がしたし、実際私たちが3年生の時には、見事に県の予選を突破して名古屋の本大会に出場したのだった。


 金賞は取れなかったが、その体験が私の進路を決めた。


 私が今いる高校も、顧問の川口先生の指導の下コンクールには過去何度か出場している。


 中学時代に果たせなかった金賞を高校の部で取る。


 私の夢であり、現実的な目標となっていた。


「野球部が何だか勝ち続けているみたい」

 という祐実の言葉の裏には、もちろんメッセージが込められていた。


「興味も何も、まさか、川口先生、野球部顧問タカハシに寄り切られたんじゃないよね? だって、私たちの県予選、もう始まるよ?」


「そのまさかなの」

 そう言うと、祐実は泣き出しそうな顔をした。

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