襖
夢を見ていた感覚もある。それでいて耳には雨の音が届いている。微睡んだ状態とでも言えばいいのだろうか。顎で布団の感触を感じながら、寝る前に見た天気予報をぼんやり思い出した。未明には雨が降るというものだ。
睡眠を妨害するほど騒がしくもない。むしろ再び眠りに就くためのBGMとも捉えることが出来る。そんなことを考えながら思考が薄らいだ時、スーッという音が聞こえた。
眠りかけた脳であってもそれがこの部屋の襖の音であることはすぐに分かった。極まれに私が眠ってからも娘や倅、そして妻が何かの用事で開けることがある。その大半はつまらないことだが、大抵は開けた後に声が伴う。
「ねぇ~」とか「ちょっと良い」とかだ。
しかし、その時はいつまで経っても声は聞こえてこない。あるいは気のせいだったのかと思いつつも私は音の方向に顔を向けることはなかった。何かの気配を感じ取っていたからだろうか。気付いた時には深い眠りに落ちていた。
翌日、そのことを確かめようと朝食を摂りながら考えたが、仮に私が寝ぼけていただけで、誰も来なかったのだとしたら皆を怖がらせるだけだと口に出すのをやめた。仕事中は何事も無かったかにすっかり頭から消えていた。
不意にそれを思い出したのは昼食後の休憩の時だった。そういえば、そろそろお袋が亡くなって五年が経つ。県外であることをこじつけにでもしているのか実家へは何年も顔を出せていない。もしかしてこれが虫の知らせというやつだろうか。ふとそんなことを考えたら自然と苦笑が漏れていた。
それから数日経ったある夜のこと。仕事と晩酌でグッスリ寝入っていた私を目覚めさせたのは襖の音ではなく痛みだった。片足が攣っている。あまりの痛さに身体を動かすことさえ出来ず、ただひたすら堪えるだけ。
そんな時だ。私の耳にスーッという音が届く。もしやと思った。これはこむら返りなどではなく、金縛りというものなのか。痛みで浮かんだと思った汗は恐怖による冷汗ではないのか。じっと目を閉じたまま私はあれこれと考えた。だが眼を開くことは出来ない。本能で開けてはならないと思ったのだろう。
感じていたのだ。誰かに見られているという視線である。それが誰なのか確かめたい気持ちもあった。単に妻や子供たちが起きているか確認しに来た可能性もある。しかしながら、良からぬものを見てしまう気がして瞼には自然と力が入る。
半面、それを開けようとする力も存在した。いつまでも有耶無耶には出来ない。まるで何かに決着でもつけんとそのタイミングを見計らった。和らいだ足の痛みを合図に顔を横に向けると私は目を見開いた。薄暗い視線の先には誰もいない。それどころか襖も閉まったままである。
先ほどまで感じていた気配も今は皆無。しばしその恰好のまま呆然となっていた。それでも何も見えなかったことで安堵したのか、大きく息を吐き出すと天井を見上げるようにして布団をグイと引き上げる。
スーッという音が聞こえたのはその直後だった。だが、今回は恐怖よりもおかしな違和感を覚えた。襖にしては妙に音が近過ぎる気がする。
もしやと顔を横にゆっくり動かしてみる。スーッという音が耳元で聞こえる。さらにもう一度。やはり同様の音がする。それでようやく気付いた。これは僅かに伸びた髭が布団のカバーに擦れる音だったのだ。
とんだ勘違いだと薄ら笑いながら私は二つのことを考えていた。
一つは一笑されるのを承知の上で家族に話して聞かせること。そして、もう一つのことを頭に浮かべながら穏やかな眠りに就いた。
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